エクリプス・フェイズと信用経済

信用経済とrep

何度か書いている通り、エクリプス・フェイズ世界の多くでは、信用経済が確立しており、通常はお金、クレジットで購入する買い物やサービスを、信用の度合いであるrepで得ることができます。


このrepというのは、ただ単に、お金の名前が変わったものではありません。非常に単純な話をすると、お金と違って、repは使っても減らないのです。
では、どうして、そういうことが起きるのでしょうか?

贈与文化と信用経済

現実の我々の社会でも、特にネットにおいて、直接、お金を前提としない無数の品やサービスが存在しています。


たとえば、今のインターネットの根幹を支えるwebサーバープログラムで、一番使われているApacheというソフトウェアは、有志によって作られたオープンソースのソフトウェアです。
資金的な対価なしに作られたプログラムが、高い性能と信頼性を同時に満たしているのです。
こうしたプログラムは数限りなくあります。


これらはプログラムに限ったものではありません。
例えば、フリーで公開されているゲームがあり、その中には参加者が好きに拡張・改造できることで、どんどん大きくなっているものもあります。
本体は有料でも、追加物の設計が無料公開されているのもあります。
pixivやニコ動などでは、様々なイラストや音声、画像の投稿や交換、協力が成立しています。


これだけ多くの活動が、お金無しで行われているわけです。
「お金を取れるクオリティじゃないから無料で公開してるだけ」といった意見は一部には成立しますが、それが全部でないことは、商業製品のある市場で、商業製品以上に繁栄している、ApacheLinuxを見るだけで明らかです。


ではなぜ、多くの人は、お金にもならないのに(あるいはわざわざお金にならないやり方で)、プログラムを作ったり、ゲーム作ったり、歌ったり踊ったり描いたり書いたりするのでしょうか?


オープンソース運動の代表者であるエリック・S・レイモンドが、そのあたりを分析した代表的な文章があります。
「ノウアスフィアの開墾」
Homesteading the Noosphere: Japanese


ここに書かれていることは、ハッカーが(あるいはニコ動やpixiv参加者やその他大勢のネット参加者が)無償で誰かのために何かを行うというのは、交換ではなくて、贈与文化に近いのではないか、ということです。


お金や価値のある品と「交換に」労働するのではなくて、「贈与」する。
贈与者は、「気前がいい」「太っ腹」「共同体に貢献」したとして、周りから評価されることで、信用、信頼という対価を得ている、というわけです。
贈与文化においては、贈与すればするほど、その人の地位はあがるわけです。


ニコ動で、神動画をあげる人は、それによって、周りに喜ばれること、それ自体が報酬である、というわけですね。

贈与の文化では、社会的なステータスはその人がなにをコントロールしているかではなく、その人がなにをあげてしまうかで決まる。


 だからクワキトルの酋長はポトラッチ・パーティーを開く。億万長者は派手にフィランソロフィー活動をして、しかもそれをひけらかすのが通例だ。そしてハッカーたちは、長時間の労力をそそいで、高品質のオープンソース・ソフトをつくる。


 というのも、こうして検討すると、オープンソースハッカーたちの社会がまさに贈与文化であるのは明らかだからだ。そのなかでは「生存に関わる必需品」――つまりディスク領域、ネットワーク帯域、計算能力など――が深刻に不足するようなことはない。ソフトは自由に共有される。この豊富さが産み出すのは、競争的な成功の尺度として唯一ありえるのが仲間内の評判だという状況だ。
(ノウアスフィアの開墾)

減らないrep

さて現在では、お金を取らないといっても限界があります。
ネットで流通できるような情報なら、いくらでもただで配布できますが、「物」は、そうもいきません。
自作のオリジナル・フィギュアの画像は公開できても、フィギュア自体は、タダでは配りづらいわけです。
また誰でも生活費を稼ぐための本業があるわけで、一日中、無料動画やフィギュアをつくっているわけにもいきません。


エクリプス・フェイズの世界では、それが解決しています。
まず衣食住は保証されているので、一日中、動画作っていても困りません。
次に、ナノマシンによる物質生成機があるので、フィギュアをデータ化して、各人に作ってもらうことで、物としてのフィギュアも実質無料で配れるようになっているのです。


そんなわけで、EPの90%では、この贈与による信用経済が広がっており、うち40%の「新経済」社会ではクレジット経済が存在せず、信用経済のみで社会が動いています。


EP世界の多くは、単にソフトウェア、情報にとどまらず、実体をもった製品やサービスも、見返りを求めない贈与の原理で動いているわけです。
だからこそ、repは使っても減らないわけです。

 贈与文化は、希少性ではなく過剰への適応だ。それは生存に不可欠な財について、物質的な欠乏があまり起きない社会で生じる。穏和な気候と豊富な食料を持った経済圏の原住民の間には、贈与経済が見られる。ぼくたち自身の社会でも、一部の層では観察される。たとえばショービジネスや大金持ちの間でだ。
(ノウアスフィアの開墾)

だからこそ、それはネットの中で発展し、社会全体が物質的な欠乏から自由になったEPの社会で、より大きな形で発展したというわけです。

repのルール

背景の話が長くなりました。ゲーム的には、repの使用は「欲しいものに応じて、それを持っている人を探し、譲ってもらう」という形を取ります。repは、この時の難易度に影響します。


たとえば、TRPGプレイヤーネットワーク(t-rep)*1に所属しているxenothが、新作TRPGである、エクリプス・フェイズのサプリメントを探している場合を考えましょう。


サプリメントのファイルを持っている人を探すのは、Networking(t-rep)で判定します。TRPG社会の知識やコネを使って、持っている人を探すわけです。
この時、xenothのTRPG界の評判が高ければ、みんなが協力してくれるので見つかりやすくなりますが、低ければ見つかりにくくなります。


xenothのt-repは、30%。これは、レベル2の名声にあたります。
xenothのNetworking(t-rep)は50%。基本成功率は50%です。
欲しいものの種類は、公開されているファイルなので、Trivial(どうってことないお願い)、レベル1のお願いです。
この時、自分の名声レベル以下のお願いなので、修正が+10%ついて、60%の確率で、ファイルがゲットできます。


成功すれば、
「このファイル誰か持ってない?」
「上げといた。url」
「ありがとう」
といった流れですね。
クレジットを使う場合は、ファイルの販売元を見つけた上で、改めて対価を支払う必要があります。信用経済の場合は、対価は必要ありません。


これが、もっと難しいお願いで、「新作TRPGを誰か俺のために作ってくれ」といったものだとします。
この時は、要求レベルはHigh、4レベル。自分のrepを超えるお願いなので、-10%の修正がつきます。成功率30%です。
「こういう新作TRPG欲しいんだけどなー。誰か作ってくれないかなー」
「自分で作れボケ」
という感じですね。


当然のことながら、短い時間で、何度もお願いをすると嫌われます。
ルール的には、あるお願いを叶えてもらってから、次にお願いできるまでに、一定の時間が必要となります。Trivialなら一時間、Highなら一ヶ月といった感じです。

repの消費と増大

その上で、どうしても特定のお願いが必要な時は、repの消費を行うことができます。
repを永久的に消費することで、判定に修正をつけられます(10ポイント消費すれば+10です)。
またrepを消費することで、短時間に何度も、お願いすることができます。
無理を通して評判が下がるわけですね。


また信用経済の外で活動する場合はrepが通じないので、repを減らして、クレジットに替えることができます(面倒ですね)。


ただし、これらは基本的には、どうしようもない時の緊急手段(あるいは愚かな信用の浪費)であって、基本的にはrepは減らして使うものではありません。


repは、セッションを通じて、その社会の中で評判を得ることで、増やしてゆくことができます。repの増大は、キャラクターの成長でもあるわけです。

EPと現代社

AGS様が何度も書かれている通り、エクリプス・フェイズというTRPGは、今の現在社会の様々な技術的社会的問題をみつめ、その中から生まれる変化についての問題提起を行っています。


先に引用したエリック・S・レイモンドの「ノウアスフィアの開墾」が書かれたのは1998年です。
この頃は、LinuxApache、無数のフリーウェア文化などはあったものの、ネットにおける贈与経済は、まだまだ「一部の好事家の物」でしかありませんでした。
商業化が進むに連れて消えてなくなるだろうといった意見もありました。


それから時間が流れ、ニコ動が身近にあり、初音ミクの歌が有線で流れる今、信用経済は、より多くの人を参加させながら、変化し続けています。
もちろん一般化したことによる軋みや歪みもありつつ、この先、どうなるのかも予断を許さない、見方を変えれば、エキサイティングな状況です。


EPと現代社会との関わりを考える時、こうした経済・社会の変化は重要なポイントとなるでしょう。


もちろん小難しいことを考えてセッションをしろというだけの話ではありません。


「未来のツイッターや、未来のニコ動はどうなるだろう?」
「100年後に初音ミクがいたら、どうなってるだろう?」
「その社会で、自分は、どんな風に暮らしてるだろう?」


たとえば、そんな形で想像の翼を広げて、ルールブックの記述を読み込んだり、セッションを遊んだりすることは、大変に面白いのではないかと思うのです。

repは電子通貨ではない

今回の記事を書くきっかけになったのは、AGS様の以下の紹介です。
陰謀団ファイアーウォール(FIREWALL)とは何ぞや?: Analog Game Studies

○ i-rep:未来経済における電子通貨の一種で、組織内における信用と引き換えに財貨や情報を獲得する際の指標となります。詳しくは英文基本ルールブックの357頁「OPTIONAL RULE: I-REP」を参照。

これまで書いたように、REPは、電子通貨の一種ではありません。
また信用と「引換に」何かを得るものではありません。
信用は濫用しない限り減らず、贈与する側にこそ信用の増大があるのです。


次に、これだけ読むと、I-REP自体がオプショナルルールであるように読めますが、そんなことはありません。
I-repは、repの中のファイアーウォール参加者としての信用・評判を表すREPで、普通に使用します。
REP一般についての記述は、p285を参照したほうが良いでしょう。


p357の選択ルールは「ファイアーウォールの工作員は社会全体に浸透しているので、他の社会でもI-repを使って判定を修正して良い(その社会のファイアーウォール工作員が援助してくれる」といったものです。ここだけ読んでも解説にならないのではと思います。

*1:もちろんEPルールブックには、t-repというのは存在しません。xenothが適当に作ったものです。ですが、GMは場合に応じて好きな社会や、既存の社会の、より細かい分類を導入してOKとはあります。