TRPGと創作性

「創作性」とは?

TRPGは、多人数で遊ぶゲームであると同時に、物語を作るツールであると捉えることもできます。また、そうした「物語を作る」という部分に、可能性を感じる人もいます。


そこにおいてよくある批判が、「(特定の/最近の/流行の/最初から)TRPGは創作性が少ない」というものです。


たいていの場合、そうした議論における「創作性」というのは「オリジナリティ」という言葉とも言い換えられます。
アニメや漫画などの再現性を重視するあまり、「オリジナリティに欠ける」といった具合です。


そうした意見に対するゲーム派の反発も大きいものがあります。


こうした対立は、どこから出てくるのでしょうか?
そもそも「創作性」「オリジナリティ」とは何なのでしょうか?

メディアの特性

小説、漫画、アニメ、演劇、TRPG。
世の中には様々な表現媒体があり、それぞれのメディアに特性があります。
特性というのは、得意、不得意といってもいいでしょう。


例えば小説は、文章的な表現が得意です。理屈をこねたり設定を語ったりするのは得意です。また、長編を作るのが楽です。
アニメは、映像的な表現が得意です。映像や動きを一瞬で見せることができますが、文章的な理屈をこねようとすると間延びしがちです。また、小説に比べて、作るのにお金がかかります。


当たり前で身も蓋もない話に聞こえますが、これらは重要な点です。


たとえば、作家栗本薫は、長編ヒロイックファンタジーグイン・サーガ」を執筆し、正伝130巻、外伝22巻(未完)の長大な作品を作り上げました。


アニメ作家新海誠は、「ほしのこえ」をはじめとした短篇アニメを発表し、その内容の素晴らしさと同時に、ほぼ個人で一本のアニメを製作するスタイルで話題を呼びました。
彼の作品群は、いわゆる「セカイ系」や「ゼロ年代」といった時代の流れに相互に影響を与えたと言われています。


ここで重要なのは、新海誠がテーマや題材を選ぶ時、そこにはアニメという媒体の制約・制限が反映されているということです。
端的に言うなら、新海誠は、たとえ撮りたくても「グイン・サーガ」のような長編作品を撮ることは不可能*1というわけです。
短い上映時間の中で映えるテーマ、一人で製作しやすいテーマが、まず命題としてあったことは想像にかたくありません*2
ド派手なアクション、長大な物語が描けない状況では、誰しもリリカルな短篇に落ち着くわけです*3


もちろん、制約は悪いことだけではありません。
媒体の制約を意識し、理解した上であれば、その制約を回避したり、ひっくり返して利点に変えたり、力技で突破したりすることができます。
「なるほど。長編作れなかったから、しかたなく短篇にしたんだね」なんて感想が出るとしたら、それは制約に負けてる場合ですが、「ほしのこえ」の評価はそうではなかった。


このように、媒体の特性・利点・欠点・制約は、その媒体の表現力と、ほぼ表裏一体の関係にあります。
そうした特性を理解し、制約の中での良いものを作り、時には制約自体を利点に変えるような表現を作り出すわけです。

TRPGの特性

TRPGには、TRPG独自の、特性、利点、制約があります。
以下に、xenothの考えるTRPGの性質を列挙します。
なおTRPGといっても色々あるし、また、今現在のTRPGが、TRPGの可能性のすべてを網羅してるわけでもないので、大雑把で感覚的な話なのは、ご留意ください。

  • 想像のゲームである

TRPGは、各人が様々な場面を想像することを楽しむゲームです。
良い点としては、これは想像の及ぶ限りのものが表現できるという点です。
美しいものも醜いものも巨大なものも繊細なものも、予算の心配無く(笑)、登場させることができます*4
制約としては、その「想像の及ぶ限り」は、プレイヤー全員が共有する必要があるという点です*5
誰か一人しかわからないものを登場させると、卓が混乱しますし、それは避けられる傾向にあります。

  • 少人数である。

TRPGは、3〜6人くらいで遊ぶゲームであり、基本的には他人に見せるものではありません。
小説や漫画、その他のジャンルと比べると、「自分たちで物語を作って自分たちで楽しむ」という点は、かなり大きな違いです。


TRPGというのは、そのため、「不特定多数の無数の読者」ではなくて、「その場にいる全員」だけを楽しませることに全力を尽くせます。
「他の誰でもない、あなたのためだけの物語」を作れるというわけです。


一方、これは言い換えれば、「内輪受けの物語になりやすい」という点です。当人たちが当人たちだけで楽しむための物語なわけですから、それでいいわけです。

  • 作り手=受け手である

TRPGのセッションを物語作成ツールと捉えた場合、作り手による「物語作成」が、同時に、受け手にとっての「作品鑑賞」であるという点があります。


小説や漫画他の多くの媒体では、作者と読者は別です。
そして作品は読者を楽しませるためのものであって、作者が書いている時に、どう感じるかは、基本的には重視されません。
TRPGの場合、これが「お話を作ること」と「楽しむこと」は、同じ人間が同時にやることなのです。


これの良い点としては、インタラクティブ性が高いこと。連載作品などで、読者の反応を見ながら展開を作ってゆくものがありますが、読者=受け手が全員、同じ卓についているTRPGのインタラクティブ性は、非常に高い。
制約として見た場合、プレイヤーにとって面白い・楽しいシーンの連続になりやすく、またインタラクティブ性、即興性が高いことの裏返しとして、首尾一貫性に欠けやすいと言えます。伏線とか精緻な展開って、TRPGだと、やりにくい傾向にあります*6
また、全員が楽しむことが目的なので、「物語的に美しい」からといって、プレイヤーが嫌な気分になることは、基本、推奨されません。そのため快感のある展開の連続になりやすい。
ここも大きな違いです。

TRPGの創作性

さて、こうしたTRPGの特性から、「TRPGらしい創作性」を考えることができます。


上記から導けることとして、二次創作性と娯楽性の高い物語が、TRPGの媒体特性を生かした作品のひとつ、といえるでしょう。


ここで言う二次創作性というのは、一次創作を単純に踏襲するものではなく、ひねったりいじったり、他の作品とクロスオーバーしながら、独自のアレンジを作る面白さです。


小説で言うなら「魔界都市新宿」の面白さです。
オカルトから超能力からSFから古武道から、ありとあらゆるフィクション要素を詰め込むことで、そこに新しいジャンルが創始され、オリジナリティが生まれた。


「「シグルイ」から「水戸黄門」、「仕事人」から「大魔神」、山田風太郎から「戦国自衛隊」まで、広いカバーを範囲した超時空時代劇TRPG「天下繚乱」などは、その一例でしょう。


基本となるイメージは、皆が知っているものをベースにしつつ、色々なネタを盛り込んで、それを面白くアレンジしたり組み合わせたりして、展開の部分で自由な発想を見せつつ、わいわい楽しめるものですね。

なぜ対立が起きるか

問題は、「TRPGに創作性が少ない」という議論の時、例えば「天下繚乱」が持つ創作性が、無視されているということです。そうしたものは「パクり」であって「オリジナリティがない」というわけです。


ゲーム派が反発するのも、そこです。
天下繚乱を遊ぶ人は、無数の時代劇要素を組み合わせて、どんなトンチキなキャラを作るか、トンデモシナリオを作るか*7という点に、創作性を感じている。
それを頭から「創作性がない」と決め付けられるから、反発するわけです*8


要するに、「TRPGの創作性」という時に、その具体的な「創作性」とは何か、という視点が欠けているのが原因なわけです。
もっと強い言い方をすれば、「小説や演劇の創作性」を、そのまま持ち出して、TRPGと比較している*9
それは意味が無いのです。


「TRPGに創作性はあるか?ないか?」を問う意味はない。見方次第であるとも無いとも言える。
本当に考えるべきは、「TRPGの特性は何で、それを生かした、どんな創作性があるか?」なのです。

TRPGの可能性

先ほどxenothが書いたTRPGの特性、制約は、完全なものでも不変なものでもありません。
TRPGならではの創作性について、「二次創作性と娯楽性を〜」と書きましたが、それがすべてとは思いません。
制約を生かし、あるいは乗り越え、新たな地平を切り開くTRPGは待ち望まれています。


そういう意味で、TRPGに今と違った創作性を求めることは大切だと思うのです。
そして、その新しい創作性というのは、あらゆる媒体でそうであったように、媒体の特性や制約と真摯に向かい合い続けることから生まれてくると思います。
その意味で、「TRPGの新しい創作性」は、「今あるTRPGの創作性」とは無縁ではいられないでしょう。


テンプレ的な「今のTRPGはパクりばかりでオリジナリティがない。どこかに創作性のある真のTRPGが」というのは、そういう意味で矛盾しているのです*10


それはたとえば、新海誠に「もっとグインみたいに重厚長大な全100巻の大河ファンタジーを撮ってくれ」というようなものでしょう。

TRPGの未来

今あるTRPGの創作性が面白くて楽しいからといって、これ以外の創作性があるはずがないと決め付けるのは早計です。
また今と違う創作性があるからといって、今のTRPGの創作性、楽しさ・価値が否定されるわけでもありません。


本来、TRPGの新しい創作性を求める態度と、今の創作性を楽しむ態度は矛盾しないはずなのです。
むしろ、新しい創作性を求めるためにこそ、今の創作性を良く知る必要があります。
お互いに手を結ぶことができますように。

*1:もしくはものすごい発想の転換がいる

*2:あるいはもちろん、表現したいテーマがあって、それに合った媒体を選んだかもしれない。たいていの人は、媒体をいじりながらテーマを創り上げてゆくわけで、どちらが先、というのも、あまり意味はないかもしれません。

*3:言うまでもなくリリカルな短篇アニメを作れば誰しも新海誠になれるわけではありません。

*4:大雑把な一般論ですが、このあたりがTRPGがファンタジーに向く理由でしょう。スペクタクルを描きやすいのです。

*5:大雑把な一般論ですが、このあたりがSFがやりにくい原因かもしれません。

*6:もちろんやり方次第ですが、たとえば推理TRPGが難しい、というくらいの一般性はあるでしょう。

*7:もちろんトンデモだけがオリジナリティじゃないですよ

*8:アニメや特撮、ラノベの再現性を意識したTRPGはありますが、それらは、元作品のキャラクターをそのまま再現する形でプレイされることは稀です。無数の作品群を自由に組み合わせる中に、創作性、自己表現があるわけです。また仮に原作を完全再現したキャラクターを作っても、プレイの中で、否応無しにズレてゆくところもTRPGの面白さです。いずれにせよそれらは、単純なコピー、真似を志向しているわけではないと言えましょう。

*9:あるいはもっと意図と目的を明確にして、たとえば「ラノベを執筆する際に助けになるようなTRPGシステムはないだろうか?」といった問いであれば、より建設的な議論ができるでしょう。

*10:もちろん、これほど単純でテンプレ的な批判をしている人はいないと思いますが、わかりやすくした例として