TRPGと複雑な物語性

http://d.hatena.ne.jp/xenoth/20071217/p1
前回の記事では、TRPGが、ゲームを中心に置くために、必然的にそこから生まれる物語が限定されやすいことについて述べた。
具体的に言うと、努力・友情・勝利といった物語が相性がいい。
それはそれで面白く素晴らしいが、もちろん、それ以外の形の物語があってもいい。
そこについて調べてみよう。

勝利の否定

TRPGにおいて、ゲーム性が成立するためには、実現可能な勝利条件がある。
これによって、TRPGのストーリーは「頑張れば夢は叶う」というものになる。
これを否定する方法論を考察する。
夢が叶わなくても面白いTRPG……すなわちPCが負けたり死んだりしても楽しいTRPGがあればいい。それはつまり「PLの勝利条件とPCの勝利条件の分離」である、と、考えられる。
つまり、「PCのやりたいこと」≠「PLのやりたいこと」というゲームだ。


まず夢が叶わないTRPG。すなわちPCが負けたり死んだりしても楽しいTRPGを考えてみよう。
そういうシステムはあるか?
ある。
というわけで、まずは具体的なシステム例から。


以下、個人の感想を含むが、「天羅万象」とかは、例えば、若武者の成長を見届けた、蟲サムライが、最後、路地裏で凶漢に殺されて非業の死を遂げる、なんていうシーンが面白く、むしろ、PLが勝手にそういうシーンを演出したりした気がする。
天羅万象というゲームは、「PCのやりたいこと」は、最初、ある程度ネガティブな形で提示される場合がある。サムライは戦いを好み、金剛機は暗殺を好む、という風に。
セッションの中で、そうした「PCのやりたいこと」(因縁)をPLが変化させてゆくことが(あるいは他のPCを変化させるきっかけになることが)、天羅の勝利条件となる。
このように、PCとPLの勝利条件が大きく分離されているから、「路地裏でなんじゃぁこりゃぁ」といった演出をする余地が生まれる。


天羅において、PCは超人である、というのも、見逃せない。
サムライが雑兵に無敵だからこそ、力こそ全て、というのを考え直す余地がある。
雑兵とカツカツに戦っている状況だと、なかなかそんな哲学している余裕はない、というわけだ*1


あとはクトゥルフの呼び声やPARANOIAなども、ある程度、そういうところはある。
両方ともPCが悲惨な死を遂げることが、あらかじめ、ある程度組み込まれている*2ゲームであるため、PCが死ぬことを楽しんだりする余裕がある。
PCが死んでもいい理由として、クトゥルフパラノイアでは、複数キャラクターが前提になっている、というのもある*3


「複数キャラクター前提のプレイ」という点で、面白いのが、ブレイド・オブ・アルカナ3rdからはじまった「エピック・プレイ」という概念だ。
これは一人の英雄の歴史を多角的に描いていこうというもので、例えば、同じ英雄であっても、年齢や登場するストーリーにおいて、その物語的立ち位置というのは異なる。それをプレイに反映させよう、というものだ。
生まれた時は「いたずらもの(トリックスター)」成長した時は「戦士」壮年となれば「王」というわけだ。
エピック・プレイは、そうした多面性を取り入れるために、具体的には、自分のPCデータの一部、あるいは全部を、毎回作り直す。


エピックプレイは単純な経年変化にとどまらない。実際の伝説においても、英雄の業績というのは、ばらばらであり、相互に矛盾していたりもする。また当然、視点が違えば、救国の英雄が、邪悪の化身となったりもする。
なので、エピックプレイでは、矛盾する設定を持っていて構わない。極端な話、同一人物である必要もない。


あるセッションにおける英雄の業績を、次のセッションでは征服民の立場から描き出す。年老いた英雄が若い頃の業績に後悔したり、あるいは、英雄の名を借りる偽物を登場させ、本物の英雄とは何か、という話もできる。
いや別に毎回、矛盾させたり鬱展開にさせる必要はない*4のだが、いずれにしろ、単純な「夢は叶う」という方程式に、無理なく一石を投じるゲームであることは言うまでもない。


エピックプレイは、「英雄伝説」を描くブレカナにふさわしいギミックだが、これも、他のシステムに当てはめてみると面白そうだ。既にN◎VAではクロニクルプレイが発表されている。ストリートの闇、都市伝説の霧というのも、伝説の広がりと同じくらい、複雑微妙なものだ、と、考えてゆけば、面白いセッション、物語は色々浮かぶ。天羅も、感覚的に相性は良さそうだ。元々、幕が変わると、立ち位置ががらりと変わるシステムだったりするわけだし。まぁこのへんは思いつきのレベル。


というわけで、まずは、勝利の否定。「PLとPCの勝利条件の分離」について述べてみた。
ここで挙げた以外にも、これを成立させるギミックは数多いと思う。これは、というのがあったら是非教えていただきたい。

*1:このへんは設定レベルの話であり、実際の天羅のセッションで、戦闘が楽勝とは限らない。カツカツに悲惨な戦闘が起きることはよくある

*2:とはいえクトゥルフパラノイアも、「悲惨な死があることを前提に悪あがきする」ゲームであって、華々しく死ぬためのゲームではないが

*3:クトゥルフには、そういうシステムはないが、キャンペーンをやる場合とかは、どんどん、後継キャラが投入されるという意味で

*4:複雑な物語は高等な物語ではない。無駄に複雑なことやろうとして、つまらんセッションにしてもしょうがない