グローバリズムとバランス

歴史教育の重要性

桃木至朗『わかる歴史・面白い歴史・役に立つ歴史』(蔵原大): Analog Game Studies
AGSの蔵原氏の新しい論考です。
『わかる歴史・面白い歴史・役に立つ歴史』のレビューとして、歴史教育の重要性が語られています。
こちらのブログでも何度か書きましたとおり、歴史教育の重要性および、歴史を単なる情報の羅列ではなく、血のかよった人間の、状況に応じた決断の集積として見てゆくことは大変に重要であると思います。
惜しむらくは、本の具体的な内容としての、「わかる歴史」や「面白い歴史」の具体的なエピソードなどの紹介がない点です。
歴史教育の重要性は当然として、この本を読むきっかけがほしいなと思いました。

留学と外国人講師と文化侵略

本文中で蔵原氏は、韓国が『アメリカの「教育植民地に?」』という刺激的な見出しを使っており、その理由にグローバル化をあげています。

 補足説明すれば、韓国の現状は歴史的には別に珍しくもなく、例えば中国、ベトナム、インド、そしてアフリカで類似例が報告されています、19〜20世紀に。そうした地域が帝国主義の流れを通じて植民地化されると、欧米帰りの逸材が植民地行政の現地エリートに変化していったのも、これまた歴史学の教える所です。
(中略)
具教授のいうような途上国側の「グローバル教育戦略」から見れば、それは欧米出身の研究者が途上国の教育界にパラシュート就任してくる、という構造の常態化とも言えます。当然ながら欧米の学者には好都合のシステムでしょうが、でもそれって「英語圏のどこか」が教育に名を借りた一種の「植民地」に転落するという構図では?

海外での留学および、国内への英語講師の増加により「教育に名を借りた一種の「植民地」に転落する」。また留学者は「植民地行政の現地エリートに変化」し、宗主国のお先棒を担ぐというわけです。


さて、この蔵原氏の見方には、xenothから見て疑問点が三つあります。

グローバリズム化と反動

一つはまず、過度のグローバリズム化が文化侵略、植民地化を招くというのが、歴史の教えるところであるならば、同時に、過度の文化閉鎖も国をあやまる危険があるというのも歴史の教えるところです。


国際社会において競争力を維持するため、また、回りの国の情報を知るために、文化交流は欠かせません。情報を知ることで、戦術、戦略を立てる国がことができます。
そのためには、留学や外国人講師に重要な意味があります。


逆に現実を見るのがつらくなった国が、あたかも耳を塞ぐ子供のように外国の情報をシャットアウトしようとし、その結果、さらに現実から乖離し、無益な戦争へ向かう例が多い、というのも、歴史から学ぶべき重要な点です。


結局重要なのは、バランスです。
もちろん、これは口で言うほど簡単なことではありません。
適正なバランスはどこにあるのでしょうか?
また、グローバリズムに対抗するには、どうしたらいいのでしょうか?

ゲーム的歴史観グローバリズム

そこで第二点となります。
韓国にせよ、日本にせよ、諸外国にせよ、グローバリズム化(この場合はアメリカ化)を受け入れるのは、単なる趣味や信条の問題ではありません。
言うまでもなく、そこには文化的、経済的、政治的な強い圧力があります。

 最近の日本では、何でも企業が社内公用語を英語にするという現象が起きているようですが、それはそれで見事なまでに時流に乗っているわけですね、英語大国の自発的「植民地」になりますと宣言したようなものでしょうか。歴史学の衰退は、こういう基本的かつ歴史的におなじみの繰り返しさえ認知する力を失わせるという点で、安全保障や民主主義の根幹を揺らがせるおそれがあります。しかしそれはそれで一部の人々にとっては都合がいいのかもしれません。

蔵原氏は、このように書いております。
それぞれの企業が公用語を英語にすることを踏み切った裏には、当然ながら、熾烈な競争圧力があってのことでしょう。それぞれの会社は「競争力を得るためにそれが必要だった」さらには「そうしないと生き延びられない」と理解したのです。
それに対して、「歴史を学ばないバカめ」と言ったところで、必ずしも状況は改善しません。


単純に正しい理念から正しい結果を期待するのであれば、蔵原氏が述べるところの「傷だらけの偉大な負け組」(http://analoggamestudies.seesaa.net/article/166819268.html)は必要ないことになります。
「勇猛果敢、万能兵器、美貌と幸運でもって事態を難なく切り抜ける」ご都合ヒーローであれば、自身が正義であることをもって、そうした状況を打開できるのでしょうが、残念ながら蔵原氏も私もこれを読んでる皆さんも、そうしたご都合ヒーローではない。
であるならば、南軍のために戦ったリー将軍を、我々が笑い飛ばすことができないのと同じように、「公用語を英語」とした社長の一人一人の、そうなるに至る状況を見る必要があるわけです。


スローン大提督のような現実的な人物であれば、グローバリズムを単なる理念の問題として捉えるのではなく、今、そこにある具体的な圧力として理解し、その圧力にどのように戦うかを考えるでしょう。


歴史的な愚行とされるものは、ほとんどの場合、単に愚行だったのではなく「そうせざるを得ない巨大な圧力」が、存在していたわけです。それは坂から転がり落ちる岩のようなものです。そこに立ち向かう時には、その岩を真正面から見つめて、それと取っ組み合わなければならない。
転がる岩の下敷きにならないために逃げる人を私たちは責められるのか。岩を押しとどめようとして、力足らず負けたスローン大提督のような人物を負けたという理由だけで責めていいのか。
これは大変に難しい問題です。


これこそが蔵原氏が推奨するウォーゲーム的な歴史理解の格好の材料でしょう。
グローバリズム化の圧力と、それに対する対抗は、どのようなモデリングで表せるか。
そのゲームには、どのような選択肢があるか。
そこにはどのような戦略があり、どのようにプレイすべきか?
大変に魅力的な題材と言えるでしょう。

蓬莱学園」の公用語

 もしくはそれに対して、そろそろ日本の朝野もロシア・韓国・北朝鮮・中国(台湾を含む)・フィリピン、さらに東南アジアの国々と提携して大東亜「教育」圏の構想でもブチ上げたらいかがでしょう。そんで「竹島/独島」辺りに総合大学もとい学術独立国「蓬莱学園」を創るとか?


 いえいえ皆さん、こういうのをファンタジーというんですよ。でも冷戦崩壊の話も、それが起こるまではファンタジーでしたけどね...。

蔵原氏は、このような構想を述べています*1


素朴な疑問なのですが、この学術独立国の公用語は、何になるのでしょうか?*2


複数の母国語を持つ、複数の国出身の学生を受け入れる時、現実問題としては、英語を共用語とすることが一番多いでしょう。ただし、この場合は、アメリカのグローバリズム化への対抗として考えられているので、英語ではないでしょうね。


そしてここではたと悩むことになります。
仮に何語にするにせよ、それはロシア・韓国・北朝鮮・中国(台湾を含む)・フィリピン、さらに東南アジアの国々に対する、グローバリズム圧力にはならないのか?
蔵原氏の考える「蓬莱学園」が、元ネタ通りに日本語を公用語とするなら、それもまた、立派なグローバル化の圧力となります*3


蓬莱学園」を考えるまでもなく、日本は、(まぁ最近景気悪いですが、それにしても)経済技術大国であり、文化発信にも力を入れています。
アメリカの被害者となることはもちろん考えなければなりませんが、一方で、日本が加害者となる場合があることも肝に銘じなくてはなりません*4
蔵原氏がアメリカの文化侵略に危機感を覚えるように、日本の文化・経済侵略に反発する各国の心情があることを忘れてはなりません。
それも、歴史から学ぶべき重要な点でしょう。

最後に

 誠実な研究のない社会には「虚像」がはびこるわけですが、この「虚像」がやがてどんな結末へと日本帝国を駆り立てたのか、その点は皆さんもよくご承知だと思います。

誠実な研究は必要だと思います。切実に。

*1:私は卓上ゲームにおいて、同卓する人の気分を損ねるような話題を安易に出すのはよくないと学んだので、この連合プロジェクトを大東亜教育圏と名付けるのは、歴史的評価以前に、協力して働く相手の気持ちをわきまえていない点で、問題があると思います。

*2:なお元ネタの、メールゲーム、TRPG、小説等の舞台設定である蓬莱学園は、一応、東京都台東区の私立高校という設定で、国語は日本語であり、それ以外の授業も多くは日本語で行われています。学内で話されている主な言葉は、日本語に加え、中国語と英語であり、それ以外にも様々な言語が存在していると設定されています。

*3:元ネタの蓬莱学園にも、日本を中心とする学園が、アジア他の文化・教育の要となるというロマンが投影されていることは確かです。一方で、その「蓬莱学園」を作らせたのは、各国の軍産複合体の集まった組織「ほうらい会」の利益活動のためであるという設定もあり、そうしたロマンがグローバリズムの走狗たりうるといった問題にも作り手がある程度自覚的であることを伺わせます。

*4:韓国の留学生にとって日本は有力な留学先です。