現実的な権限の委譲

鏡さんへのお返事。
http://www.rpgjapan.com/kagami/2007/12/post_119.html

「反省会」だろうと「アフタープレイ」だろうと、「建設的な」即ち「物事を積極的・発展的に進めようとする」意見交換ができれば良し、ということには異論ありません。「つまらないプレイ」を忌避する余り、「つまらなかった」と述べる機会を抑えるなら、それは決して建設的ではない、ということです。

そうですね。細かいことを言うと、つまらないという意見を共有する機会を抑えるのが非建設的ですね。全員がつまらない、と、認識できてれる時に、蒸し返すとヤブヘビだったりするので。
さておき、アフタープレイにもそうした工夫はあると思うので、調べてみると良いと思います。

一つ目。意見が衝突した時に誰の意見を取るのか、その場その場で話し合って決めるのが「自由」、あらかじめ裁定者を決めておくのが「管理」、と考えています。コミュニケーションが苦手な者には「管理」が向いています。

二つ目。どの「特定のルールや権限を尊重する」のか、参加者全員の合意で決めるのが「自由」、あらかじめ決められた裁定者(例えばゲームマスター)の判断(解釈)に常に従うのが「管理」、と考えます。常に自分の意見を通したい者は、「管理」における裁定者をやるのが良いでしょう。

「毎回話し合う」のを自由、「裁定者、ルールを決めておく」のを「管理」とした場合。
自由と管理を選ぶのは、コミュニケーション能力とか主体性とかもありますが、それ以上に、「時間」の要素が多いですね。


当たり前の話ですが「毎回、全員の合意とかを得るようにしてると、すんげー手間がかかる」というのがあります。
人間には無限の時間はないので、全員の意見を反映させたい、というのと、なるべく短い間に決定したい、という板挟みがあるわけです。


そのために例えば、直接民主主義、間接民主主義、とか、色々な方法論があり、現実的に物事を解決するには、権限の委譲が必要になるわけです。


政府や警察、裁判所を100%信用する必要はないし、常に疑ったり修正したりしてゆく努力は必要ですが、でもまぁ政府も警察も裁判所もなしで、全部、俺のことは俺が決める、と、やるのは、非現実的だ。


ゲームも同じでしょう。
私が、ルール解釈の権限をGMにゆだねるのは、コミュニケーションが苦手なわけでもなく、自分の意見を通そうと思わないからでもありません。
ゲームをだれずに楽しくプレイするという目標の中で、その分の自由を管理者に委譲するのが合理的だと思えるからです。


逆の話、俺が、鏡さんの卓に入って、「参加者全員の合意で決めるのが自由」というのを逆手にとり、合意しないことでゲームの進行を止めたら、困るんじゃないかという話です。