TRPGという媒体とその特性〜なんでこういうシナリオはダメなのか〜

要約

媒体にはそれぞれ特性があり、扱える物語や表現にも向き不向きがある。
その向き不向きを理解して作品を作ることが重要。

媒体と内容

さて、小説やマンガ、アニメや映画、演劇、そして、TRPGなど、世の中には様々な媒体があります。
それぞれの媒体には、それぞれの特徴があり、その特徴を活かすことが良い作品を作る方法論の一つとなります。


平たくいえば、小説向きのストーリーと、映画向きのストーリーは異なるということです。例えば、読者に頭の中で情景を想像させる小説と、情景をフィルムに描き出す映画では、何をどう見せるかの方法論が大きく違います。*1 *2
もちろん小説の映画化や、映画のノベライズにも、良い作品は多数あります。そうした作品は、それぞれの媒体の違いを理解した上で、一種の翻訳作業を行なって作られているわけです。逆に、そうした違いを理解しないと、ちぐはぐで、まずい作品になってしまいます。


もちろん、TRPGのシナリオ、セッションにも、媒体としての特徴があり、シナリオ作成の際には、それを意識することが有効です。

シナリオ製作から見たTRPGの特徴

xenothが考えるTRPGにおけるシナリオの特徴は、4点あります。
・インラタクティブであること
・PC視点
・多人数性
・判定の範囲

インタラクティブであること

TRPGというのは、小説や映画のように見ているだけの娯楽ではなく、自分で積極的にアクションを起こすことができ、またアクションを起こすことが期待されます。


TRPGに限らず、インタラクティブなゲームの場合、アクションに対して、どういうリアクションが来るかが、ゲームの面白さとなります。


インタラクティブなゲームの場合、プレイヤーは、まず、最初、何かしてみて反応を見ます。
例えば、「お、ボタンを押したら、なんか音が出たぞ」とかそういう段階ですね。
この段階では、アクションに対して、反応が返ること自体が、面白さとなります。


次の段階は、反応を予測することです。「こっちのボタンを押すと、この音が出るんだな。じゃぁ、こっちのボタンは?」といった具合です。
この段階では、アクションと反応の因果関係がわかることが面白さとなります*3


さらに次の段階は、わかったルールを通じて、特定の目標を達成しようとすることです。
「ボタンごとに出る音がわかった。じゃぁ、“猫踏んじゃった”が演奏できるんじゃないかな。演奏してみよう」
というわけです。


これはTRPGも同じです。
一般的なTRPGにおいて、プレイヤーは、PCキャラクターでアクションを起こし、なんらかの目標を達成しようと努力し、その過程に面白さを感じます。


以上をまとめると、TRPGにおけるインタラクティブ性には、
・反応が返ること(反応性)
・反応がある程度予測できること(予測性)
・ルールの中で目標を目指せること(攻略性)
の3つの段階があります。


逆に、これらがないと、たいていつまらなくなります。
アクションしても、何もリアクションがなければ、つまらないでしょう。
アクションに対する予測が全く立たないと、何をしていいか、わからなくなります。*4
目標がなかったり、あっても達成があからさまに無理だったりすると、やる気を無くします。

PC視点

一般的なTRPGにおいて、プレイヤーは、PCを通じてアクションし、PCの視点で情報を得ます。その結果、プレイヤーはPCに感情移入し、PCの成功が自分の喜びとなりやすくなります。
プレイヤーとPCの立場は厳密には違うもので、プレイヤー=PCではありません。が、PCに感情移入しやすいゲームであることも確かです。


TRPGのシナリオを作る際は、この点に注意する必要があります。


一般的な物語において、「登場人物の成功」=「読者の喜び」とは限りません。
主人公サイドに感情移入するのなら悪役が倒されるのは見てて楽しいものですし、悲劇的な作品の悲劇性、不条理性も、ストーリー全体を楽しむ視線から楽しむことができます。


一方で、TRPGの場合、プレイヤーの成功とPCの成功は、近いところにあるのが通常なのです。

多人数性

TRPGのもう一つの特徴は、多人数プレイのゲームであるという点です。
通常のTRPGは、GM一人と数人のプレイヤーでプレイされます。そして、その全員が楽しむ必要があります。それぞれのプレイヤーにとって、そのPCは感情移入の対象であり、主人公です。


さて、勇者と盗賊と魔法使いが、魔王に囚われたお姫様を救うというお話があるとします。
小説などの場合、特定のキャラクター(主人公あるいは狂言回し)の視点で、ずっと話が進む場合があります。上記の例なら、勇者の立場からストーリーが描かれるわけです。
あるいは、場面ごとに視点となるキャラクターが違う場合もあります。勇者目線の物語、盗賊の物語、魔法使いの物語が交互に描かれるというパターンです。
特定のキャラクターではなく、俯瞰的な視点から描き出す場合もあります。パーティ全体を描いたり、町の人や魔王の軍勢、お姫様も含めて、広く描く場合です。


TRPGの場合、上記のどれに似ているでしょうか?
実は、どれにも似ていないのです。


TRPGのシナリオの場合、プレイヤーが3人ならば、それぞれが視点キャラの3本のストーリーが、同時進行している、と、考えるべきなのです。
「勇者目線の物語」「盗賊目線の物語」「魔法使い目線の物語」は、交互に、ではなくて、常に、同時進行なのです。そして、それぞれの物語全てで、PCが活躍し、プレイヤーが楽しめる必要があります。


小説やマンガなど、たいていの物語形式が「全体として一人の読者を楽しませる」ことを目指しているのに対し、「視点の違うプレイヤーを同時に楽しませること」を目的とする点で、TRPGの物語構造は大きく異なります。


もう一つのポイントとして、現実の時間は、どのプレイヤーにも等分に流れるというものがあります。
キャラクターA、B、Cの物語を交互に描く場合、小説なら問題ない場合でも、TRPGだと「Aのプレイヤーが遊んでる間、B、Cが暇」という問題が起きます。
TRPGのシナリオで、A,B,Cが一緒にいて協力して行動している場合が基本形なのは、そういう理由なわけです。

判定の範囲

通常のTRPGの進行は、PCもしくはパーティ個人の行動を基本として、プレイ時間数時間となります。
ゲーム中の時間の流れの速さは、基本、現実のリアルタイムとだいたい同じで、戦闘中などは精密な動きを表すためにスローモーションとなります。
つまり、1ラウンド3分で5ラウンドの戦闘は、ゲーム内では15分ですが、実際にプレイするのは、60分くらいかかったりするわけです。
長い時間や、PC以上の規模のものを動かす時は、たいてい、途中経過を省略します(「では次のシーン。翌日の朝になった」「騎士団と魔王軍の戦闘は、七日七晩にわたって行われた」というように)。


TRPGで通常プレイされるシナリオは、こうしたスケールに合う形になっています。
逆に、こうしたスケールに合わないシナリオをプレイするには、工夫が必要となります。

よくある間違い

以上を前提として、他ジャンルの作品をTRPG化する際の、よくある間違いを列挙します。*5

悲劇シナリオ

世の中には、「何をやってもうまくいかない」という時があります。あるいは、「頑張るほどに悪化する」という状況もあります。
そうした事態の悲劇性や滑稽さを描き出す物語はたくさんあります。


これを単純にTRPGに持ち込むと、「PCが何をやっても結局、悲劇になるシナリオ」となります。
これの問題点は、「インタラクティブ性」です。
「何をやっても悲劇になる」タイプのゲームは、攻略性に欠け、プレイヤーはやる気を失いがちです。故に、多人数ゲームとしてのTRPGには向いていないというわけです。

ジレンマシナリオ

二つ以上の選択肢があるが、どれもつらいものがあるという場合です。
悲劇シナリオに似ていますが、選択肢と、それぞれの選択肢に対する攻略性があります。


この場合、何が問題かといえば、「PC視点」の部分で、納得行かないことです。
PCの成功が、プレイヤーの喜びである時、「どれを選んでも嬉しくない選択肢」は、攻略性があっても、やる気がしないというわけです。

元ネタシナリオ

特定のストーリー(たとえば好きなマンガとかアニメとか)を、そのままシナリオ化して、うまくゆかない場合です。


うまくいかない原因は様々ですが、基本的には、GMの考える「元ネタの常識」が、プレイヤーに伝わっていないことが主となります。
そのため、元ネタを知らないと全く進めなかったり、元ネタ通りの展開を押し付けたセッションになったりします。
これは「攻略性」の問題です。


なぜそうなるかといえば、マンガやアニメ、小説などは、たいてい大きな情報量を持っています。それに比べると、GMがセッション中で説明できる情報量は案外少ないのです。
TRPGの世界観は説明がしやすいようにチューンされていることが多く、また、そうでない場合は、プレイヤーもルールブックを読めばいいわけですが、GMだけが知っている元ネタ全体のゲームでは、そういうことが起きやすくなります。

贔屓

特定のキャラクターがシナリオの根幹を担う場合です。
一番、端的なものは、シナリオの最後で、NPCが出てきて、ラスボスと戦い、主役の座をもってゆく、というものです。
NPCに限らず、特定のPCが、他のPCに対して、あまりにも立場が強かったり、あるいはGMから一方的な役柄として押し付けられる場合もあります。


これの問題は、「多人数性」となります。
ストーリー全体としてみて面白かったとしても、その贔屓キャラ以外のプレイヤーにとって、満足がゆく物語かどうかというものです。
インタラクティブ性」の問題もあります。PCが頑張って行動しても、おいしいところを持ってゆくのがNPCなら、攻略性に欠けるというわけです。


こうした「贔屓」セッションは、「元ネタシナリオ」と同じく、GMが特定のテーマやシーンを描きたいあまり、それにあわせてストーリー全体を固定した結果であることが多いです。

複雑すぎるシナリオ

「パーティで協力して」というパターンは飽きた、ということから、PC達の思惑がそれぞれ違い、様々に別行動するという場合があります。


これの問題点は、別行動が、あまりに多くなると、その分、他のプレイヤーが暇ということです。PCが単独で活躍するシーンでは、他のプレイヤーは手持ち無沙汰になるというわけです。


安易に複雑な構造を取り入れようとして、失敗するセッションは多いのです。

社会問題

TRPG内で、社会問題を描こうとする場合があります。


基本的に多くの社会問題は、簡単に解決できないからこそ、社会問題となっているわけです。そうした問題を、TRPGのセッション内で、数時間の実プレイで、簡単に解決するのは難しいと言えるでしょう。
もちろん、TRPGは架空世界なので、架空世界的な方法論、例えば「すごい魔法」や「超技術」などを持ち込めば、解決できることもあります。
ただし、こうしたシナリオの場合、GMが「現実的な社会問題の現実らしさ」をテーマにしていて、そうした解決を否定している場合が多く、そうなると泥沼になります。


要するに解決できない社会問題を、安易にPCに投げるシナリオは、「悲劇」もしくは「ジレンマ」の問題点を抱えています。


もちろん、社会問題は、「絶対に解決できない課題」ではありません。現実にも、かつては解決不可能と思われた社会問題が解決された例もあります。
ただし、それには、深い理解と慎重なアプローチ、長い時間が必要となります。


ここで問題となるのは、スケールです。
たいていのTRPGでは、PC個人の短い時間の行動を判定することはできても、「人口問題について、国全体として、10年かけて地道な取り組みを行う」といった判定が難しくなっています。


こうした「ゲーム化」を避けた「リアルな社会問題」が、実際、リアルかというと、大変に難しい問題です。
現実の社会問題を安易に矮小化するのが問題であるのと同様、安易に困難さや解決不可能性を強調するのも間違った理解であり、問題です。
「解決困難な社会問題」を描こうとする試みは、往々にして、「これこそが現実の厳しさだ」というGMのエゴの発露になりやすいのです。


リアルな社会問題を、きちんと理解するには、遊ぶ人間全員に、長い時間をかけた勉強が必要です。
数時間のセッションで、そこまで到達するのは難しいわけです。
もちろん、TRPGを遊ぶことで、社会問題について考えるきっかけを作ることは、それなりに意味がありますが、それはそれとして、ゲームでありフィクションであるとして扱うマインドセットが、そこで重要になります。

新しいTRPGの可能性

さて、前項で、TRPGにおいて、よくある間違いを述べました。こうした物語はTRPGに向かないと言っていいのでしょうか?
答えはNOです。


重要なのは、「普通にやると失敗するので、工夫が必要」という点です。


なぜ、どうして失敗するのかを把握すれば、それを理解して対策を立てることができます。逆に、対策を立てなければ、意味が無いわけです。


たとえば、「悲劇シナリオ」に攻略性がないという問題ですが、一つの解決方法として、「プレイヤーがPCの行動を通じてより大きな悲劇を追求するゲーム」という枠組みにすれば、簡単に解決できます。
低予算映画の撮影をモチーフにした「イット・ケイム・フロム・ザ・レイト・レイト・レイトショウ」では、よくあるシチュエーションです。
もちろん、そうしたセッションは、たいてい爆笑セッションになりますので*6「悲劇の悲しいところに感じ入るシナリオ」を行いたいのであれば、さらに別の枠組みが必要でしょう。


「贔屓」や「元ネタシナリオ」の原因となる、「特定のテーマ、シーンを再現したい」ことと、「固定化したシナリオ」の弊害を解決するのが、ハンドアウトです。
それぞれのプレイヤーが、セッションの方向性を共有することで、シナリオのテーマ性を自覚的にプレイすることができます。
ハンドアウトは、セッションに方向性を与えるため、あまりに細かく指定すれば、攻略性等を損なう面もありますが、そこは使いようです。
公式シナリオ等のハンドアウトは、キャラの立ち位置と最初の方向性を与えるだけで、うまくストーリーに貢献する形を作っており、参考になるでしょう。


「複雑化」の問題である「他のプレイヤーが暇」問題も、研究が進んでいます。
「カオスフレア」など、他のプレイヤーが、ロールプレイを評価できるゲームの利点の一つはそこです。「いつフレアを渡そうか」と考えて見るので、他のキャラクターのシーンも暇になりにくいというわけです。
プレイヤー同士が対戦する「シノビガミ」では、各PCはお互いの「秘密」を奪い合い、情報共有で知らせ合うというギミックがあるため、他人がどう動くかは気が抜けません。


社会問題を取り扱う際には、判定の規模やスケールが必要と書きましたが、現在、発売しているTRPGの中では、「Aの魔法陣」シリーズが、判定規模を自由に変えられるシステムを持っており、こうした社会問題をシステム的に扱うことが可能になっています。
すでに絶版ですが、「蓬莱学園の冒険!!」TRPGも、同じように、判定規模の広がりがあり、「蓬莱学園の探険!!」中のシナリオでは、実際に、5年の時間をかけて都市経営をするシナリオが入っております。

システムとプレイングとストーリー

TRPGという媒体がルールシステムである以上、新しい表現は、新しいルールシステムと不可分な関係にあります。
システムとプレイングとストーリーは、切り離して語ることができないのです。


「今までのTRPGにない、こういうストーリーをやりたい」という気持ちがある時は、「では、なんで、これまでのTRPGではなかったのか」「どういうシステム、プレイングなら達成できるのか」という視点が必要です。


逆に、そうした意識がないまま安直にプレイして失敗したのを、「独創的なテーマを扱ったTRPGの可能性」と持ち上げるのは、私が過去、さんざんやった迷惑な勘違いです。

*1:これは非常に基本的、初歩的な話で、例えば小説で明確に見せる方法論も、映画で想像を膨らませる方法論もあります。その上で、小説と映画で文法が違うということは賛成いただけるでしょう。

*2:さらにいえば、挿絵の役割が大きい小説もあり、そうした作品には、そうした作品の方法論があります。

*3:予想した上で裏切られる意外性は楽しいものですが、全く予想がつかず納得もいかないとなると「意外性」ではなく、単に意味不明になります。

*4:余談ですが、GMもプレイヤーの一人である以上、PCが予測できる行動を取ることは大事です。「助けた姫君が、意味もなく、いきなり襲ってきた」というセッションがプレイヤーにとってつまらないのなら、「可憐な姫君を、PCが意味もなく、いきなり襲った」というセッションもGMにとってつまらないわけです。

*5:以下は全部、xenothが自分で昔やったミスです。

*6:こういうプレイを安直、低俗と見る面もありますし、レレレは「低俗映画RPG」でもあるのですが、実のところ、プレイヤーとPCの価値観が異なるところに滑稽さを感じるというのは文学的にも面白い問題です。

エクリプスフェイズ キャラクター作成術

AGS様更新

AGS様で更新がありました。蔵原様によるエクリプス・フェイズのキャラクター作成術です。
『エクリプス・フェイズ』キャラクター作成術:「軍艦」と「パズル」と「古典」: Analog Game Studies

EPの価格

 なお残念ながら、無料で公開されている「簡略版ルールブック」(QSR)のみではキャラクター作成はできません。EPの公式サイトから「Eclipse Phase Core Rulebook」をお買い求めいただきたく、お願いします:http://www.eclipsephase.com/releases

そういえばxenothも、これまで、きちんと書いておりませんでしたが、Eclipse Phaseは、簡易版だけではなく、全ルールブック、サプリメントが、無料でコピー配布可能となっています(!)
その上で、pdf版および本の形で発売もされており、気に入った人は購入してくださいというモデルになっております。どんどん商品を見てもらって便利に使ってもらって、ふれる人を増やすことで、利益をだそうという形ですね。


EPにおける評判経済*1を先取りするような、新しい試みだと思います。

キャラクターのConcept

 これと同じくEPのキャラクター作成も、まずはプレイの方針から始まります(EPルールブックの120頁にある"concept"〔概念〕のことです)。どんなプレイスタイルを行うのか、攻めるか守るか、攻撃力か機動力か、そこからキャラクターの方向性が演繹的に導かれます。力技で相手を粉砕するのか〈→ファイター〉、策略で労せずして勝つのか〈→マジックユーザー〉、敵の目を盗んで重要な資材を略取するのか〈→シーフ〉、目先の事柄ではなく理念を尊重するのか〈→クレリック〉......

のっけからもうしわけありませんが、EPルールブックの120頁にあるConceptは、「プレイの方針」を決めること、では、ありません。


Conceptは、キャラクターが「なんかファイター、強いファイター」といったゲームの道具ではなく、れっきとした個性を備えた人間であるという前提に立ち、どういう生い立ちで、どういう性格なのかを最初に決めようというものです。

そのためには、あなたのキャラクターはれっきとした個性とアイデンティティの概念がなければなりません。少なくとも、キャラクターのコンセプトを一言でまとめられるべきです。たとえば、「喧嘩っぱやい幼生ボディの亡命考古学者で怒りを抑制できない性格」とか「スリル好きの社交に生きるキャラで、陰謀論や神秘に危険なほど魅せられている」などです。
This means your character needs a distinct personality and sense of identity. At the very least, you should be able to sum up your character concept in a single sentence, such as “cantankerous neotenic renegade archaeologist with anger management issues” or “thrill-seeking social animal who is dangerously obsessed with conspiracy theories and mysteries.”

というわけで、EPのキャラクター作成は「どんなプレイスタイルを行うのか、攻めるか守るか、攻撃力か機動力か」を決めるところから、は、始まりません。


そうしたゲーム的な機能、ファイター系/シーフ系……D&D4thに習うなら制御役・指揮役・防衛役・撃破役といったゲーム的な目的、性能から最初に決めてからキャラ付けをするゲームもあり、キャラ付けを先にするゲームもありますし、どちらがいいかはゲーム次第、状況次第となりますが、とまれ、EPのキャラメイクにおけるConceptはキャラクターの設定であって、ゲーム的なプレイスタイルではないことを確認しておきます。

BackgroundとFaction

Conceptで、どんなキャラクターを作るかを選んだら、次に、そのキャラクターの背景(Background)と、所属社会(Faction)を決定します。


実質的に、この2つを選ぶことで、キャラの設定的な方向性が、かなり決定するため、非常に重要なところです。


背景は、キャラクターの生い立ちで、特定のコロニー、国に生まれ育った、とか、あるいは、宇宙の漂流生活をしているとか、知性化動物であるとかと、新人類培養実験の失敗作とかいった楽しいものが並んでいます。
社会(Faction)は、どのような社会、勢力に身を寄せているかで、アナーキストや、アルゴノート(技術主義者)、上流階級といったものが並んでいます。


これらを決定すると、長所・短所、一般的なモーフが同時に決定されます。
たとえば、タイタン社会を選ぶと、技術・学術系スキル2つに+10、ネットワーク:Autonomistに+20といった具合です。
同じように、一般的なモーフを見れば、たとえば、その社会や出身の人に、どんなモーフ、肉体、外見の人がいるかがわかります。


こうしたデータは、このあとに習得するスキルや装備構成の指針ともなります。
例えば戦闘用技能に修正があったり、戦闘用モーフが指定されてる背景や社会は、戦闘系の人が多い世界であり、戦闘型キャラに向いている、というわけです。

 例えばこうです。あなたは「戦艦」のような「ファイター」を作りたいと仮定します。「Eclipse Phase Core Rulebook」のPDFルールブックを使って試してみましょう。


◇ 戦艦ですから強力な主砲が必要です。ミサイルで標的を爆砕したい? よろしい、では「missile」のキーワードで「基本ルールブック」(Eclipse Phase Core Rulebook)を検索しましょう。「追尾兵器」(Seekers)の項目が見つかります(基本ルールブック339〜341頁にあります)。

こうした作り方は、EPの基本ルールブックを読む限りにおいては、推奨されていません。
「戦艦」で「ファイター」だから、強力な武器を買う、というのではないのです。


まず、その人が、どんな生い立ちで、どのような社会に生きているか。
最初に決めるべきはそれで、そうしたConceptに合わせて、どのような武装が自然か、という風に考えてゆく、というわけです。


もちろん程度問題で、キャラコンセプトから装備を決めるのも、ゲーム的な機能から逆算してキャラコンセプトを決めるというのも両方ありです。


その上で、EPというゲームが、戦闘メインのゲームではなくて、社会におけるキャラクター性を大事にするタイプのゲームであるため、キャラクターの背景、社会性が重要になっているという点は強調しておくべきでしょう。*2

設定と「落とし穴」

 ここからは要注意です。むしろ「基本構想」「ギミック」よりも時間をかけた方がいいでしょう。EPの世界設定にはデザイナーのしかけた「落とし穴」があります。そこを見落とさないように。


 この「穴」とは不備ではありません。キャラの「背景」(background)に合わせてキャラメイキングを進めるとき、その背景世界についての解説を参照しないと、不自然なキャラになってしまいます。その点を(当然了解しているとして)デザイナーは明示していない、そこが「落とし穴」なのです。

蔵原氏は、このように書いていますが、これは蔵原氏のキャラメイク解説の順番がおかしいからです。
基本構想、ギミックを作ってから、背景との整合性を考えるから、矛盾しやすくなります。


EPルールブックに記載されている順番では、まず、キャラクターのコンセプト、すなわち、(ゲーム的な機能ではなく)どのような人間であるか、を、まとめます。
次に、そのキャラクターの生い立ちや所属社会をデータ的に決定します。
そのあとに、スキルや装備……蔵原氏の言うギミックを取るわけです。


その上で、背景世界の読み込みというのは人それぞれで、矛盾が起きたり、GMや他のプレイヤーとの意見が異なる場合もあるでしょう。


しかし、それを「落とし穴」と捉える必要はないでしょう。
むしろ、それこそが好機です。

たとえばタイタン社会の場合

 EPルールブック106頁によると、タイタン市民は成人になった時点で何らかの社会奉仕(主に兵役/治安部隊への配属、原文には"compulsory civil service at the age of majority, with an emphasis on military and security forces"とあります)に従事する義務があるのだそうです。ルールブック中の設定ですと、現実のスイス(2011年現在)のように、その家屋に国防用のライフルを備え付けている人がいるのだとか※。ですからタイタン市民であれば、徴兵忌避者を除けば一応は武器の扱い/戦い方の基礎を知っていて当然ということになります。なにしろ公式設定によれば、タイタン連邦は国防のために小型衛星を三つ動かしてきて(!)本星の軌道上に置いたそうですから、この国の人々が軍事に寄せる関心は並々ならぬものがあると推測できます(ルールブック107頁の「PHOEBE, SKATHI, AND ABRAMSEN」を参照)。さらにまた106頁の解説によれば、タイタンの主要言語はノルウェー語、フランス語、ドイツ語、デンマーク語、北京中国語等なのだそうです。タイタンは北欧国家をモデルの一つとして設立されたとあるのですから(79頁)、北ヨーロッパ系の言語が主流なのは当然です。

さて、蔵原氏の記事では指摘されていない点ですが、重要なこととして、「同じルールブックを読んでいても解釈が異なる場合がある」ということです。


たとえば、蔵原氏と同じルールブックを読んだ上での、xenothの解釈は以下にようになります。


まずタイタン社会は、EPにおける外惑星連合の一員です。
外惑星連合は、早くから宇宙に飛び出した人々であり、細かな政治や利権を気にせずに、科学技術で何でも解決しようとする人たちです。
お金や地位、安全が大切なら、宇宙開拓なんかしないわけで、ロマンと冒険、そして科学技術信奉の人たちなわけで、ルーズな社会を持って好き勝手やっています。


そのなかで、タイタンは、割と、政治や社会の結束が強いものとして設定されています。


その上で、「国防のために小型衛星を三つ動かして」来ているのが、「軍事に寄せる関心」が並々ならぬもの、かは、また微妙です。
アナーキストも、大国や権力者の干渉に対しては、団結するものだからです。また、その方策が、政治的だったり戦艦作ったりというものではなくて、衛星を持ってくるというのも、技術者好みの方法論ですね。
要するに、大国や権力者が干渉してきた時に、新兵器で対抗するというのは、アナーキスト/ネットワーカー/オタクの標準的な反応としても理解できるというものです。


タイタンのもう一つの特徴としては、首都に巨大な大学を擁しており、無数の研究を行なっているという点です。人口の20%が学生であり、留学生も数多いとあります。

 けれども、もしここで日本語しか話せず、社会奉仕も体験していない二十歳過ぎのタイタン市民を作成したとしたらどうでしょう? ルール上は可能であるにしても、その人は(ゲーム世界において)実在可能なのでしょうか。平均的(と仮にしますが)日本人しかいない環境に、ノルウェー語以外は解さず、しかも日本社会における市民の義務を果たしていない人が孤立無援で放り込まれたとします。その人はその社会で円滑に暮らしていけるのでしょうか? あるいはその人は「自分はれっきとした日本人だから、自分に市民権をくれ」(とノルウェー語のみで)主張した時、周囲の人はどう反応するでしょうか※? ルール上は可能だとしても、社会状況との整合性が合わないキャラを論拠なく押し通すのはロールプレイとは言えません。ただの我儘、駄々っ子です。

さて、タイタン社会出身のキャラは、本当に、ノルウェー語と、武器技能が無いと不利になるのでしょうか?


まず非常に重要なことですが、私がGMだったら、プレイヤーが明らかに不利になると思われるキャラメイクをしていたら、そのことを告げて相談します。
こうした問題は、キャラメイク単体で完結することではなくて、GMとPL、他のPLとの相談の中で解決するというのが一番先に考えなくてはいけないことです。


その上でこの場合ですが、まず兵役につく=武器技能を持っている、か、どうかという点は解釈の余地があります。


例えば社会でタイタンをとっても、特に武器技能に修正はもらえません。
これが、本当の軍事国家であるJovianだと、所属するだけで武器技能に修正がつくので、タイタンの兵役はそこまでのものではない、と、みなすことができます。
現代戦において、職業軍人を育てるというのは長い時間のかかる高度な教育の賜であり、2〜3年、兵役もしくは保安任務についたからといって、戦闘のエキスパートとしてスキルを習得したとは言えないのかもしれません。


もう一つの解釈として、兵役についていないというのがあります。
設定にもある通り、タイタンには良心的兵役忌避者が存在します*3
良心的兵役忌避者と書いてあるくらいですから、現代的な、兵役につかない代わりに、それ以外の公共奉仕をする権利が認められていると考えられます。兵役についていない=市民の義務を果たしていない、とはならないことを注意。
良心的兵役忌避者の扱いは、国や時代で様々で、タイタン社会で、どう扱われるかは明記されていないのでわかりません。
そのあたりはGMの解釈次第ですが、私は、これまで述べたようなタイタン社会の気質(特に大学があって学生が多い)ことから、さほど問題はないのではないかと思います。


言語については、ネットワークによる自動通訳が実用化された世界ですから、実質的な問題はないでしょう。
留学生などはノルウェー語が母語とは限りませんし*4ノルウェー語が母語でない人が、強く差別されるような閉鎖的な社会であるようには見えませんでした。


「孤立無援で放りこまれたら」とありますが、EPでは、普通にキャラメイクすれば、各種REPやネットワーク技能があるので、孤立無援の人は存在しません。


また余談ではありますが、日本における市民権は、日本国籍を持っている人に与えられます。様々な生い立ちによって日本語がしゃべれない日本人の人がいても、暖かに受け入れたいものです。
実際には、なかなかそううまくはいかないでしょうが、そうならないようにしたいものです。

 では「社会状況との整合性が合わないキャラ」をどう処理するか? 簡単です。「整合性が合わない」キャラがなぜ実在可能なのか、関係者一同を納得させるに足る実証的根拠があればいいのです。その「根拠」はどこにあるかって? 簡単です。歴史学、心理学、社会学などの概説書を参照するだけですぐに見つかります。あるいは人間性を描いた不朽の古典、例えば東洋史なら『史記』『漢書』『三国志』、西洋史なら『聖書』『対比列伝』『ガリア戦記』等を読めばよろしい。長く愛されてきた作品の深みを十分に噛み締めましょう※。

強く助言しますが、この態度は危険です。

例えばこういう状況を想定しましょう。見かけは普通のタイタン市民ですが、実はテレパシー能力を備えたキャラクターがいると仮定します。普通の人にはテレパシーなんて不可能です。ではなぜその人物は例外なのか? そうです、実はその人はタイタン市民を装っている外国のスパイで、特別な医学的処置を受けた後でタイタン社会に潜入し、無邪気な同僚の心を勝手に覗いているのです! 実在したマタ=ハリやキム=フィルビー等に関するスパイ事件を思い返せば「超能力スパイ説」にはそれなりの根拠があると言えます。日本に関する話としては、かつて北朝鮮に拉致された人は日本に潜入するスパイの教育をさせられていたそうですね。

まず設定的な話をしますと、タイタン人にも超能者はいますし、ルール敵にも超能力を取得することができます。


次に、私がGMなら、スパイの超能力者はPCとして受容しますが、それは別に、マタ=ハリやキム=フィルビーの資料を持ってこられても関係ありません。
また、超能力スパイはやめてね、という時は、マタ=ハリの資料を持ってこられても困ります。


なぜでしょうか?


まずTRPGの架空世界においては「実証的根拠」は存在しません。
架空世界の設定を解釈する際は、どうしても人それぞれ理解が異なりますし、それを理論で完全に埋めることはできません。
「『ガリア戦記』でこうなってるから、マタ=ハリがいたから、俺のタイタン人の設定は正しい」というのは、どこまで言っても議論の余地があります。
それを言うなら、現実の歴史や社会の解釈も、少なくとも卓上で短時間で行う分には、理論で完全に埋めることはできません。
そもそも、一番ありそうな話ですが、相手が「ガリア戦記」を読んでなかったらどうするのでしょうか。
「今から読め」も「読んでないおまえにはわかるまいが俺の設定は正しい」も、喧嘩になるでしょう。


キャラクターに深みを出すために参考資料を参照すること自体は良いことだと思います。
ただし、それを「関係者一同を納得させるに足る実証的根拠」として押し付けてはいけません。


さらに、設定上根拠があることを実証することと、皆で楽しめることも、また別です。
GMが特定のキャラや設定を拒否する理由は、「実証的根拠」の有無ではなく、そのシナリオ、そのメンツ、その卓で扱えいずらいキャラである場合が多いです。
「超能力者がいると、今回のシナリオが破綻するからやめてほしい」とGMが思う時とかですね。

論破ではなく共存

TRPGとは、皆で遊ぶゲームです。
そこで重要なのは、「説き伏せること」ではなくて、「共存すること」です。
「こういうキャラやりたいんだけど」
「設定的にここがおかしいんじゃないかな」
となった時に
「おかしくない! それは「ガリア戦記」を読めばわかる」
というと、喧嘩になります。
「あれ、どうしたらいいかな。一緒に考えてくれないか?」
と言う態度が大切です。
矛盾を指摘するときも、「ここがおかしい」だけでなく、「ここが矛盾してるのは、こういうことなんじゃないかな?」と発想を広げたほうがうまくいきます。


そういう風に考えると、設定的な矛盾は「落とし穴」ではなくて、むしろ「好機」なのですね。
実際、多くのTRPGのキャラメイクには、わざと矛盾が織り込まれる形にして、それをプレイヤーが統合することで、キャラクターに深みを与える、というのが理論化・実用化されているほどです。

サンプルキャラの勧め

これまで長々とEPのセッションで起きうる問題を書いてきましたが、実はここに書かれていたことの多くは、サンプルキャラを使うことで解決できることばかりです。


蔵原氏は、キャラメイクを軍艦に例えましたので、私も真似をして、サンプルキャラを軍艦、あるいは量産型兵器に例えようと思います。


軍艦でも戦闘機でもなんでもいいんですが、多くの軍隊では、量産される制式装備、兵器が存在します。
なぜでしょうか? 理由は色々あるでしょうが、以下の3点ではないかと思います。

  1. すぐ作れる
  2. 性能がわかっており研究がゆきとどいている
  3. 1,2より状況に対応がしやすい。


すぐ作れる、は、軍事において非常に重要です。即応性ですね。
サンプルキャラの利点もそこにあります。
たとえば、コンベンションとかで初顔合わせの時、EPのような1000CPを割り振るタイプのゲームで、ゼロからキャラメイクをするのは非常に大変です。
そういう時は、サンプルキャラから選んでもらうことで、すぐ遊べます。
また、「戦闘系が足りない。誰か戦闘系やって」といった時も、サンプルキャラを選ぶことで、素早い対応ができます。


次に、性能が分かっており、研究が行き届いてること。
軍事において、新兵器が、その性能を完全に発揮するまでには、たいてい時間がかかります。
特に革新的な新兵器であればあるほど、運用からのフィードバックを含めて、戦術が確立するまでには時間がかかります。下手すると、「使い方がわかったころには戦況が変わっていた」なんて場合もあります。
量産型であれば、性能と運用法が分かっているから、そうした経験値に応じた実力を発揮できるわけです。
これもサンプルキャラに共通します。
サンプルキャラの攻撃力や性能は、GMもPLもお互いわかっていますから、運用も対応もしやすいわけです。
兵器と同じく、サンプルキャラも使う人次第の面があり、同じスキル・装備構成でも、プレイヤー次第で戦闘力が跳ね上がったりします。
また表面的な設定が同じでも、性格やロールプレイも、がらりと変化します。
サンプルキャラをやりこむことの楽しさが、そこにあるわけですね。


最後に、状況への対応しやすさ。
軍事においては、様々な戦況があり、それに合わせた戦力の運用が必要になります。
砂漠で戦車と戦うのか、都市でゲリラと撃ちあうのかで、装備も部隊も変わるわけです。
TRPGも同じことが言えるでしょう。
セッションをする際のシナリオに応じて、シナリオに向いたキャラクターもいれば、明らかに無理があるキャラクターもいます。
もちろん、「どんなキャラでも大丈夫なシナリオ」を作ることもできますが、特定のシチュエーションを掘り下げたシナリオというのも、また楽しいものでしょう。


そうした時は、サンプルキャラの出番です。
GMは、サンプルキャラを念頭においてシナリオを組み、PLもサンプルキャラを選ぶことで、キャラクターに合わせたより深いシナリオができます。
物語性の強いゲーム、例えば『深淵』なんかは、そうしたサンプルキャラを前提としたシナリオが多い傾向にあり、独特の雰囲気、面白さがあります。

キャラクターと関係性

同じ量産型兵器を使えば、誰がやっても一緒、などということがないのは言うまでもないでしょう。
指揮する側によって、戦況によって、戦争は千変万化の姿を見せますし、そこには様々な個性があります。


サンプルキャラも同じです。
TRPGのセッションとは、自分一人でやるものではなく、GMや他のプレイヤーと一緒に遊ぶものです。
キャラクターというのも、同様に、他のキャラクター、NPC、世界との関係性の中に成立することになります。
そしてそうした関係性は、まさしく一期一会であって、同じキャラクター、同じメンツ、同じシナリオであってさえ、毎回、様々に違った姿を見せることは、TRPGを遊んだ経験がある方ならご存知でしょう。


そうした関係性の部分は、サンプルキャラのデータに縛られるものではありません。
また関係性は、ゲーム内部だけではなく、プレイヤー同士の関係性も重要です。

 余談ですが、本論筆者はサンプルキャラクターを使うプレイを好しとはしません。サンプルキャラが役に立たないという意味ではなく、むしろキャラ作成時の指針としてモデルとして、大いに意義があるとは思います。優れた規範に準拠するのは上達の第一歩です。でも手放しで受け入れるわけではありません。とどのつまりサンプルキャラを使うプレイとは、言わば他人のプレイ方針に束縛されるようなものです。人に強制されたプレイ方針なんて面白いと思いますか※?


(※ごくたまにサンプルキャラで市販シナリオをプレイした事もありますので、完全否定する気はありません。ただ単に既成のキャラに感情移入がしにくいだけのことです。完璧な味付けのコンビニ弁当と彼女の手作り料理、どちらがおいしいと思うか。前者の人もいれば後者の人もいる。それだけの話です)

この蔵原氏の意見ですが、コンビニ弁当と、彼女の手作り料理、どちらがうまいかは、料理だけでは決まりません。関係性と環境が重要です。


彼女と一緒に散歩してたら、ふと桜が咲いていた。ちょっとコンビニによって弁当を買って、一緒にベンチで食べて花見と洒落こんだ。そんな食事は楽しいでしょう。
そんな時に、「手料理に比べて感情移入しにくい」とか言う人もいないでしょう。大切なのはお互いの心であって、調理された食材自体ではないのです。


デートコースやプランによって、外食の時もあり弁当の時もあり、愛情料理の時もあり、自分が料理する時もあり、どれが良くて、どれが悪いということはないんじゃないかと思うのです。
TRPGも、また、同じ。

*1:これまで信用経済と書いてましたが、よく考えたら信用経済は現金決済でなくてクレジットカード等を使えるような経済、という意味の用語でした。ご指摘をいただいて修正します

*2:なおEPにおいて重要、必須スキルは、p176にコラムがあります。それによるとFray(回避)、Networking(ネットで援助を得る)、Perception(感知)の3つだそうです。EPが戦闘メインでなく、交渉・社会が重要であることが伺えます。

*3:蔵原氏が引用しているCompulsory civil service at the age of majority, with an emphasis on military and security forcesの直後に、"except for conscientious objecters"良心的兵役忌避者をの除く、とあります。どうせなら、ここまで引用すればいいのにと思います。

*4:なお、私も機械翻訳の可能性については様々な意見がありますが、人間以上の知性を備えたAIがいる架空の未来世界においては、信頼できる自動翻訳があるのは理解できます。

TRPGと創作性

「創作性」とは?

TRPGは、多人数で遊ぶゲームであると同時に、物語を作るツールであると捉えることもできます。また、そうした「物語を作る」という部分に、可能性を感じる人もいます。


そこにおいてよくある批判が、「(特定の/最近の/流行の/最初から)TRPGは創作性が少ない」というものです。


たいていの場合、そうした議論における「創作性」というのは「オリジナリティ」という言葉とも言い換えられます。
アニメや漫画などの再現性を重視するあまり、「オリジナリティに欠ける」といった具合です。


そうした意見に対するゲーム派の反発も大きいものがあります。


こうした対立は、どこから出てくるのでしょうか?
そもそも「創作性」「オリジナリティ」とは何なのでしょうか?

メディアの特性

小説、漫画、アニメ、演劇、TRPG。
世の中には様々な表現媒体があり、それぞれのメディアに特性があります。
特性というのは、得意、不得意といってもいいでしょう。


例えば小説は、文章的な表現が得意です。理屈をこねたり設定を語ったりするのは得意です。また、長編を作るのが楽です。
アニメは、映像的な表現が得意です。映像や動きを一瞬で見せることができますが、文章的な理屈をこねようとすると間延びしがちです。また、小説に比べて、作るのにお金がかかります。


当たり前で身も蓋もない話に聞こえますが、これらは重要な点です。


たとえば、作家栗本薫は、長編ヒロイックファンタジーグイン・サーガ」を執筆し、正伝130巻、外伝22巻(未完)の長大な作品を作り上げました。


アニメ作家新海誠は、「ほしのこえ」をはじめとした短篇アニメを発表し、その内容の素晴らしさと同時に、ほぼ個人で一本のアニメを製作するスタイルで話題を呼びました。
彼の作品群は、いわゆる「セカイ系」や「ゼロ年代」といった時代の流れに相互に影響を与えたと言われています。


ここで重要なのは、新海誠がテーマや題材を選ぶ時、そこにはアニメという媒体の制約・制限が反映されているということです。
端的に言うなら、新海誠は、たとえ撮りたくても「グイン・サーガ」のような長編作品を撮ることは不可能*1というわけです。
短い上映時間の中で映えるテーマ、一人で製作しやすいテーマが、まず命題としてあったことは想像にかたくありません*2
ド派手なアクション、長大な物語が描けない状況では、誰しもリリカルな短篇に落ち着くわけです*3


もちろん、制約は悪いことだけではありません。
媒体の制約を意識し、理解した上であれば、その制約を回避したり、ひっくり返して利点に変えたり、力技で突破したりすることができます。
「なるほど。長編作れなかったから、しかたなく短篇にしたんだね」なんて感想が出るとしたら、それは制約に負けてる場合ですが、「ほしのこえ」の評価はそうではなかった。


このように、媒体の特性・利点・欠点・制約は、その媒体の表現力と、ほぼ表裏一体の関係にあります。
そうした特性を理解し、制約の中での良いものを作り、時には制約自体を利点に変えるような表現を作り出すわけです。

TRPGの特性

TRPGには、TRPG独自の、特性、利点、制約があります。
以下に、xenothの考えるTRPGの性質を列挙します。
なおTRPGといっても色々あるし、また、今現在のTRPGが、TRPGの可能性のすべてを網羅してるわけでもないので、大雑把で感覚的な話なのは、ご留意ください。

  • 想像のゲームである

TRPGは、各人が様々な場面を想像することを楽しむゲームです。
良い点としては、これは想像の及ぶ限りのものが表現できるという点です。
美しいものも醜いものも巨大なものも繊細なものも、予算の心配無く(笑)、登場させることができます*4
制約としては、その「想像の及ぶ限り」は、プレイヤー全員が共有する必要があるという点です*5
誰か一人しかわからないものを登場させると、卓が混乱しますし、それは避けられる傾向にあります。

  • 少人数である。

TRPGは、3〜6人くらいで遊ぶゲームであり、基本的には他人に見せるものではありません。
小説や漫画、その他のジャンルと比べると、「自分たちで物語を作って自分たちで楽しむ」という点は、かなり大きな違いです。


TRPGというのは、そのため、「不特定多数の無数の読者」ではなくて、「その場にいる全員」だけを楽しませることに全力を尽くせます。
「他の誰でもない、あなたのためだけの物語」を作れるというわけです。


一方、これは言い換えれば、「内輪受けの物語になりやすい」という点です。当人たちが当人たちだけで楽しむための物語なわけですから、それでいいわけです。

  • 作り手=受け手である

TRPGのセッションを物語作成ツールと捉えた場合、作り手による「物語作成」が、同時に、受け手にとっての「作品鑑賞」であるという点があります。


小説や漫画他の多くの媒体では、作者と読者は別です。
そして作品は読者を楽しませるためのものであって、作者が書いている時に、どう感じるかは、基本的には重視されません。
TRPGの場合、これが「お話を作ること」と「楽しむこと」は、同じ人間が同時にやることなのです。


これの良い点としては、インタラクティブ性が高いこと。連載作品などで、読者の反応を見ながら展開を作ってゆくものがありますが、読者=受け手が全員、同じ卓についているTRPGのインタラクティブ性は、非常に高い。
制約として見た場合、プレイヤーにとって面白い・楽しいシーンの連続になりやすく、またインタラクティブ性、即興性が高いことの裏返しとして、首尾一貫性に欠けやすいと言えます。伏線とか精緻な展開って、TRPGだと、やりにくい傾向にあります*6
また、全員が楽しむことが目的なので、「物語的に美しい」からといって、プレイヤーが嫌な気分になることは、基本、推奨されません。そのため快感のある展開の連続になりやすい。
ここも大きな違いです。

TRPGの創作性

さて、こうしたTRPGの特性から、「TRPGらしい創作性」を考えることができます。


上記から導けることとして、二次創作性と娯楽性の高い物語が、TRPGの媒体特性を生かした作品のひとつ、といえるでしょう。


ここで言う二次創作性というのは、一次創作を単純に踏襲するものではなく、ひねったりいじったり、他の作品とクロスオーバーしながら、独自のアレンジを作る面白さです。


小説で言うなら「魔界都市新宿」の面白さです。
オカルトから超能力からSFから古武道から、ありとあらゆるフィクション要素を詰め込むことで、そこに新しいジャンルが創始され、オリジナリティが生まれた。


「「シグルイ」から「水戸黄門」、「仕事人」から「大魔神」、山田風太郎から「戦国自衛隊」まで、広いカバーを範囲した超時空時代劇TRPG「天下繚乱」などは、その一例でしょう。


基本となるイメージは、皆が知っているものをベースにしつつ、色々なネタを盛り込んで、それを面白くアレンジしたり組み合わせたりして、展開の部分で自由な発想を見せつつ、わいわい楽しめるものですね。

なぜ対立が起きるか

問題は、「TRPGに創作性が少ない」という議論の時、例えば「天下繚乱」が持つ創作性が、無視されているということです。そうしたものは「パクり」であって「オリジナリティがない」というわけです。


ゲーム派が反発するのも、そこです。
天下繚乱を遊ぶ人は、無数の時代劇要素を組み合わせて、どんなトンチキなキャラを作るか、トンデモシナリオを作るか*7という点に、創作性を感じている。
それを頭から「創作性がない」と決め付けられるから、反発するわけです*8


要するに、「TRPGの創作性」という時に、その具体的な「創作性」とは何か、という視点が欠けているのが原因なわけです。
もっと強い言い方をすれば、「小説や演劇の創作性」を、そのまま持ち出して、TRPGと比較している*9
それは意味が無いのです。


「TRPGに創作性はあるか?ないか?」を問う意味はない。見方次第であるとも無いとも言える。
本当に考えるべきは、「TRPGの特性は何で、それを生かした、どんな創作性があるか?」なのです。

TRPGの可能性

先ほどxenothが書いたTRPGの特性、制約は、完全なものでも不変なものでもありません。
TRPGならではの創作性について、「二次創作性と娯楽性を〜」と書きましたが、それがすべてとは思いません。
制約を生かし、あるいは乗り越え、新たな地平を切り開くTRPGは待ち望まれています。


そういう意味で、TRPGに今と違った創作性を求めることは大切だと思うのです。
そして、その新しい創作性というのは、あらゆる媒体でそうであったように、媒体の特性や制約と真摯に向かい合い続けることから生まれてくると思います。
その意味で、「TRPGの新しい創作性」は、「今あるTRPGの創作性」とは無縁ではいられないでしょう。


テンプレ的な「今のTRPGはパクりばかりでオリジナリティがない。どこかに創作性のある真のTRPGが」というのは、そういう意味で矛盾しているのです*10


それはたとえば、新海誠に「もっとグインみたいに重厚長大な全100巻の大河ファンタジーを撮ってくれ」というようなものでしょう。

TRPGの未来

今あるTRPGの創作性が面白くて楽しいからといって、これ以外の創作性があるはずがないと決め付けるのは早計です。
また今と違う創作性があるからといって、今のTRPGの創作性、楽しさ・価値が否定されるわけでもありません。


本来、TRPGの新しい創作性を求める態度と、今の創作性を楽しむ態度は矛盾しないはずなのです。
むしろ、新しい創作性を求めるためにこそ、今の創作性を良く知る必要があります。
お互いに手を結ぶことができますように。

*1:もしくはものすごい発想の転換がいる

*2:あるいはもちろん、表現したいテーマがあって、それに合った媒体を選んだかもしれない。たいていの人は、媒体をいじりながらテーマを創り上げてゆくわけで、どちらが先、というのも、あまり意味はないかもしれません。

*3:言うまでもなくリリカルな短篇アニメを作れば誰しも新海誠になれるわけではありません。

*4:大雑把な一般論ですが、このあたりがTRPGがファンタジーに向く理由でしょう。スペクタクルを描きやすいのです。

*5:大雑把な一般論ですが、このあたりがSFがやりにくい原因かもしれません。

*6:もちろんやり方次第ですが、たとえば推理TRPGが難しい、というくらいの一般性はあるでしょう。

*7:もちろんトンデモだけがオリジナリティじゃないですよ

*8:アニメや特撮、ラノベの再現性を意識したTRPGはありますが、それらは、元作品のキャラクターをそのまま再現する形でプレイされることは稀です。無数の作品群を自由に組み合わせる中に、創作性、自己表現があるわけです。また仮に原作を完全再現したキャラクターを作っても、プレイの中で、否応無しにズレてゆくところもTRPGの面白さです。いずれにせよそれらは、単純なコピー、真似を志向しているわけではないと言えましょう。

*9:あるいはもっと意図と目的を明確にして、たとえば「ラノベを執筆する際に助けになるようなTRPGシステムはないだろうか?」といった問いであれば、より建設的な議論ができるでしょう。

*10:もちろん、これほど単純でテンプレ的な批判をしている人はいないと思いますが、わかりやすくした例として

エクリプス・フェイズと信用経済

信用経済とrep

何度か書いている通り、エクリプス・フェイズ世界の多くでは、信用経済が確立しており、通常はお金、クレジットで購入する買い物やサービスを、信用の度合いであるrepで得ることができます。


このrepというのは、ただ単に、お金の名前が変わったものではありません。非常に単純な話をすると、お金と違って、repは使っても減らないのです。
では、どうして、そういうことが起きるのでしょうか?

贈与文化と信用経済

現実の我々の社会でも、特にネットにおいて、直接、お金を前提としない無数の品やサービスが存在しています。


たとえば、今のインターネットの根幹を支えるwebサーバープログラムで、一番使われているApacheというソフトウェアは、有志によって作られたオープンソースのソフトウェアです。
資金的な対価なしに作られたプログラムが、高い性能と信頼性を同時に満たしているのです。
こうしたプログラムは数限りなくあります。


これらはプログラムに限ったものではありません。
例えば、フリーで公開されているゲームがあり、その中には参加者が好きに拡張・改造できることで、どんどん大きくなっているものもあります。
本体は有料でも、追加物の設計が無料公開されているのもあります。
pixivやニコ動などでは、様々なイラストや音声、画像の投稿や交換、協力が成立しています。


これだけ多くの活動が、お金無しで行われているわけです。
「お金を取れるクオリティじゃないから無料で公開してるだけ」といった意見は一部には成立しますが、それが全部でないことは、商業製品のある市場で、商業製品以上に繁栄している、ApacheLinuxを見るだけで明らかです。


ではなぜ、多くの人は、お金にもならないのに(あるいはわざわざお金にならないやり方で)、プログラムを作ったり、ゲーム作ったり、歌ったり踊ったり描いたり書いたりするのでしょうか?


オープンソース運動の代表者であるエリック・S・レイモンドが、そのあたりを分析した代表的な文章があります。
「ノウアスフィアの開墾」
Homesteading the Noosphere: Japanese


ここに書かれていることは、ハッカーが(あるいはニコ動やpixiv参加者やその他大勢のネット参加者が)無償で誰かのために何かを行うというのは、交換ではなくて、贈与文化に近いのではないか、ということです。


お金や価値のある品と「交換に」労働するのではなくて、「贈与」する。
贈与者は、「気前がいい」「太っ腹」「共同体に貢献」したとして、周りから評価されることで、信用、信頼という対価を得ている、というわけです。
贈与文化においては、贈与すればするほど、その人の地位はあがるわけです。


ニコ動で、神動画をあげる人は、それによって、周りに喜ばれること、それ自体が報酬である、というわけですね。

贈与の文化では、社会的なステータスはその人がなにをコントロールしているかではなく、その人がなにをあげてしまうかで決まる。


 だからクワキトルの酋長はポトラッチ・パーティーを開く。億万長者は派手にフィランソロフィー活動をして、しかもそれをひけらかすのが通例だ。そしてハッカーたちは、長時間の労力をそそいで、高品質のオープンソース・ソフトをつくる。


 というのも、こうして検討すると、オープンソースハッカーたちの社会がまさに贈与文化であるのは明らかだからだ。そのなかでは「生存に関わる必需品」――つまりディスク領域、ネットワーク帯域、計算能力など――が深刻に不足するようなことはない。ソフトは自由に共有される。この豊富さが産み出すのは、競争的な成功の尺度として唯一ありえるのが仲間内の評判だという状況だ。
(ノウアスフィアの開墾)

減らないrep

さて現在では、お金を取らないといっても限界があります。
ネットで流通できるような情報なら、いくらでもただで配布できますが、「物」は、そうもいきません。
自作のオリジナル・フィギュアの画像は公開できても、フィギュア自体は、タダでは配りづらいわけです。
また誰でも生活費を稼ぐための本業があるわけで、一日中、無料動画やフィギュアをつくっているわけにもいきません。


エクリプス・フェイズの世界では、それが解決しています。
まず衣食住は保証されているので、一日中、動画作っていても困りません。
次に、ナノマシンによる物質生成機があるので、フィギュアをデータ化して、各人に作ってもらうことで、物としてのフィギュアも実質無料で配れるようになっているのです。


そんなわけで、EPの90%では、この贈与による信用経済が広がっており、うち40%の「新経済」社会ではクレジット経済が存在せず、信用経済のみで社会が動いています。


EP世界の多くは、単にソフトウェア、情報にとどまらず、実体をもった製品やサービスも、見返りを求めない贈与の原理で動いているわけです。
だからこそ、repは使っても減らないわけです。

 贈与文化は、希少性ではなく過剰への適応だ。それは生存に不可欠な財について、物質的な欠乏があまり起きない社会で生じる。穏和な気候と豊富な食料を持った経済圏の原住民の間には、贈与経済が見られる。ぼくたち自身の社会でも、一部の層では観察される。たとえばショービジネスや大金持ちの間でだ。
(ノウアスフィアの開墾)

だからこそ、それはネットの中で発展し、社会全体が物質的な欠乏から自由になったEPの社会で、より大きな形で発展したというわけです。

repのルール

背景の話が長くなりました。ゲーム的には、repの使用は「欲しいものに応じて、それを持っている人を探し、譲ってもらう」という形を取ります。repは、この時の難易度に影響します。


たとえば、TRPGプレイヤーネットワーク(t-rep)*1に所属しているxenothが、新作TRPGである、エクリプス・フェイズのサプリメントを探している場合を考えましょう。


サプリメントのファイルを持っている人を探すのは、Networking(t-rep)で判定します。TRPG社会の知識やコネを使って、持っている人を探すわけです。
この時、xenothのTRPG界の評判が高ければ、みんなが協力してくれるので見つかりやすくなりますが、低ければ見つかりにくくなります。


xenothのt-repは、30%。これは、レベル2の名声にあたります。
xenothのNetworking(t-rep)は50%。基本成功率は50%です。
欲しいものの種類は、公開されているファイルなので、Trivial(どうってことないお願い)、レベル1のお願いです。
この時、自分の名声レベル以下のお願いなので、修正が+10%ついて、60%の確率で、ファイルがゲットできます。


成功すれば、
「このファイル誰か持ってない?」
「上げといた。url」
「ありがとう」
といった流れですね。
クレジットを使う場合は、ファイルの販売元を見つけた上で、改めて対価を支払う必要があります。信用経済の場合は、対価は必要ありません。


これが、もっと難しいお願いで、「新作TRPGを誰か俺のために作ってくれ」といったものだとします。
この時は、要求レベルはHigh、4レベル。自分のrepを超えるお願いなので、-10%の修正がつきます。成功率30%です。
「こういう新作TRPG欲しいんだけどなー。誰か作ってくれないかなー」
「自分で作れボケ」
という感じですね。


当然のことながら、短い時間で、何度もお願いをすると嫌われます。
ルール的には、あるお願いを叶えてもらってから、次にお願いできるまでに、一定の時間が必要となります。Trivialなら一時間、Highなら一ヶ月といった感じです。

repの消費と増大

その上で、どうしても特定のお願いが必要な時は、repの消費を行うことができます。
repを永久的に消費することで、判定に修正をつけられます(10ポイント消費すれば+10です)。
またrepを消費することで、短時間に何度も、お願いすることができます。
無理を通して評判が下がるわけですね。


また信用経済の外で活動する場合はrepが通じないので、repを減らして、クレジットに替えることができます(面倒ですね)。


ただし、これらは基本的には、どうしようもない時の緊急手段(あるいは愚かな信用の浪費)であって、基本的にはrepは減らして使うものではありません。


repは、セッションを通じて、その社会の中で評判を得ることで、増やしてゆくことができます。repの増大は、キャラクターの成長でもあるわけです。

EPと現代社

AGS様が何度も書かれている通り、エクリプス・フェイズというTRPGは、今の現在社会の様々な技術的社会的問題をみつめ、その中から生まれる変化についての問題提起を行っています。


先に引用したエリック・S・レイモンドの「ノウアスフィアの開墾」が書かれたのは1998年です。
この頃は、LinuxApache、無数のフリーウェア文化などはあったものの、ネットにおける贈与経済は、まだまだ「一部の好事家の物」でしかありませんでした。
商業化が進むに連れて消えてなくなるだろうといった意見もありました。


それから時間が流れ、ニコ動が身近にあり、初音ミクの歌が有線で流れる今、信用経済は、より多くの人を参加させながら、変化し続けています。
もちろん一般化したことによる軋みや歪みもありつつ、この先、どうなるのかも予断を許さない、見方を変えれば、エキサイティングな状況です。


EPと現代社会との関わりを考える時、こうした経済・社会の変化は重要なポイントとなるでしょう。


もちろん小難しいことを考えてセッションをしろというだけの話ではありません。


「未来のツイッターや、未来のニコ動はどうなるだろう?」
「100年後に初音ミクがいたら、どうなってるだろう?」
「その社会で、自分は、どんな風に暮らしてるだろう?」


たとえば、そんな形で想像の翼を広げて、ルールブックの記述を読み込んだり、セッションを遊んだりすることは、大変に面白いのではないかと思うのです。

repは電子通貨ではない

今回の記事を書くきっかけになったのは、AGS様の以下の紹介です。
陰謀団ファイアーウォール(FIREWALL)とは何ぞや?: Analog Game Studies

○ i-rep:未来経済における電子通貨の一種で、組織内における信用と引き換えに財貨や情報を獲得する際の指標となります。詳しくは英文基本ルールブックの357頁「OPTIONAL RULE: I-REP」を参照。

これまで書いたように、REPは、電子通貨の一種ではありません。
また信用と「引換に」何かを得るものではありません。
信用は濫用しない限り減らず、贈与する側にこそ信用の増大があるのです。


次に、これだけ読むと、I-REP自体がオプショナルルールであるように読めますが、そんなことはありません。
I-repは、repの中のファイアーウォール参加者としての信用・評判を表すREPで、普通に使用します。
REP一般についての記述は、p285を参照したほうが良いでしょう。


p357の選択ルールは「ファイアーウォールの工作員は社会全体に浸透しているので、他の社会でもI-repを使って判定を修正して良い(その社会のファイアーウォール工作員が援助してくれる」といったものです。ここだけ読んでも解説にならないのではと思います。

*1:もちろんEPルールブックには、t-repというのは存在しません。xenothが適当に作ったものです。ですが、GMは場合に応じて好きな社会や、既存の社会の、より細かい分類を導入してOKとはあります。

文学アレルギーと権力闘争

「文学」と呼ばれることの拒否

文学フリマで聞いた話。ある「ジャンル」(たとえばその時の例は、「やおい」だったが)には妙に「文学」嫌いな方がいて、たとえば褒めるつもりで「三島由紀夫を思わせる」というと極端なアレルギー反応を示し、自作がいかに「文学」的ではないか全力で論証しようとするらしい。すげえ後ろ向き。
http://twitter.com/orionaveugle/status/84145253786976258
(続き)こういうケースが貧しいのは、「文学」というものを恐ろしく狭く解釈していること。文学はもっと広く自由なもので、当然ながら「やおい」対「三島由紀夫」みたいな単純な対立では括れない(なお、これは「やおい」批判ではなく、いるらしい妙に「文学」アレルギーを持つ人への批判です)。
http://twitter.com/orionaveugle/status/84146384705560578
(続き)これは「やおい」だけの話ではなく、こういう事例は他のジャンルでも頻繁にあることだと思う。真に問題なのはこのことだ。「文学」アレルギーは百害あって一利ない。原理的には書かれたもののうちで品質の高いものが「文学」なのだとすると、自分で自分の了見を狭めているだけのことだから。
http://twitter.com/orionaveugle/status/84149013737246720
(続き)念のために補足しますと、これは「やおい」批判ではなく、どのジャンルでもある「文学」アレルギー批判について「やおい」も「文学」も両方親しんできた、とある優れた読み手/書き手の体験談を紹介した次第。私はこのジャンルをよく知らないので、不快に思われた方にはお詫びいたします。
http://twitter.com/orionaveugle/status/84150130328080384

岡和田氏の一連のツイートです。
「自作がいかに「文学」的ではないか全力で論証しようとする」というのは、個人的にも、大変心当たりのある行為です。
TRPGと文学性、娯楽性とか、色々似たような話はありますね。


文学というのが広く自由なものであって、拒否する必要がないという点については私も岡和田氏と同感です。
ただし、それをアレルギーというのは私は反対です。

誉める時は相手のことを考えよう

私はカエルが結構好きで、カエルの中ではモリアオガエルが大好きです。
モリアオガエルって非常に美しく可愛いと思います。
Forest Hip hop musician in Terrarium | Forest Green Tree Fro… | Flickr


ですから私が何かをモリアオガエルに例えるのは心からの賛辞なわけですが、だからといって前置きなしで女の子に「君、モリアオガエルにそっくりだね」と言ったら、わりと惨事になるでしょう*1


その時に、「生物としてのカエルの美しさ」とか「美しさというものを恐ろしく狭く解釈している」というのは論理的には正しいのでしょうが、論理的に正しいかどうか以前の問題なのは言うまでもありません。


これはカエルに限らず、「ゲルググを思わせる」とか「LHC(大型ハドロン衝突型加速器)みたいだ」とかでも同じです。


誰かと話す時は、相手のことを考えて、相手に伝わる言葉を探すべきです。
誰かを誉める時は、相手に伝わる褒め方をすべきです。
それをせずに、言葉が伝わらないことを憤るのは、逆ギレというものではないかと思うのです。

文学アレルギー

そのように十分気を使ったつもりでも、とにかく文学であるだけで受け入れられない、といった場合もあるでしょう。
では、なぜ、そのような「アレルギー」があるのでしょうか?

細かな志向性の違いはあれど、たとえば三島由紀夫から学べることは、いくらでもありそう、というかむしろ読んだほうがよいと思うんですけれどもねぇ。権威主義への嫌悪が別種の権威への信仰に基づくことはよくあります。 RT @fjmt033 文学という言葉が権威主義的に感じたりとかかな。
http://twitter.com/orionaveugle/status/84151737950277632
より正確に「権威主義への“この種の”嫌悪」としておきます。
http://twitter.com/orionaveugle/status/84198826046533632

ここでの指摘にある通り、拒否する理由のひとつは「権威主義」ではないかと思います。

「文学」と権威主義

やおいとして書かれた作品は、やおいであり、かつ、それ以外の様々な見方があります。
TRPGは、たとえば「娯楽」であり、かつ、それ以外の様々なものでもあります。
なのですが、ある種の言論は、実のところ権力闘争の道具として使われます。


「この作品は○○であって、××ではない」たとえば、「文学であるから、やおいではない」といった塩梅です。


こういう言論は、当然ながら、反発されます。
三島由紀夫を思わせる」と言われた時に起きる反発の原因は、そういうものではないかと思います。

文学コンプレックス

もちろん、そういう印象は、言われた側だけが持っている「文学コンプレックス」かもしれません。
文学と言っている側には、そういう意図は無いにも関わらず、言われた側だけが勝手にそういう偏見を持っている。
そこには岡和田氏が考えている通り、別の権威主義への信仰があるかもしれない。


ただし、この場合、両方考えておいたほうがいいと思うのです。
文学を好きな側は、自分の考えている文学の中に、押し付けがましい部分はないか?
文学が嫌いな側は、文学というものを押し付けがましいと決めつけてはいないか?


自分には権威主義はなく、相手にだけ権威主義がある、という決め付けは不毛でしょう。
文学権威主義にせよ、反文学権威主義にせよ、やってる側は自分が主義を押し付けてるとは気づかないものです。


「文学であるから、やおいではない」と直接、そのまま主張する人はいないでしょうが、「文学である部分が重要で、やおいであることはどうでもいい」と言った前提で物を言うこと、あるいはそのように読めてしまうことは結構あります。
もちろん、「こんなに面白いものが文学であるはずはない」といった逆の偏見もあります。

印象を作るもの

誰かが「「文学」というものを恐ろしく狭く解釈している」時、その理由は何でしょうか?


なんのことはなくて、自分の文学話が狭くつまらないから、相手が「文学って狭くてつまらないんだな」と思ってしまった可能性がある。


これは本当にマニアとして我が身を省みることなのですが、「どうして世間の人は文学の、TRPGの(あるいは他の趣味の)素晴らしさを理解しないんだ。みんな恐ろしく狭く解釈している」と叫びたくなる時は、確かにあるのですが、その理由の大半は、自分がつまらない話、相手のことを考えて、相手の興味を引けるような話をしていないからなのです。


気をつけたいものです。

*1:惨事にならずに微笑まれたら、惚れるなぁ。

エクリプス・フェイズ・イントロダクションブック感想

エクリプス・フェイズ・イントロダクションブック発表

ゲームマーケット2011に行ってAGS様の新刊Eclipse Phase Introduction Bookをいただいてきました。
6月12日(日)の第12回文学フリマで『Eclipse Phase Introduction Book For 2011 Japanese』を発行します!(付記:「幻視社」と「科学魔界」のご紹介): Analog Game Studies


収録されている短篇は、どれも同人誌らしい楽しさに満ちた作品で、大変に興味深いものでした。
小説を批評するというのは難しいものです。
誰かが楽しんで書いたり読んだりしているものに、妙な評価を押し付けるのは、必ずしも生産的でないわけで、どのような立場、意見からどう評価するか等々、考えることはたくさんあります*1


本作の場合は、「『エクリプス・フェイズ』の世界観を楽しみながら理解する」目的もあるということで、主に、エクリプス・フェイズの世界観、設定の面から感想、意見を書かせていただきたいと思います。

民間軍事会社SSS

本書には、4本の短篇が収録されており、その中心人物は、シャロン=孫です。


東洋系女性で、孫子の引用を好む彼女は「人道支援のための」民間軍事会社(PMSC)「SSS(Safety and Security are yourS)」の社長です。
このSSSの裏の顔は、タイタン連邦の特別機動部隊として、タイタン保安局の下で秘密任務を遂行するというものです。
シャロンは、会社の社長であると同時に、タイタン保安局の幹部でもあります。


このタイタン保安局について、岡和田氏の用語集では、以下のように記述があります。

タイタン保安局
タイタンには徴兵制によって編成された軍隊と保安部隊(military and security forces)が存在する。

ルールブックには、タイタン保安局自体の記述はなく、オリジナルの設定と思われます。
上記に該当する部分の記述は、以下です。

訳:タイタン人は、成人すると、良心的兵役忌避者を除き、主に軍事・保安部門の、3年間の公的奉仕を義務付けられます。
Titanians do three years of compulsory civil service
at the age of majority, with an emphasis on military
and security forces except for conscientious objecters.

見てわかるとおり、ここで言うSecurity forceは、治安部隊・軍警察といった意味合いですが、この一文から想像力を広げて「攻殻機動隊」的な謀略機関を作り出すのは、大変同人誌的なノリで好感がもてます*2

ロスト・ジェネレーション

さて若くしてSSSの社長となり、タイタン政府から秘密任務を受領するシャロンの生い立ちは、それに相応しく波乱万丈のものです。


EP世界では、かつて、生まれてすぐに子供をVR空間につなぎ、その中で時間を加速させ、高速教育を行うことで、次世代の人類を創りだそうという計画がありましたが、これは失敗し、ほとんどの被験体が発狂、死亡しました。
ごくわずかな生き残りも、実験の後遺症から、精神障害と超能力を発症しています*3。彼らは、ロスト・ジェネレーションと呼ばれています。


ロスト・ジェネレーションのキャラクターは、ルール的には専用のFaction(Lost)を取得することで作成できます。
Lostを取得した場合、知識にボーナスがつき、超能力を得る他、最低二つの精神疾患を取得する必要があります。


シャロンの場合、「発育中に誘拐され、工作員の訓練を受けて洗脳され、惑星連合のスパイとなって、タイタンの民主主義社会に潜入しました。それなのに色々あって今ではタイタン政府直属の特別捜査官」だそうで、急速成長のため、実年齢は10歳。
ルールを反映して、「躁鬱、PTSDそれにセックス依存症に悩んでいる」という設定もついています。


超能力少女特殊工作員トラウマつきという、大変に、萌え要素が詰まったキャラで、いかにもTRPGのセッションでいそうな感じですね。

FirewallとSSS

本作のSSSは、「ヤヌスの顔を備えた民間軍事会社」であり、シャロンの視点では「太陽系を駆け巡る国際救助隊」という理想の実現の一歩として描かれており、社会正義のために、世界の暗部で戦う部隊となっています。
これはエクリプス・フェイズの公式設定でPCが所属する組織であるFirewallと非常に似た立場にあります。
ではFirewallは、どういう風に描写されているのでしょうか。
まず用語集では以下のようにあります。

■ファイアーウォール
「トランスヒューマン」の救済を掲げて暗躍する秘密結社を指す。「惑星連合」をはじめとする多くの公的機関から危険視されている。

書かれていることは事実としては正しいですが、邪悪そうな印象ですね。


作中でFirewallとSSSは、共犯/ライバル関係にあり、SSSのほうが一枚上として描写されています。
シャロンは「通りすがりの人道支援活動家」として正体を見せずに、Firewallの任務を導き、うまく業績をかすめとって、タイタンから恩を売っています。

ファイアーウォールは人類救済を掲げて暗躍する広域ネットワークだ。彼らならば例えば惑星連合とか木星共和国といった勢力、そう、あたし達のタイタンが属する「自治主義派同盟」を目の仇にしている反技術社会主義圏、昔風に言えば帝国主義の魔窟に浸透できるというわけ。そもそもファイアーウォールとタイタンの仲は悪くない。あとは少々の「友情」を披露して、一枚岩ではない彼らを「善導」すれば……

こうしたSSSとシャロンの有能さ、活躍ぶりは、「攻殻機動隊」で言うなら、公安9課を手玉に取るオリジナル組織といった塩梅ですね。*4
これもTRPGセッションらしい熱気がある展開です。


Firewallについては、以下のまとめもご参照ください。
エクリプス・フェイズ〜人類を災厄から救うのは君だ!〜 - xenothの日記
秘密結社ファイアーウォール〜エクリプスフェイズの向う道〜 - xenothの日記

タイタンとクレジット

さて、SSSはタイタン政府の秘密出資による組織です。
では、タイタンの経済はどうなっているのでしょうか。


EP社会の経済については、前に書いたまとめをご参照ください。
エクリプス・フェイズ〜人類を災厄から救うのは君だ!〜 - xenothの日記
簡単に言うと、技術の進歩で衣食住が完備され物質的な必要が薄れたため、資本主義的なお金、通貨から、信用をベースにした評判経済が発達しており、それらはREPと呼ばれています。


本の用語集には以下のようにありました。

■クレジット
エクリプス・フェイズ世界での金銭は、絶対的基準としての共通貨幣である「クレジット」と、公的業績に応じた相対的権力としての「社会的評価」(REP)の二本立てになっている。
■社会的評価
エクリプス・フェイズ世界での金銭は、絶対的基準としての共通貨幣である「クレジット」と、公的業績に応じた相対的権力としての「社会的評価」(REP)の二本立てになっている。

ちょっと文章の意味がよくわからないのですが、わからないなりに補足すると、REPは、様々な社会における評判であり、社会ごとに違ったREPがあります。二本立てというと誤解を受けるかも知れません。
その中には犯罪社会で顔がきくg-repや、セレブ的な名声を表すf-repなどもあるので、「公的業績」というのも誤解しやすい表現かもしれません。


ちなみに、タイタン世界は「新経済」に属し、旧来のクレジットは使いません。REPのみです。
それに加えて、タイタン・クローネという社会通貨があります。
タイタンの場合、成人すると納税の義務が生じます。これがタイタン・クローネとなります。
タイタン・クローネは、無数のマイクロコープに出資されます。また、申請することで自分でマイクロコープを起業して出資を受けることもできます(ベンチャー企業みたいなもんですな)。
国が会社を出資するあたり社会主義に似ていますが、全体的な統制や計画はなく、面白そうな企画に、どんどん出資するという形になっています。
各マイクロコープは会計や進捗をオープンにする義務があり、その利益も国に還元されますが、マイクロコープを成功させた人はREPによって報われます。
これが「技術社会主義」です。


文中に記述はありませんが、SSSも、そうしたマイクロコープのひとつかもしれませんね。

設定という道具

今回のEP小説では、原作の設定の補完・補強にとどまらず、設定の改変や、敢えて公式より強力な印象を持つキャラクター、組織を登場させたりしています。
プロフェッショナルな二次創作の場合、こうした基本となる設定の否定は忌避される場合が多いですが、TRPGのセッションにおいては、そんな窮屈な決まりごとはありません。


TRPGにおいて設定は、セッションを楽しむための道具です。
セッションを楽しむために、公式設定を曲げたり、公式の強キャラや強い組織を超える、オリジナル設定を作るのは大変に楽しいものですし、私も覚えがあります。


今回のEP小説のそうした設定は、その出自であるTRPG的な二次創作を意識したのかもしれません。


ただ内輪の卓で遊ぶ分にはそれで問題ないのですが、不特定多数と遊ぶ場合、そうした設定の食い違いは大きな問題となることがあります。
今回のEclipse Phase Introduction Bookは、文字通り、EPの紹介をかねていると思われるので、そうした食い違いについて、参考とすべくまとめてみました*5
小説を書く上での、作者の創造に異を唱えるものではありません。


なお、原書には細かくあたったつもりですが、全部のサプリ、記述を完全に読み込んでいるわけではありません。公式に記述されているものを、独自設定と書いている部分がありましたら、どうぞご指摘ください。

*1:そのあたり関係の無い感想としては、「Dog Tale」が一番楽しく読めました。

*2:もちろん、岡和田氏、蔵原氏は、こうしたことを分かった上で設定を読み替えているのでしょう。タイタン政府に諜報部門があることは別に不自然ではありません。

*3:この世界の超能力は、ウイルスに感染することで発症します

*4:もちろんこれは描写の範囲の話ですし、あるいはシャロンの偽装はFirewallに気づかれており、SSSこそが誘導されているのかもしれません。

*5:用語集には「なお、一部には本書に収録された作品の著者が創造した言葉もあります」とありますが、具体的にどれがオリジナルで、どこが食い違うか等は書かれていません。

サイオニックとクトゥルフ神話(D&Dちょっといい話)

彼方の領域の邪神達

この日記でも書きましたが、D&D第四版の「サイオニックの書」では、サイオニック能力の持ち主は、“彼方の領域”からの邪悪な怪物、神格と戦う宿命を持っています。
D&Dとサイオニック - xenothの日記
異次元の邪神ということで、いわゆるクトゥルフ神話的な怪物達ですね。


これについて調べてみると、面白いことがわかりました。

マインドフレイヤーとクトーニアン

前回の日記で書いた通り、D&Dにサイオニック能力が一番最初に登場したのは、マインドフレイヤーというモンスターの記事でした。


そして、このマインドフレイヤーの起源について、ゲイリー・ガイギャックスが面白いことを述べているのです。
Morrus' Unofficial Tabletop RPG News
マインドフレイヤーは、ガイギャックスが自分の想像力で創りだしたオリジナル・モンスターですが、そのインスピレーションとなったのは、とあるペーパーバックの表紙、だそうです。
それがこれです。


http://www.amazon.com/gp/customer-media/product-gallery/B000LVG7CS/ref=cm_ciu_pdp_images_0?ie=UTF8&index=0
*リンク先にイラストあり。


ブライアン・ラムレイの「地を穿つ魔」、タイタス・クロウ・サーガの一巻です。翻訳も出ています。

表紙の触手っぽいところは、確かに、タコ頭のマインドフレイヤーっぽいかもしれません。


本作は、クトゥルフ神話に連なる作品のひとつであり、大地に潜み地震を起こすクトーニアンという種族を登場させました。
このクトーニアン達は、テレパシーで人間を精神的に束縛する力を持つ、サイオニック能力の持ち主です。
そもそもクトゥルフ神話の名の元となった、クトゥルフ神も、その覚醒と共に多くの人間の精神に影響を与え、悪夢を見せたり発狂させたりしました(こちらは意図的に操るというより、人間のほうが勝手に影響を受けるといった印象ですが)。


ゲイリー・ガイギャックスの記事には、表紙からインスピレーションを受けたとあるので、作中のクトーニアンの能力と関連付けて良いかはわかりませんが、D&Dに影響を与えた作家のひとりとしてラヴクラフトを挙げているガイギャックスのことですから、サイオニックの根っこに、クトゥルフやクトーニアンといった邪神による精神汚染の印象があった、とするのは、あながち外れではないでしょう。


そうした出自を踏まえて、サイオニック能力者達が、彼方の領域の邪神達と戦うという設定が新たにD&Dに付け加えられたわけです。
D&D黎明期の出自が、長い時を隔てて、帰ってきたと考えると、なかなか趣深い話ではありませんか。


この話、結構、有名みたいですが、私は知らなかったのでまとめてみました。