趣味の奥深さを伝えるためにしてはいけないこと

首根っこ掴みたい

何かの趣味に打ち込めるということは幸せなことです。
たとえばxenothは、TRPGという趣味に十数年の時間をかけ、かけた分の時間と情熱は報われています。
時々離れることがあるかもしれませんが、一生つきあってゆける趣味だと思っています。


そんなxenothは、たとえば誰かが「TRPGかー。最近やってないな。飽きたよ」とか「TRPGなんて卒業したよ」みたいなことを言っているのを見かけると、「おまえは何もわかっちゃいない! TRPGはおまえの考えてるのより、ずっとずっと奥が深い趣味だ! 反省しろ!」と首根っこつかんで揺さぶってやりたい衝動にかられます。


いやまぁ思うだけならいいんですが、中学生くらいの頃は、実際に、首根っこつかんで揺さぶってた気がします。傍迷惑ですね。


TRPGというものに自分が感じている奥深さ、すごさ、面白さを、どうにかして他の人にわかってもらいたいという気持ちは今もあり、変わっていません。
もし、首根っこを掴んで揺さぶってそれが通じるなら、今でも迷わず首根っこを掴みます。


ただ、実際問題は、そうじゃない。
どうしてそうなのか、という理由を4つほど考えました。

  1. ネガティブな意見では人は動かない
  2. 入り口の多様性
  3. 思想とモチベーションの違い
  4. 趣味はたくさんありお互い様である

です。

ネガティブな意見では人は動かない

さて、相手の首根っこを掴んで、「おまえの考えてるTRPGは浅い!」「本当のTRPGはこんなに奥が深いんだ!」と解説したとしましょう。
それを聞いた相手は「おおなるほど! TRPGはそんなに奥が深いものだったんだ! よしTRPGをやろう!」と思うでしょうか?


まぁ思いませんよね。
「おまえのTRPGはダメだ」と言われれば、「そうか。じゃぁ止める」となるだけです。


相手にTRPGを、もっと遊んでほしいなら、必要なのは「TRPGを遊びたくなる気持ち」、モチベーションです。
相手の現状を批判したところで、それはモチベーションにはならず、逆効果なわけです。


なので、TRPGの奥深い面白さを伝えようとするなら、一番大切なことは、首根っこを掴んで揺さぶること、相手の浅さを批判することではなくて、「自分の感じるTRPGの面白さ、深さを伝えること」、「面白そうにTRPGを遊び続けること」だと考えています。

入り口の多様性

さて、人がモチベーションを得る理由は様々です。また遊び続けることによって、モチベーションのあり方も変化してゆきます。


xenothの場合、ムアコック栗本薫グイン・サーガ等が好きだったので、TRPGを始めた頃のモチベーションは、「ファンタジーっておもしれぇ!」でした。
TRPGって何かと言われたら「剣と魔法! ヒロイックファンタジー!」と答えていたでしょう。
それから十数年経った現在のxenothは、TRPGの可能性は別にファンタジーだけに限定されるものではなく、またファンタジーというジャンルも中学生当時考えていたより大きな広がりがあるものなのだと理解しています。


今、中学生のxenothに出会ったら「おまえは何もわかっちゃいない。そもそもTRPGとは、ファンタジーとは(略)」な説教を始めたくなることでしょう。


ですがまぁ、これも余計なお世話というものです。
中学生のxenothは、せっかく面白く遊んでいたTRPGを、なんかお説教されて、やる気なくすかもしれません。
相手のモチベーション自体を批判するのは、よくないことです。
何かを素晴らしい、楽しいと感じている尊い気持ちを、くさしても得られるものはありません。


「TRPGって他にも色々あってそれも楽しいんだぜ」という話をする際は、モチベーションの批判にならないように、うまくやるべきでしょう。

思想とモチベーションの違い

さて、なんで大人xenothは、中学生xenothに説教したくなるかというと、思想の深さの違いがあると思います。


「TRPGってファンタジーとかやれるゲーム」という中学生xenothの理解は、「TRPGは表現媒体であって様々なフィクションを表現しうる」という大人xenothの理解に比べて、思想的には劣っています。
どちらが思想的により優れているか、といえば後者となるでしょう。


一方で、モチベーションとして見た場合、あの頃の、「ファンタジーって素晴らしい。TRPGってすごい」という気持ち、感動、そのために色々な資料を買いあさって学校でTRPGを遊びまくった熱意は、今のxenothと比べて否定できるものではありません。
だいたい今のxeonthがTRPGを面白いと感じてるのも、あの頃の気持がずっと続いているからですしね。


思想、論理として優れているのと、モチベーションの強さとは全く違うものです。
人間は思想、論理として自分が優れていると感じると、つい相手を全否定したくなりますが、論理は論理の範囲でしか否定できません。
「理屈として正しい」程度のことで、誰かの熱意を見下すのは間違いであり、傲慢というものでしょう。

お互い様である

さて、うまく説明して、自分の感じるモチベーション、TRPGの奥深さを伝えられたとして、だからといって相手がTRPGを遊びはじめるとは限りません。
でも、それに怒ってもしかたがありません。


だいたい「TRPGに飽きたとは何事だ!」とか言いたいxenothですが、その一方で、「いやークラシックとかよくわかんなくってさー。すぐ眠くなるんだよね」とか平気で言ったりします。
「おまえは何もわかっちゃ(略)」と、首根っこ掴みたいxenoth的なクラシックファンの方もいることでしょう。


こういうのを、お互い様といいます。


様々な趣味があって、それぞれの趣味に一生をかけている人がいます。
それはそれとして一人の人生は有限です。
クラシックに人生かけたら、TRPGやってる暇がなくなるし逆も真でしょう。
二つくらいならなんとかなるかもしれませんが、他にも趣味はたくさんあるわけで、その全てに打ち込むのはどうやっても不可能です。


ですからTRPGが素晴らしいからといって、他の人に自分がかけた情熱を単純に要求することはできません。
だって自分だって「○○の趣味は素晴らしいんだ! 十年かけてそれを知れ!」と言われても困りますから。


自分の知らない趣味にもきっと自分の知らない奥深さがあるんだろうな、と、心に留めて失礼なことを言わないように気をつけつつ、自分の好きな物を押し付けすぎないようにするのが良いでしょう。

呼吸の如く

「ネガティブな意見で説得しない」「相手のモチベーションを批判しない」というのは、言うのは簡単ですが、やるのはなかなか簡単じゃないんですよね。
うっかりすると、呼吸するように、そうした発言をしてしまいます。
以下に例文をあげてみます。

もはやTRPGは、単なる暇つぶしに留まるものではなくなっています。

言外に、「単なる暇つぶしであるTRPG」が、かつて存在したことを前提としています。
ネガティブな意見であると同時に、「暇つぶし」と言われそうなTRPGを好きな人のモチベーション批判でもあります。

 大事なので繰り返しますが、『(システム名)』は、ただ座して口を開き、楽しませてもらうことを待つ受身の時間潰しではまったくありません。ユーザーのが積極的に楽しさを模索すればするほど面白さが増す創造的なRPGであり、また、ユーザーの創造性を引き出すための総合創作ツールとして捉えることもできる作品なのです。

上記の拡大バージョンです。
言外に「ただ座して口を開き、楽しませてもらうことを待つ受身の時間潰し」が存在することを示しています。


余談ですが、私は、「ユーザーのが積極的に楽しさを模索すればするほど面白さが増す」のは、全てのTRPGにおいてそうであり、「ユーザーの創造性を引き出すための総合創作ツールとして捉えることもできる」こともTRPG自体の性質だと考えています。
1974年に発売された最初のD&Dは、今の水準からすれば、ルールもテキストもイイカゲンでしたが、その欠点にも関わらず(あるいはそれ故にこそ)多くの創作者を生み出し、TRPGというジャンル自体を創りだしたわけです。*1


もちろん、「創作したくなる」より良いシステムを模索することは大切ですが、ある人が心底、楽しさを感じている時、横からそれを「座して口を開き、楽しませてもらうことを待つ受身の時間潰し」と批判しても良いことはありません。


これらの共通点は、「何かを引き合いに出してけなしている」ことです。
奥が深い、と言いたい時に、「底が浅いもの」を引き合いに出す。
本当に余計なんですが、ついやっちゃうんですよね。
その理由は、「奥深いものを知っている自分」という優越感に加え、どう奥が深いかをわかりやすく、きちんとまとめて伝えるのは大変に難しくて疲れるので、ついつい、「アレよりすごい」という単純な比較で物を書いてしまうわけです。


逆に、面倒臭がらずに、そのジャンルについて深く知らない人にもきちんと伝わるように「奥深さ」「面白さ」を書こうとすると、自分の中でも考えがまとまります。

誰かのために

自分が好きだということを、うまく相手に伝えるためには、相手のことを知る必要があります。不特定多数にあてる文章であっても、相手を想定する必要があります。


「○○は奥深い。××はくだらない」と無自覚に書く時、それに同意してくれるのは、自分と同様に「××はダメだ」と考えている人だけです。


同じものをけなして結束するというモチベーションもあるしそれを全否定するわけではありませんが、それでは内輪で終わってしまう。


本当に、誰かに素晴らしさを伝えたいなら、「××はダメだ」的なものを排除したところから始めてみると良いでしょう。*2

*1:さらに言うなら、TRPGに限らず、ほとんどの趣味は、その趣味に触れた人の創造性を引き出す性質があるのではないでしょうか。

*2:こちらについてご意見をいただき、追記を行いました。http://d.hatena.ne.jp/xenoth/20110527/p2