なんのための定義なのか

定義と厳密性

http://d.hatena.ne.jp/gginc/20100825/1282708102


ここでのVampire.Sさんの意見は、おおざっぱにまとめるなら、
・何が言いたいのかわからない
・「質的情報」、「量的情報を」、客観的に分類、評価することが難しい。
・たとえば、特定のリプレイから「この文章は、量的、この文章は質的。質的253カ所、量的122箇所、約67:33」みたいに客観的な抽出・分析が可能ならば意味がある。
・逆に、そうした検証可能な枠組みを持たない場合、論や定義に何の目的があるのか。
・もちろん、TRPGというのは、そうした枠組みを作るのが大変に難しいジャンルではあるのだが。

と言ったものである。

定義の目的

これらの批判は全て意味を持つが、xenothの私見からすると、最初のところ、つまり「何が言いたいか」で躓いているようにも思える。


元々TRPGには、決まった形式もない。「これがTRPGだ」と言えば、大体はいったもんがち……というのは言い過ぎかもしれないが、それに近いところはある。
故に、どんな定義を行っても、実際にTRPGと呼ばれるゲームや、その想定される展開が、そこから漏れたり矛盾したりすることは避けられない。


では、それらの問題点を踏まえた上で、何のために、定義を行うのか?
まずは、そこの表明が大切になる。

TRPGらしさ

ここで高橋氏が念頭に置いてるのは、「TRPGらしさの一つの分析」だろう。
具体的には、こういうことだ。


TRPGとは、架空世界での想像力の遊戯とされる。
ただ、これだけでは、目的もなく秩序もなく、ルールも技術もなく、なんとなく妄想を言い合ってるだけ、という感じのものが思い浮かぶ。


実際には、TRPGにはルールがあり、また、システムごと、セッションごとに目的が設定されている場合がほとんどである。


じゃぁ、今度は逆に、通常のボードゲームとTRPGが何が違うのか、という話になる。TRPGと将棋はどう違うか、あるいは、D&Dと、ファンタジー・ミニチュアウォーゲームは、どう違うか。

設定とデータ

高橋氏が考える、「TRPGらしさの一つ」とは、文章設定とルール・システム上のデータの、相互のやりとりである。


設定からシステム・データが生まれ、システム・データから、設定への変化が生まれる。


たとえば、「ゴブリンに襲われている村」という設定がある。
ここから、「ゴブリンを倒して村を救え!」というゲームの目的が作られ、また、「ゴブリンの住む洞窟のダンジョンマップ」「ゴブリンとゴブリンシャーマンとゴブリンボス」といったデータが作られる。
PCが、ゲームシステムによってゴブリンと戦闘し、退治することで、「ゴブリンに襲われている村」という設定は、「かつてゴブリンに襲われていたが今は平和で、冒険者達に感謝している村」に変化する。


PL視点なら、最初に、「戦士」というデータがあり、それを、「ゴブリン退治のシナリオ」という設定の中で、「村出身の若者。村の平和を気に懸けている」とか「流れ者の傭兵。世間の狭い村人のことは軽蔑しているが、それは安定した生活や幸せへの憧れの裏返しでもある」といった設定に落とし込んでゆく。
そうした設定から、それにふさわしい技能や装備を取ったりしてゆく。
セッションを終えることで、その性格づけも変化してゆく。


このように、背景設定とデータが、GMやPLを通して、相互にやりとりがあるのが、「TRPGらしさ」の一つではないか、というものだ。

TRPGらしさの補足

上記は、「TRPGの厳密な定義」としては微妙である。
「設定とデータ」のやりとりが、それなりにあるボードゲームなども存在するし、やりとりが少なめのTRPGも存在する。また「設定とデータ」の厳密な区別というのも簡単ではない。


ただ、「TRPGらしさ」とされるものの一端を、上記は直感的に捉えているとは言っていいのではないか。

TRPGらしさと分析

上記の点が、TRPGらしさの一つである、というのに同意をもらえたとして、そこからどう進むべきか?


方法論は様々だが、私は、「各TRPGにおける、データと設定のやりとりの具体例」に注目する。


例えば、キャラクターメイキングの際、境遇などを決定するゲームがある。それらは直接データに関連しない場合もあり、関連する場合もある。
PC間の関係を決めたり、ハンドアウトで指定したりするシステムも、上記の「TRPGらしさ」を実装する手段の一つだろう。


そういうのを、たとえば、数十なり数百なりのTRPGシステムについて、抽出し、分析、比較してみれば、論として意味があるものが作れるだろう。