なりきりとキャラクター

(要約)
「なりきり」とは、キャラクターになりきることを重視するプレイスタイルである。
では「キャラクターとは何か」という観点から、なりきりの方向性を二つに分けることができる。

TRPGとなりきり

まず注意すべき点だが、TRPGで「なりきり」と言った場合、ネガティブな印象が強いと言っていいと思う。


TRPGで「なりきり」と呼ばれるのは、キャラクターへの感情移入や、感情移入を伴った演技……つまり、キャラの気持ちになってセリフを言うことだろう。
ただ、元々TRPGで、そうした演技をするのは普通のことだ。


それ故に、「なりきり」と言った場合、「普段からやっていることを、他よりも特に強調すること」を意味するわけで、どうしても「過剰に感情移入すること」「過剰に演技すること」といったマイナスイメージが伴う。


なので、ここでは、「なりきり」という言葉を一端、避けて、「TRPGにおけるキャラクターの再現/模倣」という方向性で考えて見よう。

キャラクターの成立と認識

現実の人間、フィクションのキャラクター、TRPGのキャラは、どういう風に形成されるか?


人に歴史有り、という。
生まれ育った文化や環境、出会った人々や事件、そうしたものに深く影響されて人間は育ってゆく。
たとえば違う時代で違う環境に生まれたら、まったく違う人間に育つ可能性が高い。
人間のキャラクターは、そうした背景、歴史と不可分だと言える。
これは架空世界でもそうで、たとえば、ファンタジーの世界の剣士がいたら、その人の性格は、その人が生まれ育ち、剣士となるまでの歴史と切り離すことはできない。
中世の身分社会で、どのように育ったか、どのように考えたか、それらがその「剣士」の心を作っているわけだ。


一方で、我々が他人と会う時、いちいち、その人の歴史やら人生のイベントやらを把握してられないし、そこまで考えないことが多い。
社長さんに会ったら「ああ社長さんだな」とか「ワンマンな社長さんだな」とか、そういう風に、今、目の前にいる人間の性格だけを把握する。
つまり、結果として出来た「キャラクター」だけに注目するわけだ。


これはキャラクターを「過程の産物」として見るか、「結果」として見るかの差である。


たとえば小説やマンガなどで、登場人物を作り出す場合、作り手の多くは、キャラに奥行きを出すために、本編に登場しないところまで含めて、経歴を細かく作り込むことが多い。
一方で、それを読んだ読者は、結果としての「キャラクター」だけを取り出して二次創作したりする。
その結果、「ファンタジー世界の剣士」が、「世話焼きのあんちゃん」という部分で理解され、「学園物」のキャラとして登場したりすることにもなる。
中世社会において、その剣士が、「世話焼きのあんちゃん」という性格を得るに至った経緯は、現代学園で同じ性格が得られるまでの過程とは、多分、別物であり、それらが「同じ人物」と言えるかどうかは疑問があるわけだが、まぁそういうことはあんまり気にしないわけだ。


「キャラクターを再現する」と言った場合も、大きく分けて、上記の二つのアプローチがあるだろう。
1つは、「キャラクターの背景」に注目して再現する場合。
もう1つは、出来上がった「キャラクターの属性」に注目して再現する場合だ。
「TRPGにおけるキャラクターの再現」と言っても、この二つは、かなり違うアプローチと言えるだろう。

背景の分類

キャラクターを構築する背景について、おおざっぱに思いついた要素をあげてみる。

所属文化

人間は、誰しも自分の所属する文化から、大きな影響を受ける。
例えば中世的な身分社会に生まれれば、身分社会の秩序を当然のものとして受け止めるし、何かの契機がなければ、それを疑ったりはしないだろう。
逆に、現代日本に生まれたら、身分社会というものに否定的になる場合が多いだろう。無論、身分社会にもそれなりの必然性とメリット、時代の要請があったりするわけだが、そうした知識を持ってないことが多いだろう。よく知っているとすれば、それもそれで何らかの契機があったのかもしれない。


TRPGにおいて、キャラクターの所属文化をデータとして決定し、それによってキャラクターが影響を受けるというルールは幾つか存在する。
ルーンクエストなどでは、生まれによって取れるカルト等が、だいたい決まってくる。
カオスフレアでは、キャラメイクの際、ミーム≒所属文化を決め、そのミームから具体的な職業≒ブランチの選択肢が決定される。

家庭環境・経歴

人間は、生まれ育った環境から大きな影響を受ける。
両親はどうだったか。貧乏か裕福か。兄弟姉妹はいるのか、いた場合は、どんな位置か。
そうした様々な要素や、そこから出会った様々な出来事が、人間性を作ってゆくだろう。


TRPGでは、経歴表などがこれにあたるだろう。
トラベラーなどは顕著で、最初に能力値を決めたあとは、経歴表を振って技能や資格、身分を得てゆくことが、ほぼキャラクターメイクの全てだったりする。

属性の分類

キャラクターを理解する際の属性について、おおざっぱに思いついた要素をあげてみる。

性別年齢職業

他人を把握する時の、おおざっぱな情報として、たとえば「十代・男・学生」とか「三十代・女性・主婦」とか、そういう捉え方があるだろう。


TRPGなら、基本クラスとかがこれに当たるだろう。「ファイター」とか「マジックユーザー」とか「カゲ◎ カタナ チャクラ●」とか。

性格

他人のキャラクターの理解、第一印象となるものは、やっぱり性格だろう。
優しい/厳しい、冷酷/温和、ツンデレ、天然、その他色々。
特にフィクションのキャラにおいては、性格が、一番最初に来ることが多い。


フィクションのキャラにおいて重要な要素であるにもかかわらず、TRPGで、直接、性格をデータとして記述するゲームは、必ずしも多くない。
なぜ、そうなってるかは分析の必要があるだろう。

能力・スペック

他人を把握する時に、能力・特長で把握することも多い。
「美形」とか「年収500万」とか「剣道三段」とか、そういうのが第一印象になることも多いだろう。
フィクションのキャラではさらに顕著で、たとえば、「ウルトラマン」は「スペシウム光線」とか、「仮面ライダー」は「ライダーキック」とか「ジョーカーエクストリーム」とか、キャラすなわち必殺技という風に、認識されることも多い。


能力・スペックは、多くのTRPGにおいて、キャラクターメイキングの際に、一番細かく表現されるところだろう。戦闘系のTRPGなら、戦闘に関する能力、それ以外ならそれ以外の能力などの集積が、キャラクターデータのメインであるといっても過言ではない。

立ち位置・関係性

他人を把握する時に、集団内の立ち位置や関係性で把握することも多い。
「チームのリーダー」とか「恋人同士」とか「三角関係」である。
フィクションのキャラでも、立ち位置・関係性は性格に並んで重要な要素と言えよう。
第一印象が「○○のライバル」とか「○○の師匠」という風に表現されるキャラクターもある。


TRPGで言うなら、パーティ、NPC間の関係性や、シナリオにおける立ち位置などを記述するルールが、これに当たるだろう。
たとえばダブルクロスでは、PCは関係するPCやNPCに対して、ポジティブ、ネガティブ2つの感情を取るルールがある。

どの要素を強調するか?

以上、二つのグループで5つの要素と、それに関連するTRPGのシステム・ルールをあげてみた。無論、他にも要素はあるだろうし、また、分け方にも恣意的な面はあるが、ひとまず思いついた要素ということである。


さて、これらの要素のどれを重視して、どれを軽視するかは、人それぞれの求めるプレイスタイルや、各TRPGのシステムごとに異なるだろう。

なりチャの場合:「属性:性格」を重視する立場

いわゆる「なりきりチャット」で、特定のフィクションキャラになりきる場合、まず「属性:性格」が重視されやすいと考える。
背景における所属文化や経歴から、キャラクターの性格の根本について思い巡らすことはできるが、そうしたものは、「なりチャ」では有効に機能しづらいと思われる。
なぜなら、短い会話の集りであるチャットという環境の中で、自分がそのように解釈した過程をいちいち説明することは難しいから、そうした独自解釈は、単にキャラの性格を把握し間違えたことと区別がつきにくいからだ。
「能力:スペック」も、チャットでは扱いづらいかもしれない。
ルールやデータがないので、必殺技の強さ、とか、どっちが強いか、とかを、簡潔に判断する基準がないからだ。
一般に、「なりきり」と言う場合、この、「属性:性格」をもっとも重視する立場、という理解が近いと思われる。
それは、なりきりチャットでは、意味があり、重要な立場だ。


TRPGなどに、なりチャの常識を持ち込んだ場合に起きうるのが、「属性:性格」を最重視する立場との対立である。


「なりチャ」では、「かっこいいキャラだからファンブルとかしない」は、そのようにロールプレイすればいいのでアリである。
一方で、TRPGで、「俺のキャラは美形でかっこいいから、ここでファンブルとかありえない」といってダイス目を無視したら、それは問題である。
いわゆる「なりきりへの悪いイメージ/偏見」は、おおざっぱに上記の、「俺のキャラは美形でかっこいいから、ここでファンブルとかありえない」に集約されるのではないか。


もちろん、TRPGでも「属性:性格」を重視してよいのだが、ルールにない手段で、それを強制することはよろしくない、というわけだ。


筆者は、なりチャは、あまりやったことはないので、上記は、かなり一面的な話で偏見が混じっていると思われる。
実際には、なりチャにも様々なプレイスタイルがあるだろう。補足をいただければ嬉しい。


上記はあくまで、「チャット環境なので、行動説明に長い理由が書きにくい」「客観的な行為判定がない」ことから、「属性:性格」が最重視されやすいのではないか、という推測である。

TRPGの場合

一般的なTRPGの場合、数人での数時間のセッションや、それをつなげたキャンペーンが基本となる。
この時、「卓の全員が楽しみ、円滑にプレイすること」が重要となり、そのために全員の見解、考えのすりあわせが重要となる。
一人のプレイヤーが、他のプレイヤーやNPCとまるで関係ないことをしている、というのは、通常、TRPGにおいては推奨されない*1。なぜなら、そのプレイヤーが自分だけの行動をしている間、他のプレイヤーやGMはつまらないからである。
どの要素を重視するかは、そうしたTRPGの性質と大きく関連する。


まず、TRPGのキャラメイクで重要なのが、「属性:能力、スペック」の部分である。
多くのTRPGが、「PCが力を合わせて目的を達成する過程を判定してゆく」というものであるため、プレイヤーは、お互いの能力をみながら、どういう能力を分担し、それぞれの能力をどう組み合わせて目的を達成するかを考えてゆく。


TRPGが「能力による目的達成」だけなら、能力だけ見ていればいいわけだが、TRPGには「協力してドラマを作る」という側面もある。そうした時に、PL同士、GMとPLが絡みやすくするためには、「属性:関係性、立ち位置」の確認と共有が重要になる。


「背景:所属文化」は、面白い要素ではありつつ、実は、問題の起きやすいところでもある。
「文化」に関する認識は知識量の違いからすりあわせが難しく、また現実の偏見や差別が噴出しやすい点でもあるからだ。
「中世のファイターは、そんなことを考えない!」とか言い出して議論になると、セッションは破綻しやすい。「この文化は男女差別が普通」とか言われて仮にそれが真実でも、男女差別なプレイングが不快ならやめるべきである。
多くのTRPGは、文化背景を取り入れつつも、だいたいにおいて現代人のメンタリティでプレイできるように、誰かを傷つけることがないように様々なフォローがされている。


「背景:経歴」は、キャラクターへの理解を深めるためには重要なポイントだが、経歴はPC個人に属する情報なので、他のPCと関連していない場合がある。
そのため、「背景:経歴」を一番上に置いた場合には、問題が生じうる。
たとえばゲーム中に、「俺の経歴はこうこうこうなので……」という話をあんまり長くされても、他の人には関係なくてつまらなかったりするわけだ。
また、たとえば、みんながゴブリン退治に洞窟にでかけようという時に、ひとりで「俺はゴブリンとか無視して父の敵を討ちにゆくぜ」とか言われて、つまらなくなる、といった問題が起きうる。


「属性:性格」は、TRPGでもキャラクターの重要な構成要素である。
キャラクターの自己紹介では「属性:能力、スペック」と同時に性格の話をするだろう。
一方でマイナス面で考えた場合、「属性:性格」に過剰にこだわると、なりチャの項で述べたように、ルールを無視しだしたり、皆で面白く遊ぼうとするのを無視して、孤立するといった問題につながりうる。
そこまでいかなくても、パーティで、キャラが(性格が)被らないようにする、というのは普通の配慮だろう。

LARPの場合

LARPというのは、ライブアクションRPGの略で、この場合は、海外でやるようなものを想定している。
LARPの場合、大勢の人間がいっぺんにプレイするため、TRPGと違って、パーティ内の関係性というのは、あまり重視されないだろう。よって「属性:関係性、立ち位置」はTRPGほど重視されない。
パーティの関係性に代わって、お互いを結びつけるのは、LARPの場合、雰囲気や背景の共有であり、つまり「背景:所属世界」が重要になるだろう。
中世を舞台にしたLARPであれば、実際の中世の考証に基づいたコスプレや、古語でのトークが、評価されるだろう。

結論

以上、キャラクターを成立させるものを、背景と属性の2種類に分け、「なりチャ」「TRPG」「LARP」という、プレイ環境の違いから、どれが重視されやすいかをおおざっぱに(大変におおざっぱに)分析してみた。
TRPGをデザインする際、キャラクターメイクの方法論の一視点として見てもらえれば幸いである。


長く書いたものの、内容としては「最近のTRPGってだいたいこんな感じじゃなかろうか」といった主観、憶測レベルの話であり、論とするには、実際のTRPGやなりチャやLARPについて取材し、データを蓄積し、整理することが必要だろう。
そんなわけで大変生煮えではあるが、一個の思いつきとして提示するものである。

補記

この記事は高橋さんの「会話型RPGと演技に関するメモ:演技・immersion・LARP」
http://d.hatena.ne.jp/gginc/20100822/1282750657
を読んだ結果、書かれたものである。
上記の記事では、いわゆるTRPGの「なりきり」から、アメリカにおけるプレイスタイルとしてのImmersion、LARPに言及している。
これらは共通点もあり相違点もあるが、どのような枠組みなら同時に言及できるか、という点でこちらの記事を書いた。
おおざっぱな印象だが、日本でいうTRPGの「なりきり」は、「属性:性格」を最重視する性質を持ち、ImmersionやLARPは、「背景」を強く意識すると考えている。「背景を意識する」というのは、GNS分類でのSituationismに通じる。一方で、「属性:性格」を意識するのは、Narrationであって、Situationismからは遠い。
同じキャラクターへの没入といっても、キャラクターを背景と不可分と見る立場と、背景から切り出す立場には、大きな差があるかもしれない。

*1:キャラクターレベルでは、直接の知り合いでなく顔も合わせないが、シナリオ全体を見ると、見事に連携している、などというプレイもあるが、これはまた別の話である。