無駄な忍耐はしたくないなぁ

まず、「反省会」についてはご指摘の通りで、またゲームプレイ本編も「自由に言いたいことを言える場」であって欲しい、というのが私の願いです。更に言うなら、「反省会」がうまくいかなかったからといって「反省」という言葉のせいにするというのは、「言葉狩り」でしか無い、と考えます。


とはいえ、xenothさんが仰る「辞めてしまう」といった問題も理解できます。そういう現実があるからこそ、FEARが名称を変えるなどして対処してあげなければならなかったのでしょう。そうしたFEARの努力を軽んじる気は毛頭ありません。ただ、子供ならともかく、大人がいつまでもそこに依存するのは情けない話。存在はやむを得ないにせよ、基準にする必要は無いのでは?と正直思います。

別に何も絶対に反省会という言葉を使うなという話ではなく、私だって面子と目的次第では、セッションの「反省会」をすることはあると思います。
ちなみに大人の世界であっても、例えばビジネスとかのメソッドで、建設的な議論をするTIPSというのはたくさんありますね*1。スポーツのコーチだって、選手の欠点を指摘する一方で、メンタル・フィジカルなコンディション、モチベの維持にはものすごく気を遣うでしょうし。モチベが大切なのは子供に限りませんよ。


さて、ここで言っているのは、アフターセッションの目的は、鏡さんのおっしゃるように、デザイナーがユーザーを完全に管理下において文句を封殺するためのものではないく、批判も肯定も含めて建設的な意見交換を行う方法論の一つであるということです*2


そこで合意がいただけたのなら、この話はOKです。

自由

次に、「他人の自由と楽しみを必要以上に侵害しないという上で」という条件付けは、理論上は納得できますが、実際の運用では「その線引きを誰がするのか」という問題が生じます。線引きを誰かに任せ、他が従うなら「管理」となるわけです。「自由」を求めるなら、判断は各自で行うしかありません。遊ぶ相手が「他人の自由と楽しみを侵害するのが楽しい」という人間でないことを、信じなくてはなりません。

疑問点が二つ。


まず、「線引き」とか「管理」を持ち出す前に、お互い同士で話し合ったほうがいいですよね。絶対譲れない線で迷惑かけざるをえない、という状況もあるかもしれませんが、気付かない内に迷惑をかけていて、言われたら簡単に修正できることというのほうが多いわけですから。そういう風に互いにコミュニケーションを取るのが前提ですよね。


次に、例えばルール解釈でもめたとする。揉め続ける限りにおいてゲームは進まないし、それは誰の得にもならない。
そういう状況でGMに決定してもらう、というのは、「線引きをGMに任せる管理」かもしれませんが、そういう管理は私はよろこんで引き受けます。私は「ルールについて好きなだけ議論し続ける自由」を放棄するのはやぶさかではありません。


その延長上で、セッション上の特定の問題について、GMやルールブックの指示に従うのは、ゲームを楽しく遊ぶための合理的な行動です。
というかルールブックと審判を無視する自由を言い出したら、それはもはやゲームじゃないですね。ゲームがゲームである以上、特定のルールや権限を尊重する合意から始まるわけです。


ま、その上で、管理自体が悪いわけではなく、なにもかも自由にする必要はない、ということでしたら、賛成です。
あるいは管理に弊害がある、ということであれば、アフターセッション以外にも具体例をお聞きしたいです。

*1:例えば、ブレストでは批判的意見を出さない、というルールがあります。これは別に言葉狩りでも意見強制でも心が弱いわけでもなく、特定の目的を達成するために有効なメソッドというだけです

*2:逆に言うと、反省会という言葉を使ったほうが、スムーズで役に立つ意見交換ができると思うのであれば、使えばいいと思います。ただ私はあんまし使わないと思いますし、それを推奨しないのも理解できます。