マリオは上達するから面白い
マリオ的TRPGについて
スーパーマリオというゲームは、始めてプレイする人がルールを理解でき、すぐ遊ぶことができる(あるいは、できやすい)。
そういう敷居の低い、間口の広いTRPGが出てくるといいなぁ、とは、誰しも思うだろう。
では、それは、どのように達成されるか?
いや、すぐ作れるものなら、作ってTRPG界に貢献するわけだが(笑)、そこまで頭は良くな
いので、とりとめなく考えて見る。
ルールの完全性と敷居の高さ
ちょっと話がずれるが、TRPGにおける行動、判定というのは、様々に解釈の余地がある。ルールに直接書いてない行動をプレイヤーが行うことができるし、ルールの範囲でもGMの解釈で判定が異なることが多い。
多くのボードゲームのように、プレイヤーの出来ることと勝利条件が、かっきりはっきり決まっているわけではない。
これを指して、TRPGのルールの不完全性が、敷居の高さと結びつけて語られることがある。
では、考えてみよう。
囲碁や将棋って、そんなに敷居低いだろうか?
ルールは明確だけど、そのルールを覚えて、ちゃんと遊べるようになるには、結構、敷居は高いと思う。
おおかたのプレイヤーにとっては、マリオのほうが囲碁より敷居は低いんじゃなかろか。
一方のマリオは、ボードゲーム的にルールが完全か、というと、実はそんなことはない。
コンピュータゲームなので、ある意味、ルールは固定だが、プレイヤーの実感としては、プレイするにつれて、様々な新しい要素、隠し要素が登場し、ルールは常に付け加えられ、更新されてゆく*1。
そこには将棋や囲碁のように一貫したルールがあるわけではなく、勝利条件だって「ピーチ姫を救うために最終面を目指す」というもので、「王を詰める」とか「地を取る」といった数学的な正確さはもたない。
ルールの完全性は、実は、敷居の高い低いとは、必ずしも関係ないことが、ここから分かる。
マリオの敷居の低さ
では、マリオは、どこが敷居が低いか?
言うまでもなく、ものすごく沢山の工夫と試行錯誤があって、数行で分析できるようなものじゃない。
以下のは、大ざっぱすぎて、マリオに限らない、コンピューターアクションゲーム一般の話になっちゃってるが、まぁ考えの方法として、幾つか考えて見た。
操作系の限定
マリオのコントローラーは、パッドだ。つまり、十字キーとボタンのみだ。
プレイヤーは、パッドを渡されたら、まぁとりあえずボタンを触ってみるだろう。
「最初に何をしていいか?」を迷うことがない。
TRPGの場合、(極端な例だと)「君たちは冒険者だ! さぁ自由に振る舞え!」と言われても、何をどうしたらいいか、わからない、ということが起きがちだ。
自由に行動できる分、どうしたらいいか、わからなくなる、というのは、ある。
対話型直感的インターフェース
マリオの場合、ボタンを押すと、必ず画面に何かしらの反応がある。
マリオが動く。穴に落ちる。敵に触れて死ぬ。右にゆくと戻れないから、どんどん右=前へ進む。
自分の起こしたアクションに対して、自動的にリアクションが生じるし、それが、大変にわかりやすい。
(ほとんどの)ボードゲームの場合、ボードで何かしても、コンピュータ並のリアクションが帰ってきたりはしないので、敷居が高いと言える*2。
TRPGは、対話型のゲームであり、自分の行動に対するリアクションはGMが説明するわけだから、そこはマリオ的と言ってもいいだろう。
ただし、判定に関しては、穴を飛び越す場合、「敏捷値+跳躍技能+2D6と難易度を比較」というのは、「マリオが走りすぎて穴に落ちて死亡」に比べて、どうしても、わかりにくい。
結論その1
プレイヤーにとっての、マリオと、通常のTRPGのわかりやすさを比較した場合、操作系の限定と、リアクションが生成される過程の直感性において劣る。
逆に言うと、ここをクリアすると、「とっつきやすい」TRPGが出来るのではないかと*3。
操作系の限定
多くのTRPGでは、戦闘シーンになれば、ボードゲーム的に、選択肢が明確化される。
+αとして、ルールにない行動(地面に油をまくとか)をGMが判断するという形になっている。
通常シーンでも、同じことはできるだろう。
通常のTRPGのように好きな行動、自由な会話も認めた上で、調べる、話す、移動する、等の基本的なことを「コマンド」として設定しておけば、何ができるか、何をしたらいいかが、整理されわかりやすくなるだろう。
直感性
今のTRPGでよくあるシステムの中では、「ダイスを振って大きい目を出す」というのは、なにがしかの納得力がある。
メタルフィギュアでマップ戦闘などというのも、直感性に訴えるシステムだ。
そうしたボードゲーム系のギミックを多く盛り込み、ルールの見通しをよくすることで、より直感性の高い判定ルールが可能になるだろう。
GMを含めた場合
上記は、あくまでプレイヤー側から見た場合である。つまり、TRPGにおけるGMの話が排除されている。
良いGMとプレイできるなら、TRPGは、結構、とっつきやすい、というのは、実は言うまでもなく、本当の問題は、始めてTRPGをする人が、迷い無くGMをできるようなものとは、どういうゲームか、という話だ。
ボードゲーム等との比較も、ここで意味を持つ。
つまり、ボードゲームでの審判、処理はルールに従うだけでいいが、GMの場合は、その「ルールに従う」ことだけで、初めての人は一苦労である、という点だ。
では、GMの苦労をもう少し簡単にする場合は何が必要だろうか?
GMの苦労の軽減
単純に考えると、苦労が集中しているのなら、分散させるべきだ。
分散させる対象は、おおざっぱに考えて3つ。
システム・シナリオ・プレイヤーだ。
システムやシナリオで対応力を増そうとする場合、「様々なシチュエーションに対応できる細かいサプリ、イベントの山」とかを作っても、それを読んで理解するのがGMの仕事ということを考えなければいけない。
単純に増強するだけでは、かえって、敷居を上げかねない。
「色々対応できたほうがいい」「でも覚えることは少ないほうがいい」これをどう解決するか?
ちょっといいアイディアが浮かばない。
ぼんやりと思うのは、サタスペとかでよくあるような、ミニゲーム、ミニルールを、シナリオのほうに搭載することだ。
これによって、
基本ルール+サプリの山全部
を読み込むのではなく、
基本ルール+そのシナリオに最低限必要なルール
を読み込むことになり、GMの負担が減る(かもしれない)。
プレイヤーへの分散というのは、わりと面白いんじゃないかと思う。文殊の知恵というか、何人かいる場合は、たいてい一人、いいことを思いつくことが多いからだ。
ただこの場合、プレイヤーが自分の求める方向に誘導したがる場合とか、GMが予定したストーリーが崩れて対応に追われるといった問題が、通常発生する。
逆に、そういう問題が発生しえないシステムにすると、結構、ゆけるかもしれない。
「条件付きでプレイヤーに判定を委ねる」システムとか、面白そうよね。こなれるまで時間がかかりそうだけど。
TRPGとして面白いこと
長々と語った上で、いきなり前提を覆すが、たとえば、「GMがゲームブック朗読して、PLに選択肢を選ばせる」というのをTRPGと呼んでよければ、それは確かに簡単で敷居が低いゲームになりうる。
まぁただ、それって、なんか違うよね。面白くなさそう*4。
敷居が低くても面白そうでない限り、意味がない。
マリオが敷居が低いのは、操作性の直感性とかに加えて、ぱっと見て、なんか面白そうで、実際遊ぶと、すごく面白い、先が見たくなる、攻略しがいがある、という点が何より重要なのは言うまでもない。
TRPGならではの面白さを生かした形で、かつ、敷居を低くするためには、何が必要か、というのを押さえないと、この議論はあまり意味がない。
まず「自分にとってのTRPGの面白さは何か?」「始めてTRPGをする人に伝えたい面白さは何か?」そこを意識するところから考え直したほうがよさそうだ。
以上、とりとめのない思考実験でした。
補記
今回の記事を書いたきっかけは、以下。
http://d.hatena.ne.jp/gginc/20091009/1255073604
ところでTRPGには,ボードゲームからの根本的な批判があって,「現場の人間がゲームを補完しないと遊べないゲームは,単なる欠陥品ではないか?」ということがしばしば言われます。それに対して「いや,そこを〈補完〉するのが面白みなんだよ」というのは簡単ですし,TRPG文化になじんだ人に取っては直感的に正しいかもしれませんが,それは適切に問題に答えたことにはなっていません。それは「ゲームを成立させるための営みが,それによって成立したゲームと同様面白い」と言っているだけで,「ゲームが成立しなかった場合のリスク」について何も応えられていないからです。そして,ゲームを補完するための技術=TRPGにおける上達,という図式は,いつまでも消えない。
こちらを読んで、話はずれるけどスーパーマリオとかも、「プレイヤーがゲームを補完して遊んで」いないか、と思ったわけです。Fallout3とかの、箱庭型CRPGなんかは、もっと典型ですわな。
リテラシー0で遊べるということと、ゲームの補完の必要性とは、実は矛盾しないんじゃないか。であるなら、何が考えられるか、という方向でつらつら考えてみたのでした。