ガイギャックスとトールキン

しばらく前に、D&Dのデザイナー、つまりTRPGというジャンルの創始者の一人であるガイギャックスと、文学性について考えたことがありました。
お返事お待ちしてます - xenothの日記
その後、少し調べ物が進んだので、それを報告するものです。


さて発売当時のD&Dが、「指輪物語」人気に乗った作品であり、指輪ファンも熱狂的に遊んだことは事実である一方で、事はそう単純ではありません。
一つは、きちんと許可をとった製品ではないので、指輪物語の固有名詞使用に関して、トールキン財団とのやりとりがあり、結果としてホビットがハーフリングに変更されるなどの権利問題があったと言われています。*1
もう一つは、ガイギャックス本人が、あまり「指輪物語」を好きでなかったと述懐していることです。
このことについて、Wikipediaで調べると、Dragon誌にD&Dトールキンに関するガイギャックスの記事があることがわかりました。
Dungeons & Dragons - Wikipedia
そのテキストを発掘してきたので、抜粋訳を紹介します。

D&DとAD&Dに関する、J.R.R.トールキンの影響について〜なぜ中つ国がゲーム世界の一部でないか〜

The influence of J. R. R. Tolkien on the D&D® and AD&D® games
Why Middle Earth is not part of the game world
by Gary Gygax
以下、抜粋訳。正確を期すために、英文も引用します。
トールキンの影響力について)

 よくされる質問(あるいは質問もせずに決め付けられること)に、ロールプレイングゲームD&D、AD&DにおけるJ.R.R.トールキンの影響力がある。その質問に対する答えは複雑なもので、二つに分かれている。トールキン教授のファンタジー作品が人気を博したことで、私も自分なりのファンタジー世界をつくろうと志した。一方、私の作品に、トールキン作品の影響はいくつか断片的かつ曖昧に反映されているものの、私自身は彼の影響力は全体としてごくわずかだと考えている。
A frequently asked question - or assertion,in the case of those who don't bother to ask - deals with the amount of influence of J. R. R. Tolkien on the creation of the DUNGEONS & DRAGONS® and ADVANCED DUNGEONS & DRAGONS® role-playing games.
The answer to the inquiry is complex, for there are two parts. The popularity of Professor Tolkien's fantasy works did encourage me to develop my own. But while there are bits and pieces of his works reflected hazily in mine, I believe that his influence, as a whole, is quite minimal.

(影響を与えた作家について)

 両方のゲーム(訳注:D&DとAD&D)を詳細に分析すれば、大きな影響は、R.E.ハワード、スプレイグ・ド・キャンプ&フレッチャー・プラット、フリッツ・ライバー、ポール・アンダーソン、A.メリット、ラブクラフトであることがわかるだろう。それにつぐ影響は、ロジャー・ゼラズニー、E.R.バロウズマイケル・ムアコックフィリップ・ホセ・ファーマー、そしてその他多くである。
A careful examination of the games will quickly reveal that the major influences are Robert E. Howard, L. Sprague de Camp and Fletcher Pratt, Fritz Leiber, Poul Anderson,A. Merritt, and H. P. Lovecraft.
Only slightly lesser influence came from Roger Zelazny, E. R. Burroughs, Michael
Moorcock, Philip Jose Farmer, and many others.

指輪物語について)

ホビットの冒険は大変楽しんだのだけど、指輪物語三部作は……うーんと、退屈だった。
Though I thoroughly enjoyed The Hobbit, I found the Ring Trilogy ... well, tedious.

(内容の影響について)

ファンタジーアクション冒険小説として見た場合、トールキンの作品はダイナミックじゃない。ガンダルフは、たいしたことはない。時々剣を振るって、時々(D&Dの基準からすると)低パワーの魔法を使うだけだ。
 見ればわかる通り、ガンダルフガンダルフの魔法もD&Dにはほとんど影響を及ぼしていない。
Considered in the light of fantasy action adventure, Tolkien is not dynamic.
Gandalf is quite ineffectual, plying a sword at times and casting spells which are quite lowpowered (in terms of the D&D® game).
Obviously, neither he nor his magic had any influence on the games.

ちなみにガイギャックスではないですが、Dragon誌#5に、「ガンダルフは、5レベルマジックユーザーだ!GANDALF WAS ONLY A FIFTH LEVEL MAGIC-USER」なんていう楽しい記事もありました。初期のフリーダムな空気が伝わってきます。日本のTRPG雑誌とかでも、昔よくありましたね、こういう考察。*2
この他、サウロンキャラ立ってないよね、とか色々楽しい話があり、オークやトロール、エルフやドワーフ、ハーフリングといった種族について、本来の民話での姿、トールキンの独自解釈とD&Dにおける設定についての比較が進められてゆきます。


指輪物語の利用について)

 ゲームに見られる類似や影響は、どっちかといえば、当時のトールキン作品の大ブームを、資金化しようと研究した結果である。はっきりいうなら、そうしたトールキンの読者を引き寄せるために、また、プロトタイプのD&Dを遊んだプレイヤーたちからの求めもあって、一部の名前と設定を、注意を引き寄せるためだけの目的で、表面的に取り込んだ。
The seeming parallels and inspirations are actually the results of a studied effort to capitalize on the then-current craze for Tolkien's literature.
Frankly, to attract those readers - and often at the urging of persons who were playing prototypical forms of D&D games - I used certain names and attributes in a superficial manner, merely to get their attention!

(実際のプレイについて)

D&Dトールキン作品の両方をよく知っている人間ならすぐわかる通り、二つの作品に共通点はないし、D&Dのゲームシステムの範囲でトールキン的なファンタジーを遊ぶことは不可能に近い。
As anyone familiar with both D&D games and Tolkien works can affirm,there is no resemblance between the two,and it is well nigh impossible to recreate any Tolkien-based fantasy while remaining within the boundaries of the game system.

お茶目なガイギャックスさん

相当なぶっちゃけぶりに驚いたのではないでしょうか。私も読んで腰を抜かしました。


もちろん、これらは単純にそのまま受け取るだけではなく、当時の状況や背景を振り返る必要があります。
一つには、先に述べた通り、D&Dには指輪物語との権利問題が絡んでいたところ。
仮にガイギャックスが「指輪物語をリスペクトしています」と思っていたとしても、公式には、そう書けなかったのかもしれません。


また日本でもあった問題ですが、当時のD&Dにおいて「指輪物語では○○の設定が××だからD&Dでもこうだ/こうでないのはおかしい」的な議論が、よく起きていたわけです*3
それらに釘を刺す意味で、「D&D指輪物語は別物だから一緒にしてはいけない」と発言する必要性もあったでしょう。


一方で、そうしたD&Dの独自性を主張するだけなら、もう少し他の書き方もある気はします。
2008年のインタビューでも、やっぱり「指輪物語はトロい」とおっしゃってるので、そのへんは一貫した感想なのではないかと思います。
Dungeon Master: The Life and Legacy of Gary Gygax | WIRED


もちろん、指輪物語への態度は、ガイギャックスの文学全体への態度を表すものではありませんが、D&Dというゲームにおいては「ファンタジーアクション冒険小説」の部分を大切にしたというガイギャックスの姿勢は、今の私たちにとって共感できるものです。
また、この記事であげられた影響を受けた作家達の作品を検討することも重要でしょう。

ファンタジーと現代性

ガイギャックスが書いているように、(この記事執筆当時の)D&Dは、戦闘と成長がメインのゲームであって、「トールキン的なファンタジーを遊ぶことは不可能に近い」と言っていいでしょう。


D&Dは戦闘と成長がメインである以上、主人公達は成り上がりであり、戦闘を通じて、どんどん強大な力を得て行くことになります。
対する指輪物語は、王家の血筋を引くものが復権する物語であり、戦いによって多くのものが失われ、最終的には一つの神話が終わって魔法の力が世界から失われる物語です。
相反していますね。
ではD&Dに向いている物語は、どんな物語でしょうか?

R.E.ハワード、スプレイグ・ド・キャンプ&フレッチャー・プラット、フリッツ・ライバー、ポール・アンダーソン、A.メリット、ラブクラフトであることがわかるだろう。それにつぐ影響は、ロジャー・ゼラズニー、E.R.バロウズマイケル・ムアコックフィリップ・ホセ・ファーマー

D&Dに影響を与えたとされる、これらの作家群を見て、xenothが感じるのは、ファンタジー性と現代性の同居です。


ヒロイックファンタジーのジャンルを切り拓いたハワードのコナンは別格として、フリッツ・ライバーの二剣士シリーズは、(異論はあると思いますし作品ごとにも違いますが)中世的、ファンタジー的な性格もあると同時に、非常に現代的な部分があるお話です。
「ランクマーの夏枯れ時」は、ハリウッドのショービジネスを舞台にしたとおぼしき新興宗教ビジネスの話で、ファファードが祭壇を抱えて、ヒットチャートを文字通り、登ったり下ったりする中で、裏で宗教マフィアがみかじめ料取立てに暗躍するという現代人にも親しみが持てる皮肉な面白さがあふれた作品です。
スプレイグ・ド・キャンプとフレッチャー・プラットの代表作は、「ハロルド・シェイシリーズ」で、これは現代人がファンタジー世界に移動して、文化人類学の知識で大活躍するといった作品。
ポール・アンダーソンの、「魔界の紋章」や「魔王作戦」(こちらは、D&Dの発売とほぼ同時期ですが)といった作品群も現代人+ファンタジー設定です。
ゼラズニーやムアコックも、現代人的な視点と神話的な視点を混ぜる面白さで知られています。


D&Dを遊ぶ際、結局のところプレイヤーは現代人なので、ファンタジーキャラとして遊びつつも、キャラクター、ロールプレイに、当然、現代人的な側面も当然出てくるし、それでいいんだ、というのはxenoth的には、しっくりくる理解です。


これは限られた資料から導いた意見に過ぎないので、不充分な、牽強付会に近いものではあると思います。資料を増やした、より一層の研究が待たれるところです。*4

せめぎあい

私も覚えがありますが、D&Dが指輪に向かないシステムである上で、「無理矢理、指輪物語をやりたがった」プレイヤーも、また沢山いると思います。


そうした意志や結果が、やがてフィードバックされ、指輪物語的なゲームも遊べるTRPGが様々な方面から生まれてきます。
アラゴルンをやりたいから*5、ロストロイヤル*6や、レクスコロナのアルカナ*7や、その他様々なルール、システムが生まれたわけです。本家D&D自体にも、そうした試みは数多くあります。


そうした試みは、無論、最初から全部成功したものばかりではなく、無茶だったり、とってつけたようであったり、やりたいことはわかるんだけどプレイするのが大変だったりするものもありつつ、徐々に磨かれて、よりよくなってきたわけです。


そうやって新しい世界が生まれる一方で、アクションいっぱいの冒険やりたいよね、というガイギャックスの気持ちも大切ですよね。
元々のD&Dのコンセプトである、コナン的な、成り上がり冒険譚の面白さも、時とともにますます磨かれてきています。


遊びたい人が遊ぶことによって、TRPGの裾野が今後とも増えることを望みたいものです。

*1:ただしこれは通説で、実際にトールキン財団ともめたかどうかの、証拠は探せませんでした。あるいは規模が大きくなったことで、D&D側が自粛したのかもしれません。

*2:念の為に書き添えるなら、これはD&Dの基準で指輪物語の魔法を測ってはいけない、ということだと思います。それはそれとして、こういう身も蓋もないツッコミや、色々な物語をとにかくRPGシステムで解釈する遊びは、楽しいものですよね。

*3:Dragon#41 の読者コーナーでも、ドワーフ女性には髭があるか? という懐かしい議論が、トールキンの記述と絡めてされています。

*4:たとえばメリットやラヴクラフトなどの幻想・怪奇系の影響がどこにでてるかは興味があるところです。

*5:より正確に言うならば、アラゴルンの物語は貴種流離譚の一つに位置づけられるもので、これらのシステムもアラゴルンだけを意識したものではないでしょうけれども。

*6:ローズ・トゥ・ロード』の種族。上古の血を引くもの

*7:コロナは『ブレイド・オブ・アルカナ』のアルカナ(クラス)の一つで王や王族、貴族を表す。同ゲームでは、過去・現在・未来に合わせて3つのアルカナを設定するので、「過去、王家であったが王座を失ったもの」や「未来に王となる運命の者」などを作れる。※指摘いただいて修正。レクスは、追跡者でした。

趣味の奥深さを伝えるためにしてはいけないこと

首根っこ掴みたい

何かの趣味に打ち込めるということは幸せなことです。
たとえばxenothは、TRPGという趣味に十数年の時間をかけ、かけた分の時間と情熱は報われています。
時々離れることがあるかもしれませんが、一生つきあってゆける趣味だと思っています。


そんなxenothは、たとえば誰かが「TRPGかー。最近やってないな。飽きたよ」とか「TRPGなんて卒業したよ」みたいなことを言っているのを見かけると、「おまえは何もわかっちゃいない! TRPGはおまえの考えてるのより、ずっとずっと奥が深い趣味だ! 反省しろ!」と首根っこつかんで揺さぶってやりたい衝動にかられます。


いやまぁ思うだけならいいんですが、中学生くらいの頃は、実際に、首根っこつかんで揺さぶってた気がします。傍迷惑ですね。


TRPGというものに自分が感じている奥深さ、すごさ、面白さを、どうにかして他の人にわかってもらいたいという気持ちは今もあり、変わっていません。
もし、首根っこを掴んで揺さぶってそれが通じるなら、今でも迷わず首根っこを掴みます。


ただ、実際問題は、そうじゃない。
どうしてそうなのか、という理由を4つほど考えました。

  1. ネガティブな意見では人は動かない
  2. 入り口の多様性
  3. 思想とモチベーションの違い
  4. 趣味はたくさんありお互い様である

です。

ネガティブな意見では人は動かない

さて、相手の首根っこを掴んで、「おまえの考えてるTRPGは浅い!」「本当のTRPGはこんなに奥が深いんだ!」と解説したとしましょう。
それを聞いた相手は「おおなるほど! TRPGはそんなに奥が深いものだったんだ! よしTRPGをやろう!」と思うでしょうか?


まぁ思いませんよね。
「おまえのTRPGはダメだ」と言われれば、「そうか。じゃぁ止める」となるだけです。


相手にTRPGを、もっと遊んでほしいなら、必要なのは「TRPGを遊びたくなる気持ち」、モチベーションです。
相手の現状を批判したところで、それはモチベーションにはならず、逆効果なわけです。


なので、TRPGの奥深い面白さを伝えようとするなら、一番大切なことは、首根っこを掴んで揺さぶること、相手の浅さを批判することではなくて、「自分の感じるTRPGの面白さ、深さを伝えること」、「面白そうにTRPGを遊び続けること」だと考えています。

入り口の多様性

さて、人がモチベーションを得る理由は様々です。また遊び続けることによって、モチベーションのあり方も変化してゆきます。


xenothの場合、ムアコック栗本薫グイン・サーガ等が好きだったので、TRPGを始めた頃のモチベーションは、「ファンタジーっておもしれぇ!」でした。
TRPGって何かと言われたら「剣と魔法! ヒロイックファンタジー!」と答えていたでしょう。
それから十数年経った現在のxenothは、TRPGの可能性は別にファンタジーだけに限定されるものではなく、またファンタジーというジャンルも中学生当時考えていたより大きな広がりがあるものなのだと理解しています。


今、中学生のxenothに出会ったら「おまえは何もわかっちゃいない。そもそもTRPGとは、ファンタジーとは(略)」な説教を始めたくなることでしょう。


ですがまぁ、これも余計なお世話というものです。
中学生のxenothは、せっかく面白く遊んでいたTRPGを、なんかお説教されて、やる気なくすかもしれません。
相手のモチベーション自体を批判するのは、よくないことです。
何かを素晴らしい、楽しいと感じている尊い気持ちを、くさしても得られるものはありません。


「TRPGって他にも色々あってそれも楽しいんだぜ」という話をする際は、モチベーションの批判にならないように、うまくやるべきでしょう。

思想とモチベーションの違い

さて、なんで大人xenothは、中学生xenothに説教したくなるかというと、思想の深さの違いがあると思います。


「TRPGってファンタジーとかやれるゲーム」という中学生xenothの理解は、「TRPGは表現媒体であって様々なフィクションを表現しうる」という大人xenothの理解に比べて、思想的には劣っています。
どちらが思想的により優れているか、といえば後者となるでしょう。


一方で、モチベーションとして見た場合、あの頃の、「ファンタジーって素晴らしい。TRPGってすごい」という気持ち、感動、そのために色々な資料を買いあさって学校でTRPGを遊びまくった熱意は、今のxenothと比べて否定できるものではありません。
だいたい今のxeonthがTRPGを面白いと感じてるのも、あの頃の気持がずっと続いているからですしね。


思想、論理として優れているのと、モチベーションの強さとは全く違うものです。
人間は思想、論理として自分が優れていると感じると、つい相手を全否定したくなりますが、論理は論理の範囲でしか否定できません。
「理屈として正しい」程度のことで、誰かの熱意を見下すのは間違いであり、傲慢というものでしょう。

お互い様である

さて、うまく説明して、自分の感じるモチベーション、TRPGの奥深さを伝えられたとして、だからといって相手がTRPGを遊びはじめるとは限りません。
でも、それに怒ってもしかたがありません。


だいたい「TRPGに飽きたとは何事だ!」とか言いたいxenothですが、その一方で、「いやークラシックとかよくわかんなくってさー。すぐ眠くなるんだよね」とか平気で言ったりします。
「おまえは何もわかっちゃ(略)」と、首根っこ掴みたいxenoth的なクラシックファンの方もいることでしょう。


こういうのを、お互い様といいます。


様々な趣味があって、それぞれの趣味に一生をかけている人がいます。
それはそれとして一人の人生は有限です。
クラシックに人生かけたら、TRPGやってる暇がなくなるし逆も真でしょう。
二つくらいならなんとかなるかもしれませんが、他にも趣味はたくさんあるわけで、その全てに打ち込むのはどうやっても不可能です。


ですからTRPGが素晴らしいからといって、他の人に自分がかけた情熱を単純に要求することはできません。
だって自分だって「○○の趣味は素晴らしいんだ! 十年かけてそれを知れ!」と言われても困りますから。


自分の知らない趣味にもきっと自分の知らない奥深さがあるんだろうな、と、心に留めて失礼なことを言わないように気をつけつつ、自分の好きな物を押し付けすぎないようにするのが良いでしょう。

呼吸の如く

「ネガティブな意見で説得しない」「相手のモチベーションを批判しない」というのは、言うのは簡単ですが、やるのはなかなか簡単じゃないんですよね。
うっかりすると、呼吸するように、そうした発言をしてしまいます。
以下に例文をあげてみます。

もはやTRPGは、単なる暇つぶしに留まるものではなくなっています。

言外に、「単なる暇つぶしであるTRPG」が、かつて存在したことを前提としています。
ネガティブな意見であると同時に、「暇つぶし」と言われそうなTRPGを好きな人のモチベーション批判でもあります。

 大事なので繰り返しますが、『(システム名)』は、ただ座して口を開き、楽しませてもらうことを待つ受身の時間潰しではまったくありません。ユーザーのが積極的に楽しさを模索すればするほど面白さが増す創造的なRPGであり、また、ユーザーの創造性を引き出すための総合創作ツールとして捉えることもできる作品なのです。

上記の拡大バージョンです。
言外に「ただ座して口を開き、楽しませてもらうことを待つ受身の時間潰し」が存在することを示しています。


余談ですが、私は、「ユーザーのが積極的に楽しさを模索すればするほど面白さが増す」のは、全てのTRPGにおいてそうであり、「ユーザーの創造性を引き出すための総合創作ツールとして捉えることもできる」こともTRPG自体の性質だと考えています。
1974年に発売された最初のD&Dは、今の水準からすれば、ルールもテキストもイイカゲンでしたが、その欠点にも関わらず(あるいはそれ故にこそ)多くの創作者を生み出し、TRPGというジャンル自体を創りだしたわけです。*1


もちろん、「創作したくなる」より良いシステムを模索することは大切ですが、ある人が心底、楽しさを感じている時、横からそれを「座して口を開き、楽しませてもらうことを待つ受身の時間潰し」と批判しても良いことはありません。


これらの共通点は、「何かを引き合いに出してけなしている」ことです。
奥が深い、と言いたい時に、「底が浅いもの」を引き合いに出す。
本当に余計なんですが、ついやっちゃうんですよね。
その理由は、「奥深いものを知っている自分」という優越感に加え、どう奥が深いかをわかりやすく、きちんとまとめて伝えるのは大変に難しくて疲れるので、ついつい、「アレよりすごい」という単純な比較で物を書いてしまうわけです。


逆に、面倒臭がらずに、そのジャンルについて深く知らない人にもきちんと伝わるように「奥深さ」「面白さ」を書こうとすると、自分の中でも考えがまとまります。

誰かのために

自分が好きだということを、うまく相手に伝えるためには、相手のことを知る必要があります。不特定多数にあてる文章であっても、相手を想定する必要があります。


「○○は奥深い。××はくだらない」と無自覚に書く時、それに同意してくれるのは、自分と同様に「××はダメだ」と考えている人だけです。


同じものをけなして結束するというモチベーションもあるしそれを全否定するわけではありませんが、それでは内輪で終わってしまう。


本当に、誰かに素晴らしさを伝えたいなら、「××はダメだ」的なものを排除したところから始めてみると良いでしょう。*2

*1:さらに言うなら、TRPGに限らず、ほとんどの趣味は、その趣味に触れた人の創造性を引き出す性質があるのではないでしょうか。

*2:こちらについてご意見をいただき、追記を行いました。http://d.hatena.ne.jp/xenoth/20110527/p2

趣味の奥深さを伝えるためにしてはいけないこと〜その2〜

ご意見ありがとうございます。

先程の記事について、嬉しいことにツイッター等でいくつか言及をいただきました。
http://d.hatena.ne.jp/xenoth/20110527/p1
共感される方もいらっしゃる上で、文章に懸念を表明されていた方もおりました。両方とも、ありがたい限りです。


懸念された方の意見は、xenothの理解では、このようになるでしょうか。

  1. 「何かを褒める際に他を否定しない」は、自分を律する基準としてはいいが、それで他者の発言を断罪するのは、よろしくない。
  2. 何かを、きちんと評価する際には、他との比較が必要となる。比較を禁止することは、批評を損なうことになる。

これらについては、言葉と、それ以上に考えが足りていなかったので、もう一度考え直して整理してみました。

他者を断罪しないこと

これについては、おっしゃる通りです。
前回の記事は、もともと「他人に受け入れてもらうために、どういう書き方が良いか」という方法論であり、また、何かを貶すつもりがなくても、ついうっかり、けなした書き方になってしまうことへの懸念でもありました。
ですので、お互いに、けなさないように気をつけようというのが本意であり、結果的にけなす書き方を断罪することが望ましくないのは言うまでもありません。


その上で、「何かを誉めるために何かをけなす」記述には、xenothは強い反発があるので、つい、感情的になり筆致が強くなった部分もあると思います。
ご指摘に感謝します。

評価と比較

次のご意見ですが、何かをきちんと評価する際に、他の何かとの比較が必要となるのは当然のことです。
評価をする際に、優劣をつけていけない、とすると、きちんとした評価ができなくなり、「みんな一等賞」的な、生ぬるい環境を産みます。
そうなれば、たとえばTRPGなら、工夫された作品も、手を抜いて、いいかげんに作られた作品も一緒くたに「面白い」とされ、良い作品を作ろうとするモチベーションが失われます。
悪しき相対主義というやつです。
それがよろしくないことは言うまでもありません。
こうした態度の強制は、最終的には人の努力や個性それ自体を否定し、社会の崩壊さえ生みますが、さすがに話が行き過ぎました。


このあたりは、ご指摘いただいているとおり、論が拡散しすぎて筆が滑っていたので、もう一度まとめることにします。

  1. 自分が好きなものを、誰かにも好きになってほしい、という場合において
  2. 相手が好きな(好きかもしれない)物を、好きな気持を踏みにじるのは
  3. 無用な反発を産むので気をつけたほうが良い

という点になります。


もちろん、これは一般論であり、様々なTPOに応じた変形や例外があり得ることは言うまでもありません。
また、最初に述べたように、これは気をつけるべき点であって、結果としての発言を咎めるものではありません。

真摯に批判するということ

相手の好きな気持を批判しないほうがいい、とは、書きましたが、これももちろん絶対ではありません。


時には誰かと一対一で向い合って、相手のプレイスタイルや生き方それ自体に批判的に向かい合うことも大切です。
もちろん、これは気楽にできることではありません。
自分のこれまで生きてきた経験と人格、そして信用を賭して真剣に行うべきことです。


そうした真摯な批判において重要なのは、自分の信ずるところを述べつつ、かつ、自分が絶対に正しいと思わず、自身の責任を明確にして、相手の意見に耳を傾ける姿勢を持つことです。

空気のような批判

実際のところ、ありがち、やってしまいがちなのは、そうした正面からの責任ある批判ではなく、なにかの正しさを盾にとって、押し付ける批判です。
「○○が優れているのは皆が知っている当たり前のことである(だから△△は優れていて、××はクズなのである)」といったタイプの言論です。
こうした「皆が認める正しさ」を前提に、特定の意見を押し付けることを同調圧力と呼びます。


たとえば、「努力して学ぶことは素晴らしい」という常識を前提に、現実や学問と結びついた作品を高く評価する一方、「楽して遊べるスタイル」を、見下して「単なる娯楽」、「受身の時間潰し」といった言葉で呼ぶ言論です。
逆に、「手間がかからないことは望ましい」という常識から「手間がかかるスタイル」を「苦行」として見下す場合もあります。


あるいは、「オリジナリティの素晴らしさ」という前提から、既存の作品の再現性をもったTRPGやプレイスタイルを、「パクり」といって貶める場合があります。
逆に「よくわかることが望ましい」という常識から、オリジナリティがある世界設定を読み込もうともせず、「作者のオナニー」といったレッテルを貼る場合があります。


実際のところ、やりがいのある努力は好ましいですが、無駄な努力を押し付けることは正当化できません。
創作において、模倣とオリジナリティは密接な関係にあり、どちらを捨てても成立しません。
単なる一般論としては、「努力して学ぶことは素晴らしい」も「お手軽なことは望ましい」も、「オリジナリティは素晴らしい」も「再現性という機能の重要性」も、どれも正しく、どれも同時に成立するわけです。
逆に言うと、それらは特定の作品はプレイスタイルを見下さす理由にはならないわけです。


その上で立場を明確にして、たとえば、「私はTRPGは○○であるべきと思うので、××というシステムは、ここが望ましくない」という批判を行い、対話を続けるのであれば、良い結果を生むでしょう。


ここで問題としているのは、そうした真摯な批判ではなく、あたかも空気のようにそうした常識を押し付けて何かを貶めることです。

空気のような批判をしないために心がける点

さて、何度も書いている通り、こうした空気のような批判、同調圧力は、多くの場合、意識せずに、「ついつい」やってしまうことです。
そうしないためには、どうすれば良いでしょうか?


xenothが思うに、それは、「何が正しいかを、根底からよく考えること」です。
「空気のような批判」の問題点は、おおざっぱな正しさを盾に、思考停止と同調を強いることです。それは書いてる側にとっても同じです。


例えば「作品Aは、新世代のTRPGであり、旧世代の作品とは一線を画している」といったタイプの文章があります。
この文章が言っていることは、「Aは新しい」というだけです。
具体的にどこがどう新しいのか、新しいのはいいとして、それは価値がある新しさなのか、それとも単に奇を衒っただけなのか、といった点は無視されています。


こうならないようにxenothが心がけているのは、単純な比較を廃して、直接的、具体的に書くことです。そうすると、自然とAの、どこがどう新しいのか書く必要が出てきます。。
「作品Aは、○○というシステムによって、××が表現できます」となるわけです。
で、そこまで書けば、「そのXXは面白いんだろうか?」と自問自答することになります。
「新しいから素晴らしい」という思考停止ではなくて、具体例として「Aのここが新しいことは、どのような意味を持つか」というところに考えが至るわけです。


比較に頼らずに物を書く癖を作るのは、このように思考停止を避ける第一歩と言えましょう。


そのように評価を具体的に書くことを心がけた上で、最終的に比較があったほうが良い場合は、そのように書けば良いでしょう。
「作品Aは、新システム××により、このような表現が可能になった。これは、これまでのTRPGでは表現できなかった部分であり、新世代TRPGの幕開けと呼ぶにふさわしい」といった具合です。


安易な評価を排して書くというのは、このように、他者への配慮だけでなく、自分が客観的に物事に向かい合うためにも有用なテクニックであるというわけです。
どうか有効に使って、よりよいTRPGライフをお送りください。

エクリプス・フェイズ 参考文献 マンガとTRPGと映像作品篇

AGS様で、更新がありました。
『エクリプス・フェイズ』ゼロ年(Eclipse Phase: Year-0)―(4):SF文学の場合: Analog Game Studies
この記事では、エクリプス・フェイズ収録の参考文献が訳出されています。
小説作品だけというのがちょっと寂しかったので、xenothも、それ以外の、マンガ、TRPG、映画とTV番組の部分を訳出してみました*1

参考資料

(p394より)
エクリプス・フェイズは多くのソースから自由に借りている。そうした作品について、ここにクレジットを明記する。
またゲームマスターにとっても、これらの作品はセッションやキャンペーンの良いネタとなるだろう。さらなる参考資料については、ウェブサイトを参照。
http://eclipsephase.com

小説

(中略)

コミックとグラフィックノベル

・Jamie Delano/ジェイミー・デラノ
Narcopolis


・Warren Ellis/ウォレン・エリス
Doktor Sleepless
Doom 2099
Global Frequency
Ministry of Space
Ocean
Transmetropolitan


・Jonathan Hickman/ジョナサン・ヒックマン
Transhuman


・Grant Morrison/グラント・モリスン
The Filth
The Invisibles


士郎正宗
Ghost in the Shell/『攻殻機動隊』(講談社
Ghost in the Shell 1.5:Human-Error Processor/『攻殻機動隊1.5 HUMAN-ERROR PROCESSER』(講談社
Ghost in the Shell 2:Man/Machine Interface/『攻殻機動隊2 MANMACHINE INTERFACE』(講談社


・Adam Warren/アダム・ウォレン
Iron Man: Hypervelocity


幸村誠
Planetes/プラネテス講談社

ノンフィクション

・Ronald Bailey/ロナルド・ベイリー
Liberation Biology


・Susan Blackmore/スーザン・ブラックモア
The Meme Machine『ミーム・マシーンとしての私』上下巻(草思社


・Cynthia Brezeal/シンシア・ブラジー
Designing Sociable Robots


・David Brin/デイヴィッド ブリン
The Transparent Society


・Richard Brodie/リチャード・ブロディ
Virus of the Mind:The New Science of the Meme『ミーム―心を操るウイルス』(講談社


・James Brook and Ian Boal (eds)/ジェームズ・ブルック、イェイン・ボール(編)
Resisting the Virtual Life


・Rodney Brooks/ロドニー・ブルックス
Flesh and Machines:How Robots Will Change Us『ブルックスの知能ロボット論―なぜMITのロボットは前進し続けるのか?』(オーム社
Cambrian Intelligence:The Early History of the New AI


・Critical Art Ensemble
Digital Resistance
Electronic Civil Disobedience
The Electronic Disturbance
Flesh Machine
The Molecular Invasion
The Marching Plague


・Richard Dawkins/リチャード・ドーキンス
The Selfish Gene『利己的な遺伝子』(紀伊國屋書店


・K. Eric Drexler/K・エリック・ドレクスラー
Engines of Creation:The Coming Era of Nanotechnology『創造する機械 ― ナノテクノロジー』(パーソナルメディア)


フリーマン・ダイソン
Disturbing the Universe宇宙をかき乱すべきか ダイソン自伝』上下巻(ちくま学芸文庫
Imagined Worlds『科学の未来』(みすず書房


・Ann Finkbeiner/アン・フィンクバイナー
The Jasons
Imaginary Weapons


・Joel Garreau/ジョエル・ガロー
Radical Evolution


・Adam Greenfield/アダム・グリーンフィールド
Everyware: The Dawning Age of Ubiquitous Computing


・James Hughes/ジェームズ・ヒューズ
Citizen Cyborg


・Ray Kurzweil/レイ・カーズウェイ
The Singularity is Near


・Howard Rheingold/ハワード・ラインゴールド
Smart Mobs: The Next Social『スマートモブズ―<群がる>モバイル族の挑戦』(NTT出版


・John Robb/ジョン・ロッブ
Brave New War


・Clay Shirky/クレイ・シャーキー
Here Comes Everybody『みんな集まれ! ネットワークが世界を動かす』(筑摩書房


・Bruce Sterling/ブルース・スターリング
Shaping Things
Tomorrow Now: Envisioning the Next Fifty Years


・Gregory Stock/グレゴリー・ストック
Redesigning Humans: Our Inevitable Genetic Future『それでもヒトは人体を改変する』(早川書房


・Simon Young/サイモン・ヤング
Designer Evolution: A Transhumanist Manifesto

ロールプレイング・ゲーム

Blue Planet
Burning Empires
Call of Cthulhuクトゥルフ神話TRPG』(ログインテーブルトークRPGシリーズ)
CthulhuTech
Cybergeneration
Dawning Star
Delta Green
FreeMarket
Gamma World
GURPS: Transhuman Space
Morrow Project
Paranoia
Shadowrunシャドウラン』(富士見書房新紀元社*2
Shock: Social Science Fiction
Traveller『トラベラー』(雷鳴)

映画とテレビ番組

Aeon Flux『イーオン・フラックス
AI『A.I.』(訳注:AIとあったが、スピルバーグの映画のA.I.と思われる)
Alien series『エイリアン』シリーズ
Andromeda『アンドロメダ
Babylon 5『バビロン5』
Big O『THE ビッグオー
Blade Runnerブレードランナー
Cowboy Bebop『カウボーイ・ビバップ
Crusade(訳注:バビロン5のスピンオフ)
District 9『第9地区』
Dollhouse『ドールハウス
Dreamcatcher『ドリームキャッチャー
Event Horizon『イベント・ホライゾン
Ergo Proxyエルゴプラクシー
Firefly『ファイヤーフライ 宇宙大戦争
Gattica『ガタカ』(訳注:Gatticaとあるが、Gattacaと思われる)
Ghost in the ShellGHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊
Ghost in the Shell: Innocence『イノセンス
Ghost in the Shell: Stand Alone Complex Solid State Society『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Society
Ghost in the Shell: Stand Alone Complex『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX
Ghost in the Shell: Stand Alone Complex 2nd Gig『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG
The Island『アイランド』
Jekyll『ジキル』
Moon『月に囚われた男
Pandorum『パンドラム』
Planetes『プラネテス
Serenity『セレニティー
Sleep Dealer『マインド・シューター』
Solarisソラリス』(訳注:邦題は旧作なら『惑星ソラリス』。リメイク版は『ソラリス』)
Stargate and Stargate: Atlantis『スターゲイト』および『スターゲイト アトランティス
Sunshine『サンシャイン 2057』
Uzumaki『うずまき』
Zardoz『未来惑星ザルドス


以上、邦訳の抜けや間違い、その他つけくわえるべきことがありましたら、お知らせください。

小説の訳出について(メール送信したもの)

 お世話になっております、xenothです。
 『エクリプス・フェイズ』ゼロ年(Eclipse Phase: Year-0)―(4):SF文学の場合を興味深く
拝見させていただきました。
 参考資料の翻訳も大変力作で、素晴らしい記事になっていると思います。
 そちらのリストについて、細かな部分ではありますが、以下の抜けを発見したのでお伝えする
次第です。


イアン・バンクスの『The Player of Games』は『ゲーム・プレイヤー』(角川文庫、19882001*3)として邦訳があります。
http://www.amazon.co.jp/dp/4042886019


ブルース・スターリングのSchismatrix Plusですが、これは世界観を同じくする、長編『スキズマトリックス』と
短篇集『蝉の女王』(共にハヤカワ文庫SF)の合本であり、工作者/機械主義者のシリーズの総まとめとなります。
SFにおけるポストヒューマンを語る上では外せない一作です。
ご存知とは思いますが、これもそのように書いておいたほうが読者の方に便利かと思いました。(※こちらの収録作品に間違いがありました。詳しくは追記を。2011/05/25 09:57)


今回の記事に触発されまして、エクリプス・フェイズの参考資料の残りの部分の邦訳対応を作成しました。
ご笑覧いただければ嬉しいです。
http://d.hatena.ne.jp/xenoth/20110524/p1


では失礼します。

          • -

xenoth

追記(2011/05/25 09:57)

本記事および、上記のメールを午前6時前くらいに送信後、AGS様のサイトでも、午前9時頃に、『ゲーム・プレイヤー』と『Schismatrix Plus』に関する追記がされました。
『Schismatrix Plus』の収録作品について、一部情報がまちがっていたようで申し訳ありません。

Crystal Express
※『蝉の女王』(ハヤカワ文庫SF)収録作、ならびに「間諜」(『80年代SF傑作選』(ハヤカワ文庫SF)、「テリアムド」(「SFマガジン」1987年2月号)、「美と崇高」(『20世紀SF5』(河出文庫))、「小さな魔法のお店」(「SFマガジン」2000年12月号)、「江戸の花」(「SFマガジン」1986年10月号)、「アウタゴノストの聖餐」(「SFマガジン2003年12月号)の短編をそれぞれ集めたもの。
Holy Fire『ホーリー・ファイヤー』(アスペクト
Schismatrix Plus
※『スキズマトリックス』(ハヤカワ文庫SF)とCrystal Expressの合本。

AGS様のこちらの引用が正しいようです。


今のところAGS様の記事には、xenothへの言及はありませんので、もしかしたら偶然の一致かもしれません。
ともあれ、情報が更新されたのは喜ばしいことです。

*1:なお以下の翻訳を含み、この記事を、『Eclipse Phase』のCreative Commons Licenseに従い、Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike(http://creativecommons.org/licenses/by-nc-sa/3.0/)の条件で、配布するものです。(C)Posthuman Studios, LLC. http://eclipsephase.com

*2:09:54 ご指摘をいただいて修正。現在のシャドウラン4thは新紀元社より発売されています。

*3:2011/05/25 09:37 ご指摘をいただいて修正。原著が1998年で邦訳が2001年でした。

セラピーとしてのTRPGについての心配事その2

AGS様更新

前に懸念した、セラピーとしてのTRPGについての心配事 - xenothの日記についてですが、AGS様で素晴らしい記事が更新されていました。
私がTRPGをセラピーとして使わない理由: Analog Game Studies
専門のお医者さま(早瀬様)による記事で、本当にゆきとどいている内容です。
ぜひご一読をお薦めするものです。
また、それに対するAGS様の意見として、
【テーマ連載】CBT的アプローチのセッション運営(第1.5回): Analog Game Studies
も掲載されました。

娯楽とすばらしさ

早瀬様記事で特に目からウロコが落ちたのが、
9) なぜ我々は趣味を本業や他分野に応用しようと思いがちなのか
の部分です。


自分が時間と情熱をかけた分野から学ぶことは大きいわけですが、考えて見れば、それはどの分野も同じなわけです。
xenothがTRPGを十数年やって得たものは色々ありますが、そりゃ確かに、あの時間と情熱を別のことにかけていれば、それはそれで違ったものが得られたはずですよね。
言われてみれば、本当に当たり前の話なんですが、目から鱗でした(笑)
様々な趣味があって、どの趣味も打ち込めば学ぶことは多い。
ですから、「私がTRPGで得たものが多い」というのは、TRPGを押し付ける理由にしてはいけない。

 いずれにせよ気を付けたいことは、人生の多くの時間を何か一つの趣味に割き、そしてそこから人生に大きな成果を得たと考えている人(つまり、我々)は、他の人にもそれが起こると信じがちであるということです。

心に刻もうと思います。
私個人が得たものはあるとして、他人にTRPGを勧めるとしたら、それはTRPGがTRPGとして面白いから、というのが一番いいのではないかと改めて感じました。


それを前提とした上で、
6) 私は娯楽としてのTRPGをある程度以上に回復した患者に推奨する
10) 対人援助として趣味を扱い、工夫するそのこと自体が、対人援助性を損なう
の部分も、腑に落ちる思いでした。


精神科患者といっても、様々な人がいます。症状によって一緒に遊ぶのが難しかったり経験がいったりする人もおりますでしょうが、もちろん、そうでない人もたくさんいる。
楽しく遊べる範囲で一緒に遊べるなら何よりです。


引き合いに出していい話かわかりませんが、xenothも抗鬱剤処方してもらった時くらいはありますし、そういう時に友人たちがいるのは本当にありがたかったです。TRPGに限らず、馬鹿話したり飲みにいったりする仲間ですね。
一方で、そういう仲間が、もし「おまえを治療してやる」という態度で来られたら、これはちょっと困るだろうなぁというのもわかります。


もちろん、もしかしたら気を使っていてもらってたのかもしれません。
私だって友人が疲れていたら、今日は気楽に楽しく飲もうぜ遊ぼうぜくらいの気持ちで望みます。
が、気の使い過ぎはお互いよくない。気負わずにつきあえる関係って大切ですよね。

娯楽それ自体の価値

5:精神生活や教育に対する趣味や娯楽が持つベネフィットは一般に考えられているよりもはるかに大きく、であるがゆえに、もしもTRPGを対人援助として役に立てたいならば、下手な工夫をするよりもTRPGがもっと面白くなるように工夫するべきである。


 「たかが娯楽」とか「趣味の範囲」という表現をよく聞きます。私たちは娯楽を娯楽以上のモノにしたくてたまらなくなります。しかし、娯楽の力を過小評価してはいないでしょうか。娯楽は、娯楽としての側面を追求するだけでも十二分に絶大な影響力とベネフィットを持つのです。娯楽を超えようという試みも徒労ではありませんが、TRPGTRPGとして誇ってよいと私は考えます。

ここの部分は何度も読み返しました。
娯楽が娯楽として意味がある、というのは本当に大切にしてゆきたいです。

AGS様の対論

さて、AGS様の対論ですが以下のようなまとめになっております。

TRPGをはじめ、対人コミュニケーションをその娯楽の根幹とする趣味においては、障害や疾病の理解を深め、受容を高めるべきである。

・障害や疾病を持っていても、ほとんどの場合、本人はそれをコントロールできており、また、良質な娯楽を必要としている。彼ら/彼女らは愉快で魅力的な仲間であり、なんらかのコミュニケーション障害を理由として過度に危険視する必要はない。

・基本的な知識を持つ者が配慮をもってTRPGを一緒に楽しむことで、大きな相互支援効果を上げることができる。

このまとめ自体は、私も賛成するものです。
早瀬様のまとめでも、「6) 私は娯楽としてのTRPGをある程度以上に回復した患者に推奨する」にある通りです。
そこにおいて参考になる知識もあるでしょう。
一方で、早瀬様が詳細に批判、反論を行っている部分に対する具体的な応答が、1.5回では欠けています。
特に、「10) 対人援助として趣味を扱い、工夫するそのこと自体が、対人援助性を損なう」に対する反論が全くないことは気にかかります。
これについては、後日、まとめようと思います。

付記

今回の件でAGS様にメールした内容は以下です。

      • -

 お世話になっております、xenothです。
 【テーマ連載】CBT的アプローチのセッション運営(第1.5回)を拝読いたしました。
 大変興味深い内容である上で、一点質問があります。


 今回は、主に早瀬様の問題提起に関する立場表明というところから始まっており、
CBT的アプローチのセッション運営の重要性について書かれておりましたが、
そうしたセッションの問題性、娯楽性については、先ごろの記事で早瀬様が細かく
批判しておりました。


 それについては、細部の直接への反論がなく、両論併記になっていると理解しています。


 さて、xenothは精神に関する問題については門外漢なので、基本的に専門家の
解説を信頼することにしています。


 今回、早瀬様については、「福祉的病院施設に勤める30代の男性医師です。専門は小児科。
特に精神疾患心身症発達障害と重症心身障害を専門とし、成人の精神科での
勤務経験もある」とのことでした。


 一方で、伏見様の記事についても
「・本稿はすでに、(精神科医を含む)精神保健や臨床の専門家、あるいは相互支援の
現場にいる方々から高い評価をうけていた。」
 とありまして、専門家同士の意見が対立している状況です。


 参考にするために、伏見様の記事をサポートされる専門家の方々の、より詳しい
情報をお聞きしたいと思います。


 論において、専門家の権威を論拠とするのであるなら、そこには専門家としての責任が
生ずるわけで、早瀬様がされているように、具体的な、お名前や専門分野をきちんと
述べるか、そうでなければ「専門家としての判断」は表明しないというのは基本的かつ
大切な対応だと理解しております。


 どうかよろしくお願いします。

          • -

xenoth

AGS様への公開メール

メール不調?

ここしばらくAGS様に一部の翻訳を含む事実関係についてのお問い合わせを何本かメールしておりますが、届いた形跡がありません。


あるいはメールの不調なのかもしれないと思い、隠すような内容でもないので、今回、新規に送ったメールを、同時にこちらでも公開させていただきます。
お知り合いの方がおりましたら、このようなメールが送られているようだとお伝えいただければ幸いです。
 以下は引用です。

陰謀団ファイアーウォール(FIREWALL)とは何ぞや?:の翻訳について

 いつもお世話になっておりますxenothです。
陰謀団ファイアーウォール(FIREWALL)とは何ぞや?
http://analoggamestudies.seesaa.net/article/201018648.html
 こちらの記事を大変興味深く拝見させていただきました。

 訳出部分についてですが、
Though many sentinels pursue their own agendas
after completing a mission for Firewall, it is not uncommon
for sentinel teams to remain in contact, share
information or continue to work together on Firewallrelated
assignments over a longer period of time.

 この箇所を、蔵原様は、

多くの監視員はファイアーウォールの任務を完遂するよりも自分一個の思惑に
従って行動しますが、ファイアーウォール関係の長期に渡る様々な任務に関して、
監視員の複数チームが連絡を取り合ったり、情報の共有、共同で作業を続ける
ことも珍しくありません。

 と訳しております。
 しかし、
Though many sentinels pursue their own agendas
after completing a mission
 の部分は、「after」ですから、
「ファイアーウォールの任務を完遂した後は」が正しい訳かと考えます。
 蔵原様の訳では、afterではなく、than,rather thanでないと成り立ちません。

 些細な部分ではありますが、しかし、ファイアーウォールの監視員が任務中に
私的な目的を追求するのと、任務後に行うのとは意味的に大違いになります。
 公式サイトで承認されたファンサイトともなれば、多くの方の目に触れる紹介となり
ますので、恐れ入りますが、修正をお願いできませんでしょうか?

 どうかよろしくお願いします。

                          • -

xenoth

秘密結社ファイアーウォール〜エクリプスフェイズの向う道〜

秘密結社と陰謀団

AGS様で更新がありました。待望のPC組織ファイアーウォールの解説です。
陰謀団ファイアーウォール(FIREWALL)とは何ぞや?: Analog Game Studies
Conspiracyを蔵原様は「陰謀団」と訳しておりますが、xenothは秘密結社と訳しておきます。

追加翻訳

今回、蔵原様がEPよりFirewallに関連する部分を訳出されておりました。
xenothも、ファイアーウォールについて、気づいた部分を翻訳・紹介してゆこうと思います*1
なお、ファイアーウォールとは何か、エクリプス・フェイズとは何かについては、これまでの記事をご覧ください。
エクリプス・フェイズ〜人類を災厄から救うのは君だ!〜 - xenothの日記
エクリプス・フェイズあれこれ〜Eclipse Phase as Science Fiction〜 - xenothの日記
エクリプス・フェイズとハイパーコーポ - xenothの日記
エクリプス・フェイズあれこれ〜恐怖とパラノイアと陰謀について〜 - xenothの日記
エクリプス・フェイズとダブルクロス - xenothの日記

Firewallとは?

Firewallとは、エクリプスフェイズTRPGにおいて、基本的にプレイヤーが所属する組織で、その任務は、世界・人類の危機と闘うことです。
無数の新技術があふれるエクリプスフェイズの未来世界は、同時に、技術の暴走をはじめとするさまざまな危機に脅かされている世界でもあります。
Firewallと、そして所属するキャラクターの任務は、それに立ち向かうことです。


ゲーム的には、プレイヤーのやるべきことをしっかり作るギミックでもあります。
「すごい未来。超科学。進化した人類。さぁロールプレイしよう!」と言われても難しい。
そもそも現代物の難しさですが、さまざまに異なる社会、信条、肉体のキャラクターを作れるようにした場合、そうしたキャラ同士がつるむ理由がなかなかない。
スタートレックギャラクティカなどは、「同じ船での運命共同体」という形で、そうした場を作っていますが、エクリプス・フェイズの場合は、秘密結社ファイアーウォールというわけです。


ファイアーウォールは世界の危機を監視し、任務ごとに、任務に応じた適正のあるエージェントを割り振り、あるいは緊急任務なら、とにかく事件のそばにいるエージェントを集め、そうしてできあがったグループ(セル)が、独立で問題に取り組みます。
GM側からすると、さまざまなPLの適正に合わせてシナリオを組み立てられる、というわけで、これも便利な点です。

プレイヤーは何をするの?

まずは、基本ルールブックの最初の章からの紹介です。p84-85
最初だけあって、大変わかりやすい形で書かれています。

プレイヤーは何をするの?


エクリプス・フェイズにおいて、プレイヤーは様々な役をプレイします。精神のデジタル化技術が発達して、精神を新しいモーフ(物理的な体。生体ボディも合成ボディも含む)にアップロード、ダウンロードできるようになったため、セッションごとに、まったく新しい人間としてプレイすることができるようになったのです。体が装備と同じ意味をもつ世界で、プレイヤーは、任務に合わせて身体をカスタマイズします。


基本的なキャンペーン設定(デフォルトキャンペーン)


基本的なストーリー(キャンペーン・セッティングともいいます)では、プレイヤーは、ファイアーウォールと呼ばれる正体不明のネットワーク組織の、センチネルといわれる呼び出しエージェント(あるいはこれから入る新人)となります。ファイアーウォールは人類の存続危機(トランスヒューマニティの存続それ自体を脅かす危機)に立ち向かう組織です。そうした危機の中には、生物兵器による疫病や、ナノマシンの暴走、核の汚染や、大量殺戮兵器をもったテロリスト、ネットワークを破壊するコンピュータ攻撃、自律AI、エイリアンとの接触などがあります。ファイアーウォールも、単にそうした危機が出てきてから叩くばかりではありません。ですから、キャラクターは情報収集任務や、先手を打つために派遣されることもあるでしょう。一見無害な人や場所に派遣され(実際は違うわけです)、怪しげな犯罪組織と取引し(そして裏切られ)、パンドラゲートのワームホールをくぐりぬけて、古代の異星人の遺跡を探検します(そして異星人を滅ぼした危機が実はまだ生きていることに気づくというわけです)。センチネルは、トランスヒューマンのあらゆる社会から抜擢されます。世界の危機を救うという理念に忠実でないものも、傭兵として雇われることがあります。こうした基本キャンペーンは、ちょっとばかりの謎と調査に、さらに苛烈な戦闘やアクション、最後に、驚異とホラーの要素を一つまみ、といった塩梅になるでしょう。

なお、このあと、ファイアーウォールの任務以外の形のシナリオについての解説があります。


世界観的な部分ではファイアーウォール入会者への2通のメールがあります。
明るく希望に満ちたメッセージと、ちとやさぐれたメールで、二つの方向からファイアーウォールを描いています。

ウェルカム・トゥ・ファイアーウォール
[メッセージ受信:送信元不明]
[量子解析:通信傍受無し]
[複号化完了]
やぁ。
君の身元と背景は三重チェックの上通過した。君は今から、センチネルだ。ファイアーウォールへようこそ、友よ。
まだ知らない新人のために言っておくが、ファイアーウォールは、トランスヒューマニティを、内外の危機から守り、種として存続させることを目的とする組織だ。「The Fall」で、人類が生き残って繁栄する能力には大きな疑問符が付くと思い知ったはずだが、まぁ人間というのは忘れっぽいものだね。確かに、不老不死という目標をほぼ達成したものの、一方では絶滅しそうな危機がごろごろしている。
まず人類自身の分裂と派閥争いに加え、巨大な破壊と死を招く兵器が簡単に手に入る技術が一般化したことだ。さらにわれわれ自身の近視眼によるものもある。間近の危険が目にはいらず自分自身と環境を危険にさらしてしまう。また人類が創造したものの離反がある。TITANがいい例だ。そのほかの危機は、いまだに意図のわからない、あるいは存在していることさえ気づかれていないエイリアンの接触だ。
さらにあげるなら、宇宙にとっては我々は小さな石ころだ。どうでもいい偶然の変化でも十分致命的になる。ファイアーウォールが存在するのは、こうした危機を発見し、分析し、対抗するためだ。我々は皆、ボランティアであり、トランスヒューマニティの存続のために自分自身の命を危険にさらしている。The Fallより前から、ファイアーウォールは、さまざまな名前や隠れ蓑で存在していた。そして、あの巨大な大破壊以後は、同じような目的をもつ数多くの組織が団結し、われわれの状況を観察して最悪に備えることになった。そういうわけで我々は今は同じ寄り合いのもとで動いてるというわけさ。
ファイアーウォールが、公的機関じゃないことには二つ理由がある。まずわれわれの存続と能力は秘密性によって守られている。敵に知られていることが少なければ少ないほど、我々もうまく対抗できる。それに一部の公的機関は、彼らの庭で我々のようなものが動くのを好まないからね。たとえ一部に気付かれているにしても、秘密組織であることによって、無数の法的なしがらみから逃れて目的を追求できるというわけさ。二つ目に、我々の任務においては、悪人の手に渡ると危険というだけでなく存在自体が知れるだけで大規模なパニックを引き起こすような情報を見つけてしまうことがある。さらには、存在自体が問題な知識さえある。秘密を守り、必要十分な情報だけ伝えることで、そうした危険と闘っているというわけさ。
ファイアーウォールは、分散化した、ピア・ツー・ピア型のネットワークだ。必要最低限の上下関係しかないし、誰からの命令を受けることもない。ノード構造によって、プライバシーと任務の秘密を守りながら、情報やリソースを分け合うことができる。君が抜擢されたのは、君の知識や資産、技能が必要とされたか、あるいは特定の制限された情報に出会ってしまったかだ。とにかく君は、我々の目標を守ることに同意した。人類の命と存続、トランスヒューマニティの未来は君の手にかかっている。未来に向けて乾杯。それが確かにくることを祈って。
[メッセージ終了]
[メッセージは自動消去されました]

新入りが本当に知っとくべきこと
[メッセージ受信:送信元不明]
[量子解析:通信傍受無し]
[複号化完了]
座れ。まぁ一杯やれ。今読んだばかりのAI生成のたわごとは忘れちまえ。これからがマジな話だ。どうせ、いったい何に巻き込まれたか気になるんだろう? あぁ、もう、例のお題目は聞いたか?
俺達は、トランスヒューマンを絶滅から守る最後の防衛線だとかなんとか。あるいは、許可もなくクソのどまんなかに突っ込んで勝手にやる秘密組織で、殺したり殺されたりするとかなんとか。気になってるはずだ。あんたはヒーロータイプかい? 正義のために血を流したいってやつ。その正義が腐ってたらどうするよ? でなきゃ陰謀論者か。ファイアーウォールが持ってる秘密が知りたくて知りたくてたまらないってやつ。その秘密が、人間が正気を保って生きるために綿密に作られた嘘を壊しちまうとしたら? ファイアーウォールについてあんたが聞いたことは、良いのも悪いのもだいたい当たってる。俺達は天使じゃない。TITANが最初の犠牲者の精神を強制吸収した時に、頭のわっかはなくしちまった。今頃あんたは、いったいどんなクソッタレなことに応募しちまったか頭抱えてるだろう。俺もそうだった。
実際のところ、ファイアーウォールってのはいろいろなもんだ。おおむね善いものだが、それでもおぞましいこともたくさんある。忘れるために、脳みそに銃弾つっこんで、前のバックアップに戻りたくなるようなやつだ。だがヒーローへのロマンティックな思い入れがあるなら、ここで捨ててゆけ。
伝染性のナノビールスにかかった、どっかのガキをエアロックから放り出すとき、ヒーロー気分になれるかい? エイリアンのヤバい代物にぶちあたって、糞もらしても勇者だと言えるか? おまえのメール一本で、数十、数百、数千の人間が死ぬことになる。それが数百万を救うためだとしてもな。そんなときは、自分が人間だって気すらしない。
ならなぜ、こんな馬鹿げたことに首をつっこむのか? それはな、やらなきゃならんことだからだ。俺たちの生存がかかっている。なるほど、人様のためにやってるつもりのやつもいるだろうよ。トランスヒューマニティを守るってな。だが実際のところ、おまえの首だってかかってるんだ。
あぁそりゃ自分の手でやらずに、公的機関様に任せてもいいさ。だけど無政府主義者もたまにいいこというが、権力者は信用できないもんだ。問題解決するどころか、あいつら自身が問題の根源だったりする。
だからファイアーウォールは、集団的に動く。俺達はアンダーグラウンドだ。オープンソース・オペレーションだ。情報とリソースを分配して共通の目標に動く。ネットワークで、アドホックなセルを作って、スマートモブ方式でやっつける。誰かに権力や権限が集中しないようにする。オペレーションの参加者全員が同じ発言権を持つ。俺達は俺達自身を裁く。あらゆる背景と社会に分かれてるが、敵は同じだ。そして戦うからには勝つ。ほかに方法はない。
あんた、フェルミパラドックスって聞いたことあるか? そいつはな、なんで銀河系はこんなでかいのに、ほかの知的生命体は見当たらないのかってやつだ。確かにFactorsとはコンタクトしたし、ほかにもいくつかのエイリアンの痕跡はあるが、それにしたって銀河全体にもっと知的生命体がいっぱいいてもいいはずだ。だけどいない。理由を教えてやるよ。宇宙ってのはクソッタレに残酷な場所なのよ。トランスヒューマニティが消えたところで銀河は気づきもしねぇ。地球を見ろ。まだ惑星としてはあるし、生命もあるが、あらかたなくなっちまった。現実ってのは冷酷なクソッタレだ。ユートピアがどうとか永遠に生きるとかのたわごとは忘れやがれ。俺たちゃ来年生きのびれたらラッキーだっつの。どこの馬の骨でも簡単に大量殺戮兵器が手に入る時代だってのに、種としての人類は、いまだに部族同士の小競り合いで止まってるガキんちょだ。不老不死の存在となって世界を見届けるつもりなら、まだまだやることはいっぱいある。生存は権利じゃない。特権だ。
ファイアーウォールと契約したなら、いつでもどこでも呼び出される。てめぇのシマでクソがわくか、クソに効くやつと思われたら、呼び出される。その時は何してても全部放り出して、来なけりゃ死ぬ勢いで任務に当たれ。実際、死ぬだろう。
任務に出てる時は―俺たちゃ「ちょっと医者いってくる」と言ってるが―おまえのセルは自分の判断で動くことになる。だが後で報告はしてもらうからな。それに、ファイアーウォールのネットワークがバックアップに回る。まぁ援助の範囲は限られてるから、俺たちにケツもってもらおうなんておもうなよ。ほかのセンチネルも手伝いに呼べないこともないが、そすうるたびに、エージェントの秘密が危なくなり、足跡を消す手間がかかったり、いろいろ面倒になる。自給自足が基本だ。
最後にひとつ。俺達には敵がいる。そいつを絶対に忘れるな。ハビタットを核爆破して政治声明だとかいうグズとか、生物兵器で文明に鉄槌をとか思ってるネオラッダイトの連中のことじゃねぇぞ。俺が言ってるのはファイアーウォールの存在を知り、敵とみなしているエージェントだ。そいつらにおまえがセンチネルってばれたら、おまえの命は秒読みだ。バックアップも消されるかもな。だから背中に気をつけろ。
さ、こいつがほんとの話だ。できる限り正直に書いたつもりだ。俺達の秘密のクラブハウスへようこそ。
忘れるな。この仕事に死はつきもんだってな。
[メッセージ終了]
[メッセージは自動消去されました]

フラッシュモブとはなんぞや

先ほどのメールで、「フラッシュモブ方式」という耳慣れない単語がありましたので調べました。
フラッシュモブというのは、不特定多数がネットで集まって、何かするというもので、「突発オフ」みたいな感じですね。
特定の人間を指定せず、ネットで「○○の日に、××で集まって、△△やって盛り上がろうぜ!」といった形で行うわけです。


ファイアーウォールのセンチネルも、「君んとこのそばで事件が起きたから、すぐ行ってくれ」「あ、君、ナノマシンくわしかったよね。ネットでアドバイス頼む」みたいな感じで、集められるのでしょう。

翻訳について

今回、蔵原様が訳出されておりました部分に関して、数点、気づくことがありましたので、こちらに書かせていただきます。

Though many sentinels pursue their own agendas
after completing a mission for Firewall, it is not uncommon
for sentinel teams to remain in contact, share
information or continue to work together on Firewallrelated
assignments over a longer period of time.
p84-85
多くの監視員はファイアーウォールの任務を完遂するよりも自分一個の思惑に従って行動しますが、ファイアーウォール関係の長期に渡る様々な任務に関して、監視員の複数チームが連絡を取り合ったり、情報の共有、共同で作業を続けることも珍しくありません。

この文章だと、ファイアーウォールの監視員は、おおむね任務を無視して好き勝手やってるように読めますが、より正確には、こうなるかと思います。

監視員はファイアーウォールの任務完遂後は、通常、自分自身の目的を追求しますが、監視員のチームがファイアーウォール関係の仕事について、引き続き、長期に渡って連絡を取り合ったり、協力し続けることも珍しくありません。

ファイアーウォールの監視員は、あらゆる社会、職業から抜擢されますので、中には仲の悪い監視員もいるわけです。たとえば、警察と犯罪者、とかですね。
その彼らも、任務中は任務のために協力するが、任務が終わると、また対立関係に戻るわけです。
一方で、対立関係にあるといっても、長期にわたる任務などでは、やっぱり利害を超えて協力することもあるというわけです。

パラノイア

〔訳者注意:ファイアーウォールの真の歴史、暴力性、長期戦略に関しては英文基本ルールブック(2009)の355〜361頁で説明されています。ですが、そうした極秘情報は普通の市民や下級の監視員には知るすべがありませんから、知っている等と公言する連中は嘘つきでなければ組織の機密を漏洩する反逆者に違いありません。同士諸君、逆賊に死を!!〕

蔵原様の記事の結びにある文章です。
PCとPLを意図的に混同した話ですが、これはWEG社の「パラノイア」という海外TRPGネタですね。
同ゲームは、「発狂したコンピュータがすべてを支配する閉鎖都市で、コンピュータの命ずる(狂った)任務を遂行するふりをしつつ、互いに矛盾する勝利条件を満たすために、裏切りあい殺しあい、なんとかして生きのびる」という文字にすると重いですが、ライト感覚で死んだり殺されたりするブラックユーモアたっぷりのゲームです。


このパラノイアというゲームでは「GM情報なので見ないでね」というのの、気の利いた言い方として、「そうした極秘情報は普通の市民や下級の監視員には知るすべがありませんから、知っている等と公言する連中は嘘つきでなければ組織の機密を漏洩する反逆者に違いありません。同士諸君、逆賊に死を!!」といった言い方がよくされていました。


上下構造を意識しない分散構造のファイアーウォールに「下級監視員」があったり、さまざまな社会・思想を代表するセンチネルに「同士諸君」といった呼びかけがあるのは、そうしたネタであって実際のエクリプス・フェイズとは関係ありませんからご注意を。


なぜ、全く関係ないTRPGのネタ*2が、いきなりエクリプスフェイズの記事に含まれているかですが、正直、さっぱりわかりません。普通に考えて、混乱を招くし、また失礼でもあるとは思いますが、何か深い意図があるのでしょうか。
一つだけあるとすると、岡和田氏によると蔵原氏の最初のEP記事は、「疑心暗鬼とパラノイア」について焦点を当てた記事であるということでした。
もしかして今回のも、そうなのかと気になるところです。

*1:なお以下の翻訳を含み、この記事を、『Eclipse Phase』のCreative Commons Licenseに従い、Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike(http://creativecommons.org/licenses/by-nc-sa/3.0/)の条件で、配布するものです。(C)Posthuman Studios, LLC. http://eclipsephase.com

*2:細かいことを言うと、EPの参考作品の中に、パラノイアは含まれてはいます。もちろん他の多くのTRPGも載っています