感情移入のテクニック

要約

何かをわかりやすく説明するために、敢えて物わかりの悪い、頭の悪い視点を出して、そこに説明するという技法がある。
そうした「ワトソン視点」を出す場合、ワトソン=執筆者とするのが基本である。
ワトソン=読者で、ホームズ=執筆者とすると、読んでいるほうは不愉快になるので、注意が必要である。

英雄と誹謗

Analog Game Studiesの蔵原氏の記事において、他者を無用に貶す価値観の押しつけがあることをTRPGと多様性とリアルリアリティ - xenothの日記で指摘した。だがしかし、蔵原氏はそうは思って書かなかっただろうし、岡和田氏の評価においても、そうである。


もちろんxenothの心が狭いという可能性もあるわけだが、ここでは、xenothが感じた不快感の内容を文章的に解析することを試みる。

ワトソン登場

さて、蔵原氏の記事の中心は、スローン提督の評価にある。
そのスローン提督を、蔵原氏は、最初、どのように評価していたか?

 対してチスの司令官ミスローニュルオド(Mitth'raw'nuruodo)、別名スローン(Thrawn)という人物はまことに無様である。彼は戦うごとに敗北し、ささいな失態から無実の人々を虐殺し、やがては軍籍を剥奪されて反逆者の汚名をかぶされ追放される。そうして最後には身内に裏切られ、戦場で暗殺されてしまう。なさけない無能ぶりである。負け組の典型だ。
(中略)
スローンの部隊はヴァガーリの戦艦を破壊した。「生きた盾」もろとも。そうして有益な装備を回収すると、無辜の民を襲うヴァガーリを放置してスローンは撤退した。要するに悪行の現場に居合わせながら被害者を見捨てて逃げ出したのだ。なんてヒドイ奴だろう。


 スローンの非道はこれだけではない。次に彼がした事は五万人の民間人が乗った宇宙船を待ち伏せし、その乗員に放射能を浴びせて虐殺したのだ。しかもその一件が上層部に知られるや否や、スローンはその宇宙船の残骸を遠くに追いやって証拠を隠滅しようと謀った。卑劣極まりない所業じゃないか。こんなヤツはアニメのヒーローに天誅されてしかるべきだ。

ここでは、スローンの評価が「なさけない無能」で「負け組」で「非道」で「卑劣」で「天誅されてしかるべき」という形で表現されている。


ところで、こうした評価が作者の、あるいは記事の真意でないことは誰にとっても明らかだ。
わざとらしい皮肉っぽい書き方だけでもわかるし、そもそも蔵原氏は、最初に以下のように書いて、これからスローンを誉めるぞと予告している。

 しかしスローンはそれでも、いやむしろそれゆえに、彼の苦闘の物語を読んだ少なからぬ人々の心を揺り動かし、1991年に小説を通じて初登場以来、彼の言行に感動を覚える人口は増える一方のようだ。

事実、蔵原氏は、以下のような文章を皮切りに、スローンの肯定的評価を開始する。

 しかし以上は一つの見方である。今度は別の角度から、スローンの行いを振り返ってみよう。

さて最終的にスローンを評価するのなら、なぜ、このような「スローンこきおろし視点」を導入するだろうのか?
それは、スローンの素晴らしさと、その誤解されやすさを読者にわかりやすく説明するための視点として導入されている。
スローンの行動は、結果だけ見ると、このように残虐非道で無能で卑劣なものである。だが、より細かく見ていけば、そこにはスローンの卓越した判断力があり、また彼が一人の人間として苦悩していたこともわかる、というわけだ。


要するに、ワトソンである。
ホームズがいきなり事件を解説してもわかりにくいので、まずはワトソンが事件の謎に悩んだり犯人のミスリードに一通り引っかかってから、ホームズが託宣を垂れるというわけだ。


問題は、ワトソンと読者の関係である。

ワトソンはアニメ好き

この文章の中で、ワトソン視点は、どのように位置づけられるだろうか?
ワトソンはどのように考えているか?

 アニメのヒーローたちなら何やら画期的な新兵器、あるいは斬新な作戦でもってヴァガーリの戦法を無効にし、哀れな捕虜を助けてなおかつ侵略を食い止めただろう。

これがワトソンの考え方である。
アニメのヒーローなら人質も助けて敵も倒せるのに、スローンはバカだなぁというわけだ。

卑劣極まりない所業じゃないか。こんなヤツはアニメのヒーローに天誅されてしかるべきだ。

これもワトソンである。スローンのやったことは、本当は卓越した将軍のジレンマの中での未来を見すえた苦い決断であるにも関わらず、「卑劣」としか判断できない。で、それは「アニメのヒーローに天誅されるべき」というわけだ。


つまり、ワトソン=アニメのヒーローに感情移入してる人だ。

 そう考えるとまず頭に浮かぶのは、昨今の映画やアニメで綺麗どころの若い男女が快刀乱麻に混迷をさばき、万能強力に難敵を打ちたおし、恋愛沙汰でも大きな成果を収めるその雄姿である。彼らの華々しい活躍は多くの視聴者を惹きつけているようだ。彼らはいわば勝ち組である。

で、そのワトソンの好むヒーローは「多くの視聴者を惹きつける」「昨今の映画やアニメ」というわけだ。


ここで読者は二つに分かれる。
私のような「昨今のアニメが好き」な読者にとっては、以下の文章では自分=ワトソンということになる。
昨今のアニメに興味のない読者であれば、ワトソン=「昨今のアニメが好きな人」となる。

ワトソン視点の取扱注意

当たり前だが、人間は馬鹿扱いされるとムカつく。故に、ワトソンの取り扱いには注意が必要となる。


私のように「昨今のアニメが好き=ワトソン=自分」の読者の場合、この文章を読むことは「おまえは、スローン提督の良さを理解できないバカなワトソンだよ」と言われることに等しい。


「昨今のアニメが好き=ワトソン=自分以外」の読者の場合、「あのアニメ好きなやつらってさー、スローン提督の良さを理解できないバカなんだぜ。どうしようもないよな」という悪口を延々聞かされることになる。
こちらも、あまりいい気持ちではない*1


その後に、蔵原氏が自身=ホームズとして、事件の真相(スローン提督が本当は優れた軍人であること)を語るわけで、ワトソンは結果としてこきおろされる。不快感は増すばかりである。

ワトソン=筆者

ワトソン視点を使ったために、文章が不愉快なものになってしまった。ではワトソン視点は使わないほうがいいのだろうか?
そんなことはない。


ワトソン視点を使う場合の基本的なテクニックは、「ワトソン=作者」とすることである。
作者が真面目に考えて勘違いしてゆくように見せれば、読者は優越感あるいは共感を覚え、反発することがない。


「スローン提督は、本当に無能でバカだ。こんなやつは死んだほうがいい」
「だがなんということだろう。スローンは本当はこのように素晴らしい将軍だったのだ。スローンを無能と読んだことを私はあやまりたい!」


たとえばこんな具合である。作者=ワトソンなのだから、真実が明らかになった場合は、「僕はなんてバカだったんだ、ホームズ!」と言わなければならない。


あまりにも芝居がかっているって? そのへんは趣味である。
前半で、「なんてヒドイ奴だろう。」とか「なさけない無能っぷりだ」とか大仰に書いているので、後半もそれを受けて書く必要があるのだ。
本来ならワトソン視点の時は、あまり皮肉とわかりやすく書かないことがテクニックである。だって筆者=ワトソンなら、ワトソンは皮肉言わないからね。


で、芝居がかったのが嫌なら、普通に書くのがいいだろう。
「スローン提督の人生は失敗続きであり、無能な卑劣者の烙印を押されかねないものであるが、その人生をより細かに見れば、彼の苦悩と才能、努力が明らかになってゆく」
と書けば、無理なワトソンも存在しない。

視点誘導

文章における視点とは、読者の興味を保つために感情移入や理解をうながすための誘導技術でもある。
ただ、以上に書いたようにxenothの分析では、蔵原氏の視点導入は、マイナスの効果を上げているように思える*2


一般に、論説文においては、変に大仰なテクニックを使わず、書きたいことを整理してわかりやすく書くのが基本である。
テクニックを使うなということではないが、使いこなせないことをするよりも、まずは基本を練習するのが良いかと思われる。

*1:あなたが昨今のアニメやアニメファンに対する憎しみ、軽蔑を持っている場合ではこの限りではない。

*2:少なくとも不快感を感じたアニメファンがここに一人いるのは確かだ。そして、アニメに関する記述がなくても文章が成立することも示した