反省会って言葉は本当はネガティブじゃないかもしれないけど、例えば初対面の人とそこまで分かり合うのは難しいなぁ

http://www.rpgjapan.com/kagami/2007/12/post_115.html
鏡さんからお返事いただきました。

さて、「反省会」という名称が改善すべき点の提起を強制する、というxenothさんのご心配はもっともだと思います。しかし、それを理由として「反省会」を除けば、今度は改善すべき点を表明することが排される、「つまらなかった」という感想を正直に言わないことが強制される、というのが私の考えです。

意見交換自体を否定してるわけではないのです。
鏡さんの目的は「批判も賞賛も自由に言いたいことを言える場を作る」ことだと思います。
ここで大切なのは、それは「場の空気」であって、例えば、杓子定規に「自由に言いたいことを言ってください」と言って、みんな言えるのなら、苦労はしないわけですね。


そこにおいて、どうやったらうまく、建設的な議論を出来る環境を整えられるか? というのが、目的になります。
そして繰り返して言いますが、反省を含めた意見交換を「反省会」と呼ぶのは、あまり良いTipsではないということです。

もっとも、実際の「アフタープレイ」での意見交換で、「ここは面白かった」「ここはつまらなかった」と正直な意見がやり取りされているなら、私の懸念は外れていることになります。正直な「反省会」ほどポジティブなものも無いのですから、むしろ外していることを祈ります。

もちろん、人それぞれですが、私は、FEARのアフタープレイのメソッドは、単に反対意見を封じるためではなく、意見交換をスムーズに行う方法論であると理解しています。


理由は簡単で、つまらないと思う人の意見を封殺したら、その場は取り繕えても、TRPG人口が、そのうち減るからです。
そういう観点で、実際のルーリングの文章に当たってみてはいかがでしょうか?

「場の空気」の件。「合わせておけば安心」な権威として、しばしばゲームデザイナーが利用される、ということです。その内容が本当にゲームデザイナーの考え通りかは問題ではなく、その「場の空気」を乱さなければ何でもよい、誰も逆らえなさそうな偉い人の名前を出しておけばよい、と。

そういう人は、まぁいるかいないかと言われればいると思いますが、どんなゲームであっても、自分の都合のいいことを押しつけてきますね。
FEARデザインの内容とは関係ないと思います。

「伝説の邪悪獣」シナリオのように「NPCや設定や判定で導く」のが、私の考える「管理」の姿です。そういう技法を用いないことを、「自由」な遊び方と呼んでおります。もっとも「伝説の邪悪獣」の例は、シナリオ通りでもつまらなそうなので、「管理」にしても出来が良いとは言えませんが。

えーと、元々の話は。

参加者各々が、自分で「面白い」と思うことを、「私はこうしたい、こうすべきだ、こうしよう」と自分で判断して、やる(キャラクターにやらせる)。その積み重ねが「ゲームプレイ」。ただの「ゲームプレイ」。

それは「面白い」の?…そんなことは自分で面倒を見なさい。あなたの行動は「何をやってもいい」のだから、あなたが「面白い」と思うようにやりなさい。結果が何であれ、その過程は「面白い」はずです。

という文章に対する疑問だったわけです。


GMが、「自分の面白いこと」だけで、邪悪獣と美形NPCを出す。GMはルールの範囲で自分のリソースを使用しており、ルーリング、判定自体は中立である、とします。この場合、GM本人は面白いかもしれませんが、他のPLは、いかに自由があってもつまらないだろうなぁということです。
上記は極端な例ですが、PLも「自分の面白いこと」をやっているだけでは、他のプレイヤーやGMに大きな迷惑を与えることもあると思います。


各人が面白いことをする自由を追求する、というのは良いことだと思いますが、「他人の自由と楽しみを必要以上に侵害しないという上で」というのがつかないと、それは単なる凶器になる、と思うのですが、いかがでしょうか。

将棋の件。「常識的に良いこと、良くないこと」は、その現場の人間の合意に任せれば良い、というのが私の見解です。将棋連盟が「勝つ将棋」を良しとし、その方針で会員を「管理」するのは連盟の「自由」。「孫に将棋を教える祖父」が何を良しとするかは、また別の「自由」。

なるほど。
では、FEAR社が、FEARのTRPGをプレイする際に、マナーや推奨プレイスタイルについて説明するのは、FEARの「自由」ですね。
「あらゆるTRPGは、かく遊ぶべし!」とか言い出したら、そりゃ、問題ですが、別にそんなことは言ってないわけですし。