TRPGとキャラクター

老魔術師最後の舞台

こんな小説を読んだ。
引退していた老魔術師が、とある依頼で人生最後の華を咲かせるべく出動する。それを手助けする若者。老魔術師は、依頼の成功と引き替えに自らも命を落とす。


とても面白かったので、TRPGのシナリオにしようと思った。
私の場合、老人はNPCとして、それを手助けする若者をPCに振るという構成にした。
これ以外が不可能というつもりは全く無いが、おおむね一般的なやりかただと思われる。
たいていのシステムで、普通にシナリオを組む場合、そうするGMが多いと考えられる。
では、なぜ、そうなるのだろうか?

エピソードのためのキャラ、キャラのためのエピソード

老魔術師がPCに向かない理由は、様々である。
まず、最後で死ぬこと(笑)
それを筆頭にして、キャラクターのメイキングおよびプレイングの幅が、かなり強く制限されることだ。


ではなぜ、老魔術師の行動や設定が制限されるのか?
それは、このキャラクターが、シナリオを前提として、シナリオのために作られるキャラクターであるからに他ならない。
老魔術師の設定もプレイングもシナリオのためにあり、また、シナリオが終われば、このキャラクターは基本的に登場する意味がない(故に死ぬ、とも言える)。
つまり、「エピソードのためのキャラクター」なわけだ。


一方、PCにとって、各シナリオは通過点である。一個の冒険が終われば、成長処理を行い、次の冒険を始める。
このシナリオは、PCがPCらしく冒険するためにあるのであって、逆ではない。
いわば、「キャラクターのためのエピソード」なわけだ。
であるから、PCの行動や設定は、シナリオに縛られすぎてはいけない。むしろ、PCがPCらしく行動できるように、シナリオが準備されていないといけない。*1


これは小説でも同じで、最初に述べた小説では老魔術師はその時限りのキャラであり、主人公の若者は継続して登場するキャラだった。
老魔術師は、そのエピソードのためのキャラクター。
そして、そのエピソードは、主人公の若者を際立たせるためにあった、と、分析することができる。

予定調和と打開

さて、このシナリオを作ったとして、実際にセッションした場合、ありそうなのは、どういう展開だろう?
ありがちな話として、爺さんの死亡フラグがバリバリなのを見かねて、プレイヤーは爺さんを死なせないようにしようとするかもしれない。
もし、PLがそう望むのであれば、それを障害として提示し、努力次第でクリアできるようにしたほうがPLの満足度は高まるだろう。
私なら、そういうマスタリングをする。


これも、「エピソードのためのキャラ」か「キャラのためのエピソード」か、の問題である。
エピソードを主体にして考えた場合、老魔術師は死亡して、若い世代に道を譲るエンディングとしたほうが完成度が高い。
一方で、PCたちを主体にして考えるのなら、PCが予定調和をぶっこわしたほうが、エピソードは陳腐かもしれないが、PCはカッコイイ。


あるいはもう一つの観点として、PL視点がある。
PLにとって、ゲームの達成感は、「自分がいることによってストーリーを作った」ということにあるだろう。
この時、見えている予定調和を変えたいのに全く変えられないとする場合、「自分がいた」意味が薄れ、つまらないことになる。*2
よって、PL視点からするなら、望まない予定調和を変えうることが、ゲームの達成感につながる。
この場合なら、依頼も達成して、かつ、老魔術師も助ける、というのが、達成感につながるわけだ。

TRPGにおける良いお話

TRPGにおけるストーリーとして、以下の3点から分析した。
・エピソードのためのキャラ
・キャラのためのエピソード
・PLの達成感と予定調和の超越


これら3点を混同すると、「美しいお話」を作ったつもりで、「TRPGとしてはつまらないセッション」ができうるので、気を付けたい。

*1:もちろん、これは一般的な話で、こうした制限があることを承知の上で、全員で協力して、敢えてシナリオ縛りが強いキャラをPCにするのはそれはそれでTRPGの可能性である。それらを支援するルールもあるし、推奨するシステムもあるだろう。要は、ルールやシステムを選び、全員でそういうゲームだと了解を取り、それに応じた準備をすべきだ、という話だ。

*2:だからってもちろん、PLが自由を感じたいがために、重要NPCを辻斬りしまくるみたいなのは問題だ。GMおよびPL全員が満足できる展開を求める中に、ある程度の予定調和は存在する。その上で、という話である。