セラピーとしてのTRPGについての心配事その2

AGS様更新

前に懸念した、セラピーとしてのTRPGについての心配事 - xenothの日記についてですが、AGS様で素晴らしい記事が更新されていました。
私がTRPGをセラピーとして使わない理由: Analog Game Studies
専門のお医者さま(早瀬様)による記事で、本当にゆきとどいている内容です。
ぜひご一読をお薦めするものです。
また、それに対するAGS様の意見として、
【テーマ連載】CBT的アプローチのセッション運営(第1.5回): Analog Game Studies
も掲載されました。

娯楽とすばらしさ

早瀬様記事で特に目からウロコが落ちたのが、
9) なぜ我々は趣味を本業や他分野に応用しようと思いがちなのか
の部分です。


自分が時間と情熱をかけた分野から学ぶことは大きいわけですが、考えて見れば、それはどの分野も同じなわけです。
xenothがTRPGを十数年やって得たものは色々ありますが、そりゃ確かに、あの時間と情熱を別のことにかけていれば、それはそれで違ったものが得られたはずですよね。
言われてみれば、本当に当たり前の話なんですが、目から鱗でした(笑)
様々な趣味があって、どの趣味も打ち込めば学ぶことは多い。
ですから、「私がTRPGで得たものが多い」というのは、TRPGを押し付ける理由にしてはいけない。

 いずれにせよ気を付けたいことは、人生の多くの時間を何か一つの趣味に割き、そしてそこから人生に大きな成果を得たと考えている人(つまり、我々)は、他の人にもそれが起こると信じがちであるということです。

心に刻もうと思います。
私個人が得たものはあるとして、他人にTRPGを勧めるとしたら、それはTRPGがTRPGとして面白いから、というのが一番いいのではないかと改めて感じました。


それを前提とした上で、
6) 私は娯楽としてのTRPGをある程度以上に回復した患者に推奨する
10) 対人援助として趣味を扱い、工夫するそのこと自体が、対人援助性を損なう
の部分も、腑に落ちる思いでした。


精神科患者といっても、様々な人がいます。症状によって一緒に遊ぶのが難しかったり経験がいったりする人もおりますでしょうが、もちろん、そうでない人もたくさんいる。
楽しく遊べる範囲で一緒に遊べるなら何よりです。


引き合いに出していい話かわかりませんが、xenothも抗鬱剤処方してもらった時くらいはありますし、そういう時に友人たちがいるのは本当にありがたかったです。TRPGに限らず、馬鹿話したり飲みにいったりする仲間ですね。
一方で、そういう仲間が、もし「おまえを治療してやる」という態度で来られたら、これはちょっと困るだろうなぁというのもわかります。


もちろん、もしかしたら気を使っていてもらってたのかもしれません。
私だって友人が疲れていたら、今日は気楽に楽しく飲もうぜ遊ぼうぜくらいの気持ちで望みます。
が、気の使い過ぎはお互いよくない。気負わずにつきあえる関係って大切ですよね。

娯楽それ自体の価値

5:精神生活や教育に対する趣味や娯楽が持つベネフィットは一般に考えられているよりもはるかに大きく、であるがゆえに、もしもTRPGを対人援助として役に立てたいならば、下手な工夫をするよりもTRPGがもっと面白くなるように工夫するべきである。


 「たかが娯楽」とか「趣味の範囲」という表現をよく聞きます。私たちは娯楽を娯楽以上のモノにしたくてたまらなくなります。しかし、娯楽の力を過小評価してはいないでしょうか。娯楽は、娯楽としての側面を追求するだけでも十二分に絶大な影響力とベネフィットを持つのです。娯楽を超えようという試みも徒労ではありませんが、TRPGTRPGとして誇ってよいと私は考えます。

ここの部分は何度も読み返しました。
娯楽が娯楽として意味がある、というのは本当に大切にしてゆきたいです。

AGS様の対論

さて、AGS様の対論ですが以下のようなまとめになっております。

TRPGをはじめ、対人コミュニケーションをその娯楽の根幹とする趣味においては、障害や疾病の理解を深め、受容を高めるべきである。

・障害や疾病を持っていても、ほとんどの場合、本人はそれをコントロールできており、また、良質な娯楽を必要としている。彼ら/彼女らは愉快で魅力的な仲間であり、なんらかのコミュニケーション障害を理由として過度に危険視する必要はない。

・基本的な知識を持つ者が配慮をもってTRPGを一緒に楽しむことで、大きな相互支援効果を上げることができる。

このまとめ自体は、私も賛成するものです。
早瀬様のまとめでも、「6) 私は娯楽としてのTRPGをある程度以上に回復した患者に推奨する」にある通りです。
そこにおいて参考になる知識もあるでしょう。
一方で、早瀬様が詳細に批判、反論を行っている部分に対する具体的な応答が、1.5回では欠けています。
特に、「10) 対人援助として趣味を扱い、工夫するそのこと自体が、対人援助性を損なう」に対する反論が全くないことは気にかかります。
これについては、後日、まとめようと思います。

付記

今回の件でAGS様にメールした内容は以下です。

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 お世話になっております、xenothです。
 【テーマ連載】CBT的アプローチのセッション運営(第1.5回)を拝読いたしました。
 大変興味深い内容である上で、一点質問があります。


 今回は、主に早瀬様の問題提起に関する立場表明というところから始まっており、
CBT的アプローチのセッション運営の重要性について書かれておりましたが、
そうしたセッションの問題性、娯楽性については、先ごろの記事で早瀬様が細かく
批判しておりました。


 それについては、細部の直接への反論がなく、両論併記になっていると理解しています。


 さて、xenothは精神に関する問題については門外漢なので、基本的に専門家の
解説を信頼することにしています。


 今回、早瀬様については、「福祉的病院施設に勤める30代の男性医師です。専門は小児科。
特に精神疾患心身症発達障害と重症心身障害を専門とし、成人の精神科での
勤務経験もある」とのことでした。


 一方で、伏見様の記事についても
「・本稿はすでに、(精神科医を含む)精神保健や臨床の専門家、あるいは相互支援の
現場にいる方々から高い評価をうけていた。」
 とありまして、専門家同士の意見が対立している状況です。


 参考にするために、伏見様の記事をサポートされる専門家の方々の、より詳しい
情報をお聞きしたいと思います。


 論において、専門家の権威を論拠とするのであるなら、そこには専門家としての責任が
生ずるわけで、早瀬様がされているように、具体的な、お名前や専門分野をきちんと
述べるか、そうでなければ「専門家としての判断」は表明しないというのは基本的かつ
大切な対応だと理解しております。


 どうかよろしくお願いします。

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xenoth