TRPGという媒体とその特性〜なんでこういうシナリオはダメなのか〜

要約

媒体にはそれぞれ特性があり、扱える物語や表現にも向き不向きがある。
その向き不向きを理解して作品を作ることが重要。

媒体と内容

さて、小説やマンガ、アニメや映画、演劇、そして、TRPGなど、世の中には様々な媒体があります。
それぞれの媒体には、それぞれの特徴があり、その特徴を活かすことが良い作品を作る方法論の一つとなります。


平たくいえば、小説向きのストーリーと、映画向きのストーリーは異なるということです。例えば、読者に頭の中で情景を想像させる小説と、情景をフィルムに描き出す映画では、何をどう見せるかの方法論が大きく違います。*1 *2
もちろん小説の映画化や、映画のノベライズにも、良い作品は多数あります。そうした作品は、それぞれの媒体の違いを理解した上で、一種の翻訳作業を行なって作られているわけです。逆に、そうした違いを理解しないと、ちぐはぐで、まずい作品になってしまいます。


もちろん、TRPGのシナリオ、セッションにも、媒体としての特徴があり、シナリオ作成の際には、それを意識することが有効です。

シナリオ製作から見たTRPGの特徴

xenothが考えるTRPGにおけるシナリオの特徴は、4点あります。
・インラタクティブであること
・PC視点
・多人数性
・判定の範囲

インタラクティブであること

TRPGというのは、小説や映画のように見ているだけの娯楽ではなく、自分で積極的にアクションを起こすことができ、またアクションを起こすことが期待されます。


TRPGに限らず、インタラクティブなゲームの場合、アクションに対して、どういうリアクションが来るかが、ゲームの面白さとなります。


インタラクティブなゲームの場合、プレイヤーは、まず、最初、何かしてみて反応を見ます。
例えば、「お、ボタンを押したら、なんか音が出たぞ」とかそういう段階ですね。
この段階では、アクションに対して、反応が返ること自体が、面白さとなります。


次の段階は、反応を予測することです。「こっちのボタンを押すと、この音が出るんだな。じゃぁ、こっちのボタンは?」といった具合です。
この段階では、アクションと反応の因果関係がわかることが面白さとなります*3


さらに次の段階は、わかったルールを通じて、特定の目標を達成しようとすることです。
「ボタンごとに出る音がわかった。じゃぁ、“猫踏んじゃった”が演奏できるんじゃないかな。演奏してみよう」
というわけです。


これはTRPGも同じです。
一般的なTRPGにおいて、プレイヤーは、PCキャラクターでアクションを起こし、なんらかの目標を達成しようと努力し、その過程に面白さを感じます。


以上をまとめると、TRPGにおけるインタラクティブ性には、
・反応が返ること(反応性)
・反応がある程度予測できること(予測性)
・ルールの中で目標を目指せること(攻略性)
の3つの段階があります。


逆に、これらがないと、たいていつまらなくなります。
アクションしても、何もリアクションがなければ、つまらないでしょう。
アクションに対する予測が全く立たないと、何をしていいか、わからなくなります。*4
目標がなかったり、あっても達成があからさまに無理だったりすると、やる気を無くします。

PC視点

一般的なTRPGにおいて、プレイヤーは、PCを通じてアクションし、PCの視点で情報を得ます。その結果、プレイヤーはPCに感情移入し、PCの成功が自分の喜びとなりやすくなります。
プレイヤーとPCの立場は厳密には違うもので、プレイヤー=PCではありません。が、PCに感情移入しやすいゲームであることも確かです。


TRPGのシナリオを作る際は、この点に注意する必要があります。


一般的な物語において、「登場人物の成功」=「読者の喜び」とは限りません。
主人公サイドに感情移入するのなら悪役が倒されるのは見てて楽しいものですし、悲劇的な作品の悲劇性、不条理性も、ストーリー全体を楽しむ視線から楽しむことができます。


一方で、TRPGの場合、プレイヤーの成功とPCの成功は、近いところにあるのが通常なのです。

多人数性

TRPGのもう一つの特徴は、多人数プレイのゲームであるという点です。
通常のTRPGは、GM一人と数人のプレイヤーでプレイされます。そして、その全員が楽しむ必要があります。それぞれのプレイヤーにとって、そのPCは感情移入の対象であり、主人公です。


さて、勇者と盗賊と魔法使いが、魔王に囚われたお姫様を救うというお話があるとします。
小説などの場合、特定のキャラクター(主人公あるいは狂言回し)の視点で、ずっと話が進む場合があります。上記の例なら、勇者の立場からストーリーが描かれるわけです。
あるいは、場面ごとに視点となるキャラクターが違う場合もあります。勇者目線の物語、盗賊の物語、魔法使いの物語が交互に描かれるというパターンです。
特定のキャラクターではなく、俯瞰的な視点から描き出す場合もあります。パーティ全体を描いたり、町の人や魔王の軍勢、お姫様も含めて、広く描く場合です。


TRPGの場合、上記のどれに似ているでしょうか?
実は、どれにも似ていないのです。


TRPGのシナリオの場合、プレイヤーが3人ならば、それぞれが視点キャラの3本のストーリーが、同時進行している、と、考えるべきなのです。
「勇者目線の物語」「盗賊目線の物語」「魔法使い目線の物語」は、交互に、ではなくて、常に、同時進行なのです。そして、それぞれの物語全てで、PCが活躍し、プレイヤーが楽しめる必要があります。


小説やマンガなど、たいていの物語形式が「全体として一人の読者を楽しませる」ことを目指しているのに対し、「視点の違うプレイヤーを同時に楽しませること」を目的とする点で、TRPGの物語構造は大きく異なります。


もう一つのポイントとして、現実の時間は、どのプレイヤーにも等分に流れるというものがあります。
キャラクターA、B、Cの物語を交互に描く場合、小説なら問題ない場合でも、TRPGだと「Aのプレイヤーが遊んでる間、B、Cが暇」という問題が起きます。
TRPGのシナリオで、A,B,Cが一緒にいて協力して行動している場合が基本形なのは、そういう理由なわけです。

判定の範囲

通常のTRPGの進行は、PCもしくはパーティ個人の行動を基本として、プレイ時間数時間となります。
ゲーム中の時間の流れの速さは、基本、現実のリアルタイムとだいたい同じで、戦闘中などは精密な動きを表すためにスローモーションとなります。
つまり、1ラウンド3分で5ラウンドの戦闘は、ゲーム内では15分ですが、実際にプレイするのは、60分くらいかかったりするわけです。
長い時間や、PC以上の規模のものを動かす時は、たいてい、途中経過を省略します(「では次のシーン。翌日の朝になった」「騎士団と魔王軍の戦闘は、七日七晩にわたって行われた」というように)。


TRPGで通常プレイされるシナリオは、こうしたスケールに合う形になっています。
逆に、こうしたスケールに合わないシナリオをプレイするには、工夫が必要となります。

よくある間違い

以上を前提として、他ジャンルの作品をTRPG化する際の、よくある間違いを列挙します。*5

悲劇シナリオ

世の中には、「何をやってもうまくいかない」という時があります。あるいは、「頑張るほどに悪化する」という状況もあります。
そうした事態の悲劇性や滑稽さを描き出す物語はたくさんあります。


これを単純にTRPGに持ち込むと、「PCが何をやっても結局、悲劇になるシナリオ」となります。
これの問題点は、「インタラクティブ性」です。
「何をやっても悲劇になる」タイプのゲームは、攻略性に欠け、プレイヤーはやる気を失いがちです。故に、多人数ゲームとしてのTRPGには向いていないというわけです。

ジレンマシナリオ

二つ以上の選択肢があるが、どれもつらいものがあるという場合です。
悲劇シナリオに似ていますが、選択肢と、それぞれの選択肢に対する攻略性があります。


この場合、何が問題かといえば、「PC視点」の部分で、納得行かないことです。
PCの成功が、プレイヤーの喜びである時、「どれを選んでも嬉しくない選択肢」は、攻略性があっても、やる気がしないというわけです。

元ネタシナリオ

特定のストーリー(たとえば好きなマンガとかアニメとか)を、そのままシナリオ化して、うまくゆかない場合です。


うまくいかない原因は様々ですが、基本的には、GMの考える「元ネタの常識」が、プレイヤーに伝わっていないことが主となります。
そのため、元ネタを知らないと全く進めなかったり、元ネタ通りの展開を押し付けたセッションになったりします。
これは「攻略性」の問題です。


なぜそうなるかといえば、マンガやアニメ、小説などは、たいてい大きな情報量を持っています。それに比べると、GMがセッション中で説明できる情報量は案外少ないのです。
TRPGの世界観は説明がしやすいようにチューンされていることが多く、また、そうでない場合は、プレイヤーもルールブックを読めばいいわけですが、GMだけが知っている元ネタ全体のゲームでは、そういうことが起きやすくなります。

贔屓

特定のキャラクターがシナリオの根幹を担う場合です。
一番、端的なものは、シナリオの最後で、NPCが出てきて、ラスボスと戦い、主役の座をもってゆく、というものです。
NPCに限らず、特定のPCが、他のPCに対して、あまりにも立場が強かったり、あるいはGMから一方的な役柄として押し付けられる場合もあります。


これの問題は、「多人数性」となります。
ストーリー全体としてみて面白かったとしても、その贔屓キャラ以外のプレイヤーにとって、満足がゆく物語かどうかというものです。
インタラクティブ性」の問題もあります。PCが頑張って行動しても、おいしいところを持ってゆくのがNPCなら、攻略性に欠けるというわけです。


こうした「贔屓」セッションは、「元ネタシナリオ」と同じく、GMが特定のテーマやシーンを描きたいあまり、それにあわせてストーリー全体を固定した結果であることが多いです。

複雑すぎるシナリオ

「パーティで協力して」というパターンは飽きた、ということから、PC達の思惑がそれぞれ違い、様々に別行動するという場合があります。


これの問題点は、別行動が、あまりに多くなると、その分、他のプレイヤーが暇ということです。PCが単独で活躍するシーンでは、他のプレイヤーは手持ち無沙汰になるというわけです。


安易に複雑な構造を取り入れようとして、失敗するセッションは多いのです。

社会問題

TRPG内で、社会問題を描こうとする場合があります。


基本的に多くの社会問題は、簡単に解決できないからこそ、社会問題となっているわけです。そうした問題を、TRPGのセッション内で、数時間の実プレイで、簡単に解決するのは難しいと言えるでしょう。
もちろん、TRPGは架空世界なので、架空世界的な方法論、例えば「すごい魔法」や「超技術」などを持ち込めば、解決できることもあります。
ただし、こうしたシナリオの場合、GMが「現実的な社会問題の現実らしさ」をテーマにしていて、そうした解決を否定している場合が多く、そうなると泥沼になります。


要するに解決できない社会問題を、安易にPCに投げるシナリオは、「悲劇」もしくは「ジレンマ」の問題点を抱えています。


もちろん、社会問題は、「絶対に解決できない課題」ではありません。現実にも、かつては解決不可能と思われた社会問題が解決された例もあります。
ただし、それには、深い理解と慎重なアプローチ、長い時間が必要となります。


ここで問題となるのは、スケールです。
たいていのTRPGでは、PC個人の短い時間の行動を判定することはできても、「人口問題について、国全体として、10年かけて地道な取り組みを行う」といった判定が難しくなっています。


こうした「ゲーム化」を避けた「リアルな社会問題」が、実際、リアルかというと、大変に難しい問題です。
現実の社会問題を安易に矮小化するのが問題であるのと同様、安易に困難さや解決不可能性を強調するのも間違った理解であり、問題です。
「解決困難な社会問題」を描こうとする試みは、往々にして、「これこそが現実の厳しさだ」というGMのエゴの発露になりやすいのです。


リアルな社会問題を、きちんと理解するには、遊ぶ人間全員に、長い時間をかけた勉強が必要です。
数時間のセッションで、そこまで到達するのは難しいわけです。
もちろん、TRPGを遊ぶことで、社会問題について考えるきっかけを作ることは、それなりに意味がありますが、それはそれとして、ゲームでありフィクションであるとして扱うマインドセットが、そこで重要になります。

新しいTRPGの可能性

さて、前項で、TRPGにおいて、よくある間違いを述べました。こうした物語はTRPGに向かないと言っていいのでしょうか?
答えはNOです。


重要なのは、「普通にやると失敗するので、工夫が必要」という点です。


なぜ、どうして失敗するのかを把握すれば、それを理解して対策を立てることができます。逆に、対策を立てなければ、意味が無いわけです。


たとえば、「悲劇シナリオ」に攻略性がないという問題ですが、一つの解決方法として、「プレイヤーがPCの行動を通じてより大きな悲劇を追求するゲーム」という枠組みにすれば、簡単に解決できます。
低予算映画の撮影をモチーフにした「イット・ケイム・フロム・ザ・レイト・レイト・レイトショウ」では、よくあるシチュエーションです。
もちろん、そうしたセッションは、たいてい爆笑セッションになりますので*6「悲劇の悲しいところに感じ入るシナリオ」を行いたいのであれば、さらに別の枠組みが必要でしょう。


「贔屓」や「元ネタシナリオ」の原因となる、「特定のテーマ、シーンを再現したい」ことと、「固定化したシナリオ」の弊害を解決するのが、ハンドアウトです。
それぞれのプレイヤーが、セッションの方向性を共有することで、シナリオのテーマ性を自覚的にプレイすることができます。
ハンドアウトは、セッションに方向性を与えるため、あまりに細かく指定すれば、攻略性等を損なう面もありますが、そこは使いようです。
公式シナリオ等のハンドアウトは、キャラの立ち位置と最初の方向性を与えるだけで、うまくストーリーに貢献する形を作っており、参考になるでしょう。


「複雑化」の問題である「他のプレイヤーが暇」問題も、研究が進んでいます。
「カオスフレア」など、他のプレイヤーが、ロールプレイを評価できるゲームの利点の一つはそこです。「いつフレアを渡そうか」と考えて見るので、他のキャラクターのシーンも暇になりにくいというわけです。
プレイヤー同士が対戦する「シノビガミ」では、各PCはお互いの「秘密」を奪い合い、情報共有で知らせ合うというギミックがあるため、他人がどう動くかは気が抜けません。


社会問題を取り扱う際には、判定の規模やスケールが必要と書きましたが、現在、発売しているTRPGの中では、「Aの魔法陣」シリーズが、判定規模を自由に変えられるシステムを持っており、こうした社会問題をシステム的に扱うことが可能になっています。
すでに絶版ですが、「蓬莱学園の冒険!!」TRPGも、同じように、判定規模の広がりがあり、「蓬莱学園の探険!!」中のシナリオでは、実際に、5年の時間をかけて都市経営をするシナリオが入っております。

システムとプレイングとストーリー

TRPGという媒体がルールシステムである以上、新しい表現は、新しいルールシステムと不可分な関係にあります。
システムとプレイングとストーリーは、切り離して語ることができないのです。


「今までのTRPGにない、こういうストーリーをやりたい」という気持ちがある時は、「では、なんで、これまでのTRPGではなかったのか」「どういうシステム、プレイングなら達成できるのか」という視点が必要です。


逆に、そうした意識がないまま安直にプレイして失敗したのを、「独創的なテーマを扱ったTRPGの可能性」と持ち上げるのは、私が過去、さんざんやった迷惑な勘違いです。

*1:これは非常に基本的、初歩的な話で、例えば小説で明確に見せる方法論も、映画で想像を膨らませる方法論もあります。その上で、小説と映画で文法が違うということは賛成いただけるでしょう。

*2:さらにいえば、挿絵の役割が大きい小説もあり、そうした作品には、そうした作品の方法論があります。

*3:予想した上で裏切られる意外性は楽しいものですが、全く予想がつかず納得もいかないとなると「意外性」ではなく、単に意味不明になります。

*4:余談ですが、GMもプレイヤーの一人である以上、PCが予測できる行動を取ることは大事です。「助けた姫君が、意味もなく、いきなり襲ってきた」というセッションがプレイヤーにとってつまらないのなら、「可憐な姫君を、PCが意味もなく、いきなり襲った」というセッションもGMにとってつまらないわけです。

*5:以下は全部、xenothが自分で昔やったミスです。

*6:こういうプレイを安直、低俗と見る面もありますし、レレレは「低俗映画RPG」でもあるのですが、実のところ、プレイヤーとPCの価値観が異なるところに滑稽さを感じるというのは文学的にも面白い問題です。