伏見氏とのやりとり

経緯

前回の日記を提示したところ、伏見氏からブロックされました。
ふるいけ様とのやりとりがあったので、そちらを転載します。

素人治療

@furuike20 私の前論もあり、RHDを治療用に用いよ、との主張が行われているとご指摘がありました。しかしながら、このルールブックそのものにはその主張はありません。そのことをまずご確認を。私は意見、表現をすでに修正しています。
@furuike20 WEBサポートのほうでは、支援用途でのノウハウを蓄積したい、交流したいとの意図があります。よって「支援につかいましょう」とのアピールはより強く行われています。私としては「使い分け」をしていたつもりですが、うまく伝えられなかったようで補足します。

WEBサポートのほうの文面は以下です。

■ラビットホール・ドロップス サポートプログラム

 「物語を遊び、豊かな発想力を養うゲーム」「判断力と共感的視野を養い、自己肯定感を高めるゲーム」としてのRPGの理解と普及を図りたいと考えております。
 これは「ラビットホール・ドロップス」を、学校教育・課外活動・障害者支援・病児支援などに用いられる方々向けの提供活動です(一般の方はご利用できません)。
RabbitHole Drops

 そんなRPGは面白い遊びというだけではなく、教育や障害者支援に有効ではなかろうか、と考えて行動している方々がいます。
 想像力を豊かにしたり、コミュミケーション能力を高めたりする効果、また自己実現による満足感を得ることにより、回復や成長の効果が考えられます。

 このゲームは、そのような活動に用いるために作成されたRPGです。
RabbitHole Drops

「支援用途でのノウハウを蓄積、交流」するのは良いのですが、それを行う人が、障害者対応の専門知識がない人がいる場合があります。
そういう人が「想像力を豊かにしたり、コミュミケーション能力を高めたりする効果、また自己実現による満足感を得ることにより、回復や成長の効果」を求めて、「支援」するなら、これは障害者対応の専門知識がない人に、治療用に用いよといっているのと同じです。


伏見氏が一般に求める「支援」は一緒に遊ぶことで治療的な意図はないと思うのですが、現状、そう読めかねない文章になっております。
誤解であれば、ぜひ修正していただきたい点です。

トラブル

@furuike20 トラブル時に責任を負えるのか、配慮はあるのか、という質問に対してのお返事です。その「トラブル」がなにを想定しているのか、お尋ねしたいところですが……(というのはTRPGの現場において対立があるのは大きなゲーム性の魅力だと考えていますから)。

TRPGは、トラブルを起こさないようにプレイする限りにおいては、かなり安全な遊びですが、そうでない場合は、その限りではありません。


失敗したTRPGのセッションというのは、数時間(RHDなら1時間)に及ぶ圧迫面接です。
そこではいかなることも起きえます。セクハラ、パワハラ、それに基づくトラウマ、人間関係の深刻な亀裂、新興宗教への勧誘、暴力沙汰等、枚挙がありません。


そうならないことを防ぐのが、「誰が偉いのではなく、皆で楽しむために遊ぶ」という意思統一です。
しかし、そこに「支援」が入ると、ややこしくなります。
伏見氏は、以下のように発言しています。

 あるいは、気づかないで、パーティの仲間たちが「あのさあ、騎士くん、ずっとずっと、自分が倒すって、自己中心的すぎるよね。見ていて面白くないんだよ」と言うかもしれません。


 ショックでしょうね。
 恥と怒りでゲームどころじゃなくなりそうです。
「うるさいよ、じゃあいいよ。もう一緒にゲームなんかやらねえよ!」
 と言って席を立つでしょうか?


 それもいいんじゃないかな、と思って設計されています。
 僕はわりとそういう子だったかな(笑)。


 その後、「やっぱり自分が悪かったな。謝ってまた遊ぼう」となるでしょうか。
 「奴らとはもうやらないけど、他で遊ぶ……こんどの仲間には嫌われないようにしようと気をつけながら」とするでしょうか。
 あるいは「もうTRPGはやらないけど、自分が夢中になってミスったというのは判った」となるでしょうか。


 どの結果でも「支援」は成功しているのです。つまり、このゲームを遊ばなかったら得られなかった経験を、「ダイレクトではなく、架空世界の冒険という体験として」そのプレイヤーに経験させることに成功しているのです。
 そして遊びの中でのトラブルは、現実のトラブルよりは解決が容易であります。これがプレイセラピーの大きな機能です。

騎士プレイヤーが、本気で怒って席を立つようなトラブルが起きている状況は危険です。
このようなトラブルが起きないように努力すべきであって、「遊びの中でのトラブルは、現実のトラブルよりは解決が容易であります。これがプレイセラピーの大きな機能」と言う立場でプレイするのは深刻に危険です。


先に書いたように、こうしたトラブルにおいて人が傷つく可能性があります。
次に、こうしたトラブルを「プレイセラピー」と捉えるならば、それを避けたり修正しようとしたりしなくなります。

@furuike20 トラブルがあること、責任を問われるようなクリティカルな事象が起こること、これらの危惧そのものが、児童や障害者に対する偏見に基づいているのではないか?ということは指摘させてください。TRPGはそれ自体がかなり安全な遊びなのです。そう共有しませんか?

児童や障害者とのセッションが、トラブルを起こしやすい状況としては、社会的立場の問題があげられます。
圧迫面接的なセッションがある時、逃げたり文句を言ったりできる状況ならいいのですが、立場が上の相手には、そう言い難い場合があります。また抱えている問題が共感されにくく、多数の圧力がかかる場合があります。


次に児童や障害者の中には心理的なトラブルに特に敏感であったり、傷つきやすかったりする人もいます。
児童、障害者一般がそうということは全くないのですが、そういう障害者もいるというのは現実です。そういう場合、それに基づいた対応が必要となるでしょう。
これを「児童や障害者に基づく偏見」というのなら、そもそも「児童」や「障害者」というのを、一律にまとめているのがおかしいのです。


障害について知らない人間は、多くの障害者を、はれもの扱いしてしまうところがあり、これは問題のある偏見です。伏見氏のおっしゃりたいことはそこだと思います。
しかし、「じゃあ問題なく誰とでも素敵なセッションできると思う(^o^)/」*1と言ってしまうのは、明らかに問題です。

子供にとっての遊び

TRPGの嫌な部分を強調した話になってしまい、忸怩たるものがありますので、少し話を変えて。


伏見氏は「遊びの中でのトラブルは、現実のトラブルよりは解決が容易であります」と書かれていますが、その実例はあげられていません。
私としてはその点をお聞きしたいと思います。


私が小学校の頃を思い出すに、「遊び」は、「現実」そのものでした。
小学生くらいの頃って、クラスの人間関係が大きな位置を占めます。その人間関係は、おおむね面白いウケを取る能力だったり、体育の能力だったりで決まっていました。
体育の時間や休み時間に行われる野球やサッカーは、そうした人間関係を決める大きなイベントであり、それぞれの威信がかかっていました。
そこで活躍できるやつは、クラスのリーダー格でしたし、下手なやつには、そもそもボールが回ってこない上で、運悪くボールが回ってきて失敗すると、クラス全体から蔑まれ、いじめられました。


サッカー嫌ならやらなきゃいいじゃん、というのはそうなんですが、小学校でクラスの空気を無視して、自分の世界を作れる子供というのは限られています。また授業なら強制になります。
自分の好む環境を作る裁量は、子供にはなかなかありません*2


さてさて、このあたりは体育が苦手だったオタクの告白ではあります(笑)。
集団球技に良い思い出のある方も多いでしょうし、そこから得られる素晴らしいことも沢山あると思います。*3
これは競争や勝敗をなくせということではありません。勝利に向かって努力し、敗北を悔しがり、スポーツがうまい子が評価されること自体は大切な経験だと思います。


しかし、子供は(まぁ大人も大抵そうですが)エスカレートして、「サッカーが下手=クズ」的な扱いをしがちです。
そうならないように、行き過ぎを見張り、もし、そうして傷ついた子がいたら、それに対応するのが指導というものでしょう。
そのために小学校では、先生が、ほとんどつきっきりで子供たちを見守っているわけで、本当にありがたいと思います。


逆に言うと卓上で一緒に、一時間、二時間プレイするだけでは、トラブルに対応しきるのは無理でしょう。ですから余計なトラブルを起こすべきではないのです。


ともあれ、小学生の私にとってサッカーは「仮想戦闘」ではなく現実そのもので、そこにおけるトラブルや、そこから発生した精神的苦痛も、これ以上ないほど現実のものでした。
「いじめや喧嘩もこみでサッカーやドッジボールが安全」とか、「スポーツでのトラブルは現実でのトラブルより解決が容易」という人がいたら、私は考えなおしてほしいと思います。


以上は、私の実体験です。
「遊びのトラブル」は「現実のトラブル」でした。かつてもそうですし、今もそうです。
TRPGでも、それと同じことが起きうるのです。

TRPGと経験

ここで伏見氏のおっしゃりたいことは、TRPGという仮想の現実の中で、様々な体験を積むことには価値があるということだと思います。


それは全くそのとおりだと思います。
トラブルが起きるからゲームが悪いわけではありません。
経験することが目的であると伏見氏がおっしゃるのであれば、なおさらトラブルを回避するためのマスタリングガイドやケーススタディ、プレイングガイドなどが必要ではないでしょうか。
どうせ経験するなら楽しく、もめ事が少ないほうがよいでしょうから。


現状の書き方では、あたかも伏見氏はトラブルを起こして子供の心を傷つけ、乗り越えてもらうことこそが支援活動の一貫だ、と読めてしまいます。
もちろんそのような意図はないでしょうから、文章を修正なさったほうがよろしいかと存じます。

*1: https://twitter.com/pumimin/statuses/209466402497773571?tw_i=209466402497773571

*2:もちろん大人だからって、好きな環境をいつでも選べるわけではありません。パワハラが問題なのはそこです。

*3:ただ、そういう方でも、いじめを誘発すること自体は別にサッカーの面白さではなく、そうしないようにしたほうがいいことは同意いただけるかと思うのです