ぐだぐだの進化

要約

TRPGのセッション中の「ぐだぐだ」とされるものには、セッションを豊かにするものと、阻害するものがある。
前者は、セッション内容に対するブレストとして機能し、後者はプレイヤー間の対立を深める「ぐだぐだ」である。

いわゆる「ぐだぐだ」というもの

TRPGセッションにおいて、「ぐだぐだ」と呼ばれる状態が存在します。
進行を妨げるおしゃべり、くらいの感じですが、TRPGセッションの経験がある人には、自分を含め「あのおしゃべりが楽しいんだ」という経験がある人は、結構いるのではないでしょうか?


普通、ぐだぐだしている、というのは、あまりいい意味で使われませんが、TRPGにおいて、それが良いことでもある、というのはなぜでしょうか?

未完成であるということ

「進行を妨げる」と書きましたが、実際のところ、TRPGの「進行」とは何でしょうか?
TRPGは、基本的に*1GMが準備したシナリオに沿って進行してゆきます。


ただし、多くのTRPGにおいて、この「シナリオ」は未完成なもので、セッションにおけるプレイヤーの行動、GMの判定を持って広がってゆくものです。
最初から最後まで完全にGMの想定内である必要はなく、むしろそれを超えるほうが面白い、というのがTRPGの特徴です。


「シナリオ進行=GMの想定」から外れる行動をプレイヤーが行う時、それをうまく処理できれば、TRPGは面白くなります。うまく処理できないと、こじれたり、悪い意味でぐだぐだになります。


整理しましょう。
TRPGは、未完成のシナリオを、プレイヤー全員とGMで広げてゆくことで面白くなるゲームです。
この時、広げるためには、当初想定されていた進行を変える必要があります。
これが、「進行を妨げる」ぐだぐだが、重要である理由です。

ブレインストーミングと共有

さて、シナリオの進行から外れること=「ぐだぐだ」とは限りません。
「ぐだぐだ」には、だらだらとどうでもいいことを話しあうというニュアンスがありますが、シナリオから外れるだけならそういう会話をせずとも、プレイヤーとして、そういう行動宣言をすればいいだけのことです。


では「ぐだぐだ」=「どうでもいいことを話すこと」には何の意味があるかというと、発想を促す意味があります。


シナリオの進行から外れる、というのは、本来、それによってセッションが面白くなることを期待してのことです。
では、その「面白くなるアイディア」ですが、良いアイディアを出すときに大切なのが、緊張を抜いて、気軽に色々なアイディアを出し、それを皆で転がしてゆく、いわゆるブレインストーミングの手法です。
お分かりと思いますが、「ブレスト」と「バカ話」って、ほとんど同じものなのです。
つまり、みんなで、ぐだぐだとバカ話をする中で、良いアイディアが出てくるわけです。
また個人が思いつく、良いアイディアが、他の人にとって、楽しいかはわかりません。そこの距離感を調整するのも、グダグダです。


例えば、セッション中に、良いアイディアを思いついたとしましょう。
ボス敵らしいNPCが、自分の兄だったとしたら面白いんじゃないかと考えるわけです。
あるいは、もっと過激に、自分のPCがボス側につきたい、というアイディアかもしれません。


この時、ぐだぐだ抜きで、「よし、じゃぁ俺は、ボスの味方をするぜ」と言う際は、様々な摩擦がありえます。


まず、言う側も結構緊張します。自分のアイディアが面白いのかどうか悩みますし、そうやって緊張すると良いアイディアも出にくくなります。
言われる側も急にそういう発言をされると、他のPLやGMは、次にどういう行動をすればいいか、咄嗟に思いつかないことがあります。
次に、よく考えても、やっぱりそういう行動をしてほしくない場合もあります。
かといって「迷惑になるかもしれないからアイディアを出さない」というのは、つまらないし、ストレスも貯まるものです。
また、「想定から外れることを行うTRPGの面白さ」も失われます。


ここで、ぐだぐだの出番です。
行動宣言ではなく、まず馬鹿話として、「じゃ、俺がそのボスに寝返るのとかどうよ?」とか「寝返ってみたりして」と言ったとします。
これだと気軽に話せますし、そうすることで雑談で色々な展開が生まれます。
「なら、俺のPCはこうするぜ」とか「こういうのはどうよ?」とか、様々なアイディアが現れ、全員で転がってゆくわけです。
最初のアイディア自体には無理があっても、そうやって転がしてゆくうちに、欠点が修正されて、良いアイディアに育ってゆきます。
そうやってくうちに、全員が、その展開を気に入ったのなら、「OK、それでゆこう」となるでしょう。


もちろん、そこまでいかずに、ひと通りみんなで笑ってそれで終わりになることもあるでしょう。
そのようにセッションに採用されなくても、言った側も言われた側も、それなりに楽しい時間を過ごした、という点が重要です。


このように、脱線・逸脱を含みつつ、最終的に面白いセッションに貢献するのは、良いぐだぐだと言えるでしょう。
固定したシナリオを持たないタイプのセッションの場合、プレイ中に先の展開を決める割合が大きくなるため、こうした、ブレスト的なぐだぐだが、より重要となります。
例えばシナリオクラフトは、大雑把に言うとストーリーの展開をダイス目で決めつつ、ダイスで出たイベントの意味を補完し、ストーリーを創りだしてゆきます。「なんで、ここでこんなイベントが!?」というのを皆で大喜利的に考えるわけです。
シノビガミ」を始めとするサイコロフィクションシリーズは、できる行動宣言をボードゲーム的に整理・集約することで固定されたシナリオを廃する一方、その行動宣言の内容をふくらませてゆきます。
「ゲーム的には、この一手が正しい」というのがあり、PCが実際にその一手を打つ過程や理由を「ぐだぐだ」で肉付けしてゆくわけです。

悪いぐだぐだ

それに対し、悪いぐだぐだというのもあります。
それは、ルール解釈に関する論争や、セッションの進行、他のプレイヤーの行動に対する異議などが、長引くことです*2


こうした議論が長引くことの問題は、意見の対立を煽ることで楽しいセッションが阻害されることです。


ルール解釈や、セッション進行等について、全員が納得できる意見なら、すぐに採用されるわけで長引きません。
長引くということは、対立の種があるわけです。つまり、プレイヤーAにとっては望ましいが、Bにとっては望ましくないといったような。
その結果、望まない結果を誰かに押し付けることになります。


判定を行うこと自体は重要ですが、その際に議論して下手に時間をかければかけるほど、感情的な対立が深まるので、さっさと片付けるのが良いでしょう*3

ぐだぐだのシステム化

こうした「ぐだぐだ」、すなわち、シナリオからの逸脱、セッション中でのバカ話の有効活用は、システム面からもアプローチされています。


「ぐだぐだ」をシステム化する方法論には、xenothが知るかぎり、「矛盾」と「キーワード」、「評価」の3つのアプローチがあります。


「矛盾」でわかりやすく根源的なのは、セッション中に振るサイコロそのものです。
例えば、戦闘中のクリティカル、ファンブルなど、サイコロというのは「ストーリー的にあってほしい数字」を乱数によって裏切る作用があります。
GMもプレイヤーもその矛盾にウケて、「今のはこういうことだ」「ああいうことだ」とバカ話をし、展開に組み込んでゆきます。
例えば、「肝心な場面でファンブルするうっかり屋の戦士」といった設定がそこで生まれ、取り込まれてゆくわけです。


設定の矛盾を創りだすことを目的とするなら、戦闘中のファンブル以外にも様々な方法が見えてきます。
最近の多くのゲームでキャラクターメイキングの際、様々な設定をROC*4するのも、それによって生じる様々な矛盾、ボケからブレストを促進する意味もあります。


次に、「キーワード」です。
ぐだぐだなしゃべりは、ぐだぐだであるがゆえに、拡散、脱線しすぎる場合もあります。
ある程度の脱線は、有用ですが、あんまりセッションと関係ない話で盛り上がりすぎてもいかんわけです。
そうした時に、共通するキーワードがあると、セッションに集中しやすくなります。


こうしたキーワードは、ゲームシステムのキーワードでもあります。
「ヒットポイント、あと3。死にそうー」というのは、ゲーマーなら共感でき、話題にしやすい話でしょう。
この考えをさらに進めると、より面白い設定や展開を作ることに特化したキーワードがあれば良いことになります。


様々なゲームがありますが、『ダブルクロス』は、その良い例でしょう。
ダブルクロス』において各キャラクターが所有する「ロイス」は、ゲーム的に重要なリソースであると同時に、キャラクター間の関係性(ロイス、Sロイス)、自分のキャラクターの設定、能力(Dロイス)等を明確に意識させることで、重要なキーワードとなります。
「侵食度」も同様に重要なキーワードです。
ダブルクロスにおいては、侵食度、ロイスから始まる、雑談、トークが多いわけですね。
ダブルクロス起源ではありませんが、PCナンバーも同様に、キーワードとして機能します。


そういう単語があることで、「PC1的には、ここはこうじゃね?」といった話がしやすくなるわけです。
この「PC1的に」は「主人公」とか「ヒーロー」に近いものですが、同じものではない。主人公やヒーローといった一般的な擁護は、人によって理解や印象が異なるので、ゲーム的に定義される専門用語を作ることで、こんがらかることを避けているわけです。


ブレストで大切なことは、自分の考えた意見を言うだけでなく、「お、それ面白いね」と認め合い、転がすことです。誰も意見を評価しなかったら、ひとりごとの集積でしかありません。
この「お、それ面白いね」「それ、いいね」と言うのをシステム化することで、「ぐだぐだ」に流れを与え組織化する方法論があります。
天羅万象」シリーズの因縁ロールは、因縁に関係するロールプレイを自分で申告し、GMが認めてダイスを振ることで評価が行われました。
続編の「天羅万象・零」では、GM以外のプレイヤーも気軽に評価に参加できるようになり、よりブレスト的になりました*5
天羅万象・零」では、他にも関係性のキーワードを直接ゲームリソースで交渉・調整する「邂逅表」システム等、様々な形で、ブレストを促進するルールがあり、当時の「世界最速」を名乗ったのは伊達ではないといったところでしょう。

ビジョンと変革

こうしたシステム化は、TRPGのシステムの全てがそうであるように、未だ発展途上であり、これからも面白い挑戦が様々に現れるでしょう。
一方、そうした新システムが現れることで「TRPGとはこういうものだ」という固定概念が崩れることがあります。それに対する反発として、「こんなのはTRPGではない」とか「このデザイナー/会社/集団は、信念を曲げた」というものがあります。


私はTRPGの可能性は、より豊穣なものであり、多様的であることが大切だと考えています。
ある思想を実現するために新たなシステムが作られる一方、そうして作られた新しいシステムによって「こんなことができるようになった」「じゃぁ、こんなことを試してみよう」という発想が広がります。
そこがいいのではないかと思うのです。

*1:シナリオレスなTRPGシステム、セッションも様々に存在します。これらは、後述するように、ぐだぐだと深い関係があります

*2:異議が出ること自体は悪いことではありません

*3:繰り返しますが、議論が出て結論を出すこと自体は悪いことではありません

*4:ロール・オア・チョイス。ダイスを振ってもいいし、表の中から好きなものを選んでもいい、という手法

*5:その流れの先には例えば「異界戦記カオスフレア」のフレアのやりとりがあります。