岡和田さんへの異議

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今朝方、
Analog Game Studiesへの感想、意見として
TRPGと多様性とリアルリアリティ - xenothの日記
の記事を書いた時は、トラックバックを送信できたのだが、今見たら、トラックバックurlが表示されなくなっていた。
本記事もトラックバックする性質のものだが、そのような事情でトラックバックしていないことをお断りさせていただく。

特定の英雄像

※2010/12/05追記
岡和田氏のブログで、以下のツイッター上のつぶやきを吸収する形で記事があがっていたので、リンクを追加する。
新しいプロジェクト「Analog Game Studies」が始まりました! - Flying to Wake Island 岡和田晃公式サイト(新)
なお、異議を書いた部分に変更はなかったため、本記事の以下の部分は通用すると考える。

新しいプロジェクト、Analog Game Studies、おかげさまでかなりの来場者さまをいただいております。RTもたくさんしていただき、本当にありがとうございます!http://analoggamestudies.seesaa.net/ 約1時間前 webから

どのような分野でもそうですが、ウェブでの発言は手軽なため、往々にしてヘイトスピーチに堕すことがありました。Analog Game Studiesでは、少なくとも単なるヘイトスピーチではない、多様な価値観を是認する創造的な“場”を創り上げていきたいと思っています。ご期待下さい! 約1時間前 webから

お気づきでしょうがAGSでの蔵原大さんの英雄論はティモシー・ザーンというヒューゴー賞作家についての優れたSF評論にもなっています。既存の批評的枠組みでは語りづらい意思決定の問題をクラウゼヴィッツチャーチルら戦略論の知見を用いることで英雄像を含めた“読み直し”にまで広げています。 約1時間前 webから

(承前)それゆえ、蔵原さんの記事はこれまでのSFはもちろん、映画やアニメの英雄を見る目をさらに豊かなものとしてくれるのは間違いありません。試しにスローンとハン・ソロを比べてみて下さい。両者の違いは? http://analoggamestudies.seesaa.net/ 41分前 webから

(承前)そして蔵原さんの記事が鋭いのは同時代的な問題を捉えていることです。サンデル『これからの「正義」の話をしよう』では、正義と倫理のあり方が改めて問い直されましたが、蔵原論考の「宿題」の記述、コベントリー・ジレンマをその流れで考えてみるのも、興味深いものがあるものと思います。 31分前 webから

(承前)SF者的には、蔵原さんの論考は、(サンデル先生が紹介してもいた)「SFマガジン」2010年10月号にめでたく再掲された「オメラスから歩み去る人々」(アーシュラ・K・ル=グィン)と、並べて読んでいただければ、さらに深みが増すでしょう。 25分前 webから

(承前)蔵原さんは特定の英雄像を押し付けているわけでもないし、(言うまでもなく)貶してもいません。しかし論考では「英雄」という総体への再考を促すことで、フィクションを享受する際にも、他者を演じる際にも、さらにはゲームで意思決定を行う際にも、役に立つ内容となっているように思います。 23分前 webから

http://twitter.com/orionaveugle より)
岡和田氏( id:Thorn )のツイートを引用させていただいた。
長々とした引用になったが「蔵原さんは特定の英雄像を押し付けているわけでもないし、(言うまでもなく)貶してもいません」という部分には異議がある。
蔵原氏の記述を見てみよう。
文中では「アニメのヒーロー」については以下のように書かれている。

アニメのヒーローたちなら何やら画期的な新兵器、あるいは斬新な作戦でもってヴァガーリの戦法を無効にし、哀れな捕虜を助けてなおかつ侵略を食い止めただろう。
(中略)
卑劣極まりない所業じゃないか。こんなヤツはアニメのヒーローに天誅されてしかるべきだ。
(中略)
アニメのヒーローは勇猛果敢、万能兵器、美貌と幸運でもって事態を難なく切り抜ける。彼の三者は違う。彼らの主兵器は冷静な知性、鍛え抜かれた技量、堅牢な職業倫理でしかない。

ここにおける「アニメのヒーロー」は、勇猛果敢で事態を難なく切り抜けるが故に、スローン提督のような人物が冷静な知性と技量、職業倫理で困難な事件に立ち向かう苦労を理解できず、スローンが悲惨な結果の中での最善を選ぼうとしたことさえも「卑劣極まりないので天誅する」ような存在である。


これだけ見ると、この「アニメのヒーロー」は、ある種の記号や比喩的なものと取れるかもしれない。たとえば、「そんなマンガみたいなバカな話があるわけないだろう」という時、その「マンガみたいな」は実在するマンガへの批判ではない。「現実のマンガはご都合主義ばかりじゃないぞ!」といった反論は必ずしも成立しない*1
しかし蔵原氏は、最初に以下のようにも書いている。

 そう考えるとまず頭に浮かぶのは、昨今の映画やアニメで綺麗どころの若い男女が快刀乱麻に混迷をさばき、万能強力に難敵を打ちたおし、恋愛沙汰でも大きな成果を収めるその雄姿である。彼らの華々しい活躍は多くの視聴者を惹きつけているようだ。彼らはいわば勝ち組である。

ここでは、そうした英雄が「昨今のアニメや映画」で「視聴者を惹きつけている」という主張が為されている。つまり、実在するアニメや映画の人気作品というのが前提となっているわけだ。
よって、「そんなマンガみたいな」というような比喩上の作品である、という受け取り方はできなくなっている。


つまり、蔵原氏の文章においては、実在のアニメや映画で人気を博しているとされる英雄のキャラクター達が、勇猛果敢でどんな事態も難なく切り抜けられるが故に、スローン提督のような人物が冷静な知性と技量、職業倫理で困難な事件に立ち向かう際の苦労を理解できず、悲惨な結果の中での最善を選ぼうとしたことさえも「卑劣極まりないので天誅する」ような存在であるということになる。


これが貶しでない、ともし言い張るのなら、それは言葉遊びであろう。

脇筋の是非

岡和田氏は、蔵原氏の議論が、正義と倫理、意志決定の問題であると述べている。
そのような観点から捉える場合、「昨今のアニメや映画は綺麗どころの万能兵器の勇猛果敢の」といった話は脇筋であろう。
岡和田氏や蔵原氏は、「脇筋だから気にするな」と言いたいのかもしれない。
だが「脇筋で人を怒らすようなことを書くのは余計だろう」というのが私の意見だ。
アニメや映画を誹謗する必要がないなら、それによってアニメ好きに不快感を与える必要がないのなら、わざわざそんなことをする必要もないだろう。
現実的なヒーローとの対照を取るために絵空事の万能ヒーローを導入したいならすればいいが、言い方、書き方があるだろう*2
岡和田氏が引用している「これからの「正義」の話をしよう」も、「オメラスから歩み去る人々」も、別に関係ないアニメファンやらに喧嘩を売るような記述は本筋にも脇筋にもないだろう。当たり前の話だ。


脇筋なら何をけなしてもいい、というのであれば、それは岡和田氏が目指すところの「ヘイトスピーチではない、多様な価値観を是認する創造的な“場”」にはほど遠いと思うのだ。

*1:もちろん、ご都合主義やいいかげんの代名詞にアニメやマンガを使い続けるというのも考え物ではある

*2:たとえば「アニメのヒーロー」と書く代わりに「空想上の万能無敵の英雄様なら」と書けばいいだけだ。