ラビットホール・ドロップスに注意書き追加

注意書き追加

ラビットホール・ドロップスのウェブページに、TRPGを治療目的に使うことに関して注意書きが追加されました。
大変良いことだと思います。

マイノリティへの対し方

 HPを更新しました!
 「あたりまえのことを書く必要はない。なぜなら、人は誰しも障害者を知ってから、あるいは、知ろうとしてから障害者に触れようとするからである。またそうすべきなのだ」「あたりまえのことを書くことは、あたりまえではないのだと認めることになるのではないか」「わからない、知らない、間違えが起きる、と叫ぶ批判の声は、ただ知ろうとしないだけだ」という考えがあったのですが……。


 考え方を変えました。
(略)
[http://www.facebook.com/RabbitHoleDrops/posts/221092301344157:

注意書き追加に関する伏見氏の書き込みです。


さて、前半は、そのとおりだと思います。
障害者に接する時は、我々一人一人がきちんと考える態度を持って接するのは当然のことだし、注意書きなどなくてもそうすべきなのです。
そうしない時、我々は無自覚な差別によって他者を傷つけているのです。
そのことは常に反省しなければなりません。


しかし、その一方で、世の中の人すべてが理性的に行動することを前提として行動するのは、あまりにも危険です。
完全に悪意があったり無思慮だったりする人は脇におくとして、たいていの人は、特に悪意なく、うっかり気付かずに、自分の常識のままに行動した結果、誰かを傷つけてしまうのです。
世の中は、無自覚な差別と偏見に満ちています。私自身も含めて、そうした差別や偏見をもっていない人など存在しないといっていいでしょう。
だからこそ、不断の啓蒙が必要なのです。


視点を変えてみましょう。
世の中には、様々なマイノリティが存在し、様々な個別の事情や問題があります。理想は、その全ての悩み、問題を理解して、公平に接することですが、それは事実上、無理です。理解する必要のあることが多すぎるのです。
また理解しようとする姿勢があっても、わかっているつもりでわかっていないこと、誤解することも沢山あります。


だからこそ、双方の側からのアプローチが重要なのです。障害者の問題を理解しようとする動きと、障害者の側から問題を理解してもらおうという動き、その双方が大切になるわけです。*1


本当は「双方のアプローチ」というように分けるのも正しくなくて、同じ社会の中の一人ひとりの問題として、理解を深めていけると一番良いのですが、いずれにせよ、障害や障害者についてよく知らない人は、それをよく知るべく努力し、その一方で、障害者に関する活動を支援するときは、なるべく誤解が減るように努力すべきかと思います。


「ラビットホール・ドロップス」においても、そのような不断の啓蒙が行われることを期待します。それによって、より多くの人が住みやすくなる世の中になればと思います。

*1:その上で、自分を「一般人」と思う側のマイノリティを理解しようとする姿勢が十分であることはほとんどありません。マイノリティ側の伝えようとする努力に頼っていてはいけないのです。