TRPGと複雑な物語性 続き

努力の否定 或いは寄り道の肯定

TRPGは、基本的に、パーティで特定の目的を達成するゲームである。
通常のボードゲームであれば、最短距離、最高効率で目的に到達することが望ましい。
ゲーム進行に対し(結果的に無意味ではなく)意図的に無意味な行動を取ることは、マナー違反、プレイの放棄とされる場合も多い。


このルールを最も単純にTRPGに当てはめた場合、全員が全員の能力を生かして脇目もふらず目的に邁進するゲーム、と、なる。


ただし、物語においては、主人公が最初から目的に向かって悩まずに邁進する、というものは少なく、悩んだり間違ったりする過程がつきものである。


みんな指輪物語とか好きなのである。エルフとドワーフで口喧嘩したいのである。指輪を握って豹変したいのである。エルリックとか好きなのである。うっかり国を滅ぼして呪われた皇子とか言ってみたいのだ。ダークサイドに堕ちたりしてみたいのだ。ダースベーダーのように、レイストリンのように。


ただ一方で、TRPGがゲームである以上、プレイヤーが、めいめい好き勝手に、悩んだり過ちを犯していたりしたら、プレイが色々と破綻する。

PLから独立したキャラクター

それを解決する方法として「過ちを犯すキャラクター」をシステム面で実装することが行われた。


暗黒面に堕ちるキャラをやりたいとする。PLが一人で勝手に「俺は暗黒面に堕ちたぜ! 味方を殺すぜ!」と盛り上がられても、かなり対処に困るし、やりにくい。
システム的な手順を踏むことで暗黒面に堕ちることができれば、それなりに納得がいくというわけだ。


例えばD&Dにはアライメント制がある。これは、各キャラクターの性格、方向性を設定して、それに反する行いをした場合、ペナルティと共に違うアライメントに変更される。
例えば、正義を奉ずる聖騎士が、些細な過ちから、暗黒騎士になったりする。
アライメント制は、基本的には「闇に堕ちる」ためのルールではなく、キャラらしさから離れないための制約のルールではあるが、一方で、D&Dのシナリオおよび小説の白眉でもある「ドラゴンランス戦記」では、「中立」から「闇」に堕ちる魔術師レイストリンが、圧倒的な人気を誇って存在している。
なんだかんだいって、みんな、レイストリンをやりたいのだ*1


もっと積極的に使用されるルールとしては「クトゥルフの呼び声」シリーズの正気度ルールがある。
このルールは、PCが恐ろしい目に遭った時、ロールを行い、結果次第で、錯乱したり発狂したりする、というものだ。
これも、このルール無しで恐怖物を遊ぶことを考えてみると、わかりやすい。
恐怖物である。みんな発狂したり錯乱したりする演技はしたい。
一方で、「邪神召喚の陰謀を打ち砕く」という目的がある時に、パーティの足を引っ張って錯乱演技をするのも気が引ける。
かといって、全員、どんな化け物が出ても驚かずに冷静に粛々と目的を追求する、というのも、なんか違う。
そこで正気度ルールが必要になってくるわけだ。


筆者は未プレイだが、アーサー王伝説の騎士達を扱うペンドラゴンRPGでは、伝説そのままに、正義に忠実な騎士達が、ダイス一発で、貴婦人の愛に翻弄されて、過ちを犯しまくるという。


これらのゲームの共通点は、PCとPLの心理面での乖離だ。
PLがやれと命令したことが、PCが身体的に失敗することはある(例えば重いものを持ち上げるとか敵と戦うとか)。
それに加えて、心理面でも、PLからPCが独立する、というわけだ。
日本においても、心理面でPCが独立しているゲーム、それによって、寄り道を肯定しているゲームは数多い。
ビーストバインド魔獣の絆』『ビーストバインドNewTestament 新約・魔獣の絆』あたりは、エゴ=絆システムによって、PC=魔物が、己の魔性に翻弄する様が中心に描かれている。

寄り道の肯定と待ち合わせ

もう一つの方法論として、寄り道をしたいが遅刻をしたくないなら、待ち合わせをしておけばいい、という考えがある。


今から悩んだり過ちを犯したりしますけど、ゲームの目的にはちゃんと参加しますから、安心してください、というわけだ。
このへんは、プレイヤーおよびGMのテクニックとして存在する一方、それをフォローするシステムとして、FEAR系の各種システムが存在する。
シーン制およびシーンプレイヤー制度は、そうした自己演出を可能にする一方、切り上げ時を明確にする。ハンドアウト等で情報を共有することで、待ち合わせ、すなわち方向性の調整を明確に行えるようにする。

人生とは寄り道だ!

PC同士の世界観、行動原理の確執と、その昇華自体を目的とするゲームがあったっていい。
上記、シーン制、ハンドアウトを前提に、N◎VAや天羅(天羅・零)では、やろうと思えば、そうしたシナリオもプレイできる(全部がそういうシナリオであるわけではない)。
あ、でも、これは、友情の否定のほうだな。別記事で。

ひとまずの結論

というわけで、努力の否定。そのための「PLとPCの心理の乖離」について述べてみた。
ここで挙げた以外にも、様々なシステム、ギミックが存在すると思う。例によって教えを請う次第である。

*1:アライメント制がレイストリンやダース・ベーダーをやるためにある、と、言い切れるかはともかく。NPCとしてのダース・ベイダーを表現する目的があるのは確かで、そしてGMがダースベイダーをやりたいなら、PLだってやりたいのである。