架空世界の常識と良識〜ラビットホール・ドロップスの感想 その2〜

要約

架空の世界*1を遊ぶTRPGにおいて、ゲーム内の常識や良識がどうあるべきかは、単純には決めらない。


よって、それをどうするかはシステム、ゲームデザインで、示す必要がある。

常識について

ファンタジーを舞台にしたTRPGにおいて、何がアリで何がナシかを決めるのは大変に難しい問題です。
世界設定は重要な手がかりです。しかし、全部のことが世界設定に書いてあるわけではありません。
ルールも重要な手がかりとなります。「1レベルの戦士が、1レベルのゴブリンと戦うと、これくらいの戦力比になる」ということがわかります。
ですが、ルールだけではわからないことも沢山あります。
現実の知識を援用する点もあります。「中世ヨーロッパではこうなっていた」といったものです。とはいえ中世ヨーロッパには、ファンタジーRPGのような、ドラゴンや魔法使いはいなかったでしょうし、また「中世ヨーロッパ」といっても時期も地域も大変に広いですし、専門家でも意見が分かれることも無数にあります。


ファンタジーRPGなどの架空世界ではなく、現代日本等が舞台でも、同じ問題は起きます。現代日本にオカルトや非日常の要素を入れたものは、同じ問題が起きますし、仮に現代日本の日常をプレイするゲームであっても、「現実なら皆の認識が常に一致する」とわかったものでもないのです。

ゲーム内の良識について

ゲーム内の良識については、さらに曖昧になります。
その世界の道徳の何が善で、何が悪か。何をすると村人から感謝されて、あるいは石を投げられるか。人それぞれ良識も違う上で、どのあたりが普通か?


これらについてもルールや世界設定は重要な手がかりとなりますが、「誰が読んでも誤解なく意見が一致する」ことはありえません。
様々な食い違いが起きるでしょう。

ゲーム外の良識について

世界設定に沿っており、ルール的にも問題がなく、そのキャラクターの生い立ち、精神にも一貫している行動があったとして、それが全部OKかというと必ずしもそうではありません。人によっては、そこに不快感を感じる場合があるでしょう。


例えば「Aの魔法陣」では、行動の描写を細かく行うことで、難易度を低下させるルールがあります。
そんなわけで、「戦闘で相手を意気沮喪させる」場合、いかに、自分の攻撃が痛くて、えげつないかを細かく描写することはルール的に推奨される行動となります。
それは、相手を殺さずに捕まえようとする慈悲深い行動であるかもしれません。
しかしまぁ、当たり前ですが、それを聞いた人が不快に感じる場合もあるでしょう。


このあたりをどうするかというのは、ゲーム内のルールや世界観などでは、対処することが難しくなります。

意見を一致させるデザインと、一致しない時の対処

これらの問題をどうするかは、最終的にはプレイヤーの問題でもありますが、ゲームデザインの問題でもあります。


ゲームデザインにおいては、まずできるだけ「意見が一致する」ようにして、そして、「一致しなかった場合」の対処も考えます。


意見が一致するデザインというのは、ゲームの方向性、やりたいことを明確にし、一貫させることです。
たとえば、D&Dのスターターセットでは、
ダンジョンズ&ドラゴンズという名前である。
・ダンジョンの中で、戦士がドラゴンと戦っている箱絵である。
・ダンジョンでモンスターを倒したり罠をクリアしたりお宝を手に入れたりすると経験点が入る
・ダンジョンのルールや、戦闘ルールがメインである。
・ダンジョンに潜って、モンスターと戦うゲームである、と何度も説明されている。
となっています。
これ全部において、「なるほど。このゲームは、ダンジョンに潜ってモンスターと戦ってお宝を得て成長するゲームなんだな」とわかるようになっているわけです。
上にあげたのは、非常に大雑把なものであって、実際には、もっと細かいレベルで、D&Dがどういうゲームかを、くっくり、はっきり、わからせるように工夫がされています。
もちろん、D&D以外のTRPGでも、デザイナーは、それを目指しています。


その上で意見が異なる場合もあります。
そうした場合の対処も書いてあります。
「ダンジョン・マスターである君は、ルールに関して疑問や意見の食い違いが生じた場合は最終的な結論を決める立場にある。何か問題が起きた場合には、以下のガイドラインが参考になるだろう」
そのガイドラインには、「ルールについての議論で時間を無駄にするな」「公平」「気配り」「楽しもう」といったものが並んでいます。
FEAR社のTRPGに付属するゴールデン・ルールもだいたい同じものです*2


あらゆるデザインと同様、これらも進化する過程にあるでしょう。ゴールデン・ルールやD&Dガイドラインが完璧というわけではありませんが、いずれにせよ「意見が割れた場合の対処」はシステムにおいて重要な点といえるでしょう。

ラビットホール・ドロップス

前回、RHDの感想で私が書いた点は、上記の問題の裏返しと言えます。


童話風のデザインだが、戦闘ルールがあり、騎士や魔術師といったクラスがあるが、戦闘は必ずしも推奨ではなく、人は絶対に死なない。
単純に考えて、デザインが矛盾しています。
より細かく見て、「剣や魔法の炎による戦闘があるが、人は絶対に死なない」「あらゆる質問に答えさせる特殊能力」といった内容も、その解釈や運用について、ゲーム内の「常識」「良識」の意見が別れてしまう点です*3


もちろん、ルールや世界設定が一見、矛盾しているゲームは沢山あります。
たとえば「ダブルクロス」は、名前からして「裏切り」ですし、友情を大切にするルール(ロイス、パス)と、友情を捨てるルール(タイタス化*4)があります。
しかし、このゲームの場合は、「人間としての生き方とオーヴァードとしての生き方が矛盾する中で頑張る」という点に集約されるべくデザインされてるのであり、「矛盾」自体が共有されるべきイメージなのです。


RHDの場合、配布分のルールを読む限りにおいては、どこに意見を集約させるかがわからない。
また、意見が異なった場合にどのように処理するかも書いていない。

勇み足

私が、これらの点を気にするのは、ラビットホール・ドロップスが、

 そんなRPGは面白い遊びというだけではなく、教育や障害者支援に有効ではなかろうか、と考えて行動している方々がいます。
 想像力を豊かにしたり、コミュミケーション能力を高めたりする効果、また自己実現による満足感を得ることにより、回復や成長の効果が考えられます。


 このゲームは、そのような活動に用いるために作成されたRPGです。

とある点です。


TRPGでゲーム内の常識、良識についてもめることは多々あります。最悪、それが心の傷を作ることもあります。
児童や障害者の支援目的で行うのであれば、そこは通常以上に、注意すべき点であることは言うまでもないでしょう。


そもそも一口で教育、障害者支援といっても、様々な子供や障害者がいます。伏見氏自身が書いた記事
【テーマ連載】CBT的アプローチのセッション運営(第1回): Analog Game Studies
でも、相手によって違うプレイスタイルを書いています。
ですが、ルールブックにおいては、そうした状況で、どのようにゲームを運用するかは、全く書かれていません。


また、ここにおける記述は、いくつも批判が寄せられています*5 *6
これらの批判について、伏見氏は、

 寄稿くださった早瀬以蔵先生、WEB上にてご指摘とご教示をくださった滝野原南生先生をはじめ、本論へのご意見やご批判、危険性についての迅速なご指摘に感謝いたします。


 論の進行と共に、その実運用、危険性や限定性についてと段を踏んで言及する予定でありました。


 しかし本論が治療をテーマとするものであることを踏まえ、そのリスクに対してより慎重に扱うべきものであるということ、それはむしろ『最初に』提示するべきであった、また、この論が「独り歩き」する危険が多大にある、とのご批判はたいへんに的を射たものであり、首肯いたします。
(中略)
今後Analog Game Studies上で公開していく内容につきましては、ソーシャルワークTRPGとの関係を主軸とした研究と実践の模索という形に方針を変更させていただき、公開すべき進展がありましたら、その成果をご報告させていただきたいと考えております。

【テーマ連載】CBT的アプローチのセッション運営(第1.5回): Analog Game Studies


と書かれました。
ですが、今また、普通のTRPGのシステムを一般向けに公開し、「教育や障害者支援活動のために作成されたRPG」といっています。


伏見氏や、あるいは専門家の人が、RHDを使って、うまく支援できる可能性を否定するものではありません。
一般のプレイヤーの方が、お子さんや、その友達と一緒に楽しく遊べたという体験も聞きますし、それは素晴らしいことです。
ですがしかしそれは、TRPG一般と、支援する相手の両方についての技術、またプレイヤーとの信頼関係があってのものでしょう。
少なくとも、「このシステムなら、そのへんの普通のTRPGマスターや、TRPGを初めて遊ぶ教師、指導者でも円滑に問題なくプレイできる」といったものではありえません。
TRPGシステムの提示は、「独り歩きする」危険については、論の比ではありません。


TRPGを用いた支援の可能性自体を否定するものではありません*7
ですが、今の状況で、支援活動のためのTRPGと言うのは、あまりにも問題がある行為でしょう。

*1:現実、現代日本等を舞台にするゲームでもフィクションである時点で架空の世界です

*2:GMが最終判断を下すことを強権的として嫌う場合もあるでしょう。自主性を引き出そうとするゲームであるならそれが望ましくないという考えもわかります。それならそれで、意見が分かれたり対立したりした場合に、どのような処理、対応をするかは決めておく必要があるでしょう。

*3:その使用、解釈に「良識」を求めるというゲームコンセプトなのかもしれませんが、現実と違う架空世界の良識が一筋縄でいかないことは書いた通りです。そうしたプレイは、往々にして、「GMの考える良識」を周りの人間が空気を読んで従おうとするゲームになります。

*4:初期の場合。最近はタイタス化には、例えば裏切りのような強いイメージは減っています

*5:http://playreport.seesaa.net/article/198207335.html

*6:http://analoggamestudies.seesaa.net/article/198691904.html

*7:ただし、 http://analoggamestudies.seesaa.net/article/198691904.html 参照