楽しみ楽しませること

ゲームの面白さには、良い指し手を打つことに関連する戦術的な面白さと、それを巡ってわいわい盛り上がるパフォーマンスの面白さがある。


TRPGにおいては、そうしたパフォーマンスの面白さは極めて重要であり、パフォーマンス>戦術と捉えることもできるほどである。

なりきることが楽しいの?

acceleratorさんからトラックバックいただいた。
「”なりきり”はなりきることが楽しいの?」
http://d.hatena.ne.jp/accelerator/20100827/p1


先の記事で、xenothは、「なりきり」を、キャラクターの背景、歴史込みで捉えるか、背景から独立した属性で捉えるかで分けられると書いたわけだ。その前提として、「キャラクターに没入する楽しみ」を置いていた。


そこで、acceleratorさんの記事である。
なりきりは、本当に「なりきること」が楽しいのか?
TRPGにおける演技の楽しみは、それを回りに見てもらうことの楽しみではないか、という指摘である。


これは全くもってその通りで、そういやコスティキャンも、TRPGにおける「ロールプレイング」はパフォーマンスであり、他人に見てもらうから成立する*1と述べていた。


演劇については不案内だが、観客の前でやるというのは、多くの場合に重要な要素なんじゃないかと思う。
ただひたすらに自分の役柄を深く掘り下げて理解し完璧な演技をすることだけが目標であって、お客がそれを見るかどうかはどうでもいいという立場の人は少ない気がする。

楽しみ楽しませるための手段

多人数ゲームの本質を、仮に「参加者が面白く遊べること」と置こう*2
そう考えた時、ゲームというのは、「楽しみ、楽しませること」に主眼があると言っていいだろう。


たいていのボードゲームでは、PL同士や、PLとシステム(PLが協力して疫病と闘う「パンデミック」とか)との競争を主眼としており、その中に楽しみがある。
競争の中の楽しみは、即ち、「良い勝負をすること」である。
「良い勝負」を構成する要素として、ゲームバランスや、魅力的な葛藤などが提示されるわけだ。


将棋などでは、ルールに乗っ取り、駒を指すことがゲームの行動のメインとなる。もちろん実際に指す時、考える時の表情や動作、言葉の中にも駆け引きは宿るが、あまりそれをやるのは「盤外戦術」として嫌われるし、打つ手筋より、盤外戦術のほうが将棋のメインであるという人はあまりいないだろう。
将棋の真剣勝負における「楽しみ、楽しませること」は、「良い手を打つこと」の中に凝縮される*3


もうちょっとカジュアルなゲームになってくると、たわいない会話とか、パフォーマンスも、ゲームを面白くする重要な要素となってゆく。
勝ったー、負けたー、やーい負けてやんの、うわ、なにこれっ!といったやりとりをしながらゲームするから面白い。
カジュアルなボードゲームとかで、将棋の公式試合みたいに「よけいなことは言わないしゃべらないのがマナー」とかやったら、すごく、つまらなくなるだろう。
つまり、カジュアルゲームにおける「楽しみ、楽しませること」は、「良い手を打つこと」だけでなく、「会話やパフォーマンスで回りを楽しませ、自分も楽しむこと」も大きく含まれる。


王様ゲームや、ツイスターといったパーティゲームになると、これはもう「ルールとゲームバランス」とか「良い手筋」とかの話ではなく、参加者のノリやパフォーマンスのほうが面白さのメインだろう。
王様ゲームにおける「楽しみ、楽しませること」は、圧倒的に、パフォーマンスに拠っていると言っていい。

TRPGとパフォーマンス

整理する。
ゲームの目的は、楽しみ、楽しませることである。
楽しみ、楽しませる手段として、
1.ゲームルールの中で、「良い手」を指すこと。
2.嬉しがったり悔しがったり面白いことを言ったりするパフォーマンス
この2つがある。


将棋などのゲームは1が重要で、王様ゲームなどは2が重要である。


ではTRPGは、どうだろう?


TRPGにおいても、もちろん「良い勝負」をすること「良い手を打つこと」は、面白さの源泉の一つではある。敵と戦うゲームバランス、戦術の際に頭を使って悩むような魅力的な葛藤などは、TRPGの面白さの一つである。
一方で、パフォーマンスの楽しみもTRPGにおいては、非常に重要なものだ。

雑談率

将棋、カジュアルゲームパーティゲーム、TRPGを比較する基準の一つとして「雑談率」というのを考えて見た。
ゲームのプレイ時間に占める、ゲームの指し手に直接関係ない雑談/パフォーマンスをしている時間の割合だ。
将棋で真剣勝負をする場合、雑談率は、ほぼ0に近いだろう。実際に駒を動かす時間、真剣に思考している時間がほとんどを占める。
カジュアルゲームの場合、雑談率は、もっと高くなるだろう。駒を動かしたり真面目に考えたりする他にも、直接関係ない雑談をする時間は増えてゆく。
パーティゲームは、ほとんど雑談で出来ていると言ってもいいだろう。


TRPGの場合、カジュアルゲームパーティゲームの間くらいに雑談率は高いのではなかろうか。*4
(もちろん条件によって異なるが)PL発言にせよ、PC発言にせよ、厳密にシナリオ攻略とかを意識して行う発言は、全体の割合の中では、かなり少ないだろう。

TRPGにおけるプレイヤーの選択肢

なぜ雑談がTRPGの重要な部分になるか。
それはTRPGは、「楽しみ」「楽しませる」ための手段が、非常に幅広いからだ。それらは、ゲームシステムや、ゲーム設定と相互作用しながらも、緊密にではなく、非常にゆるい形で結びついている。
面白いTRPGは、そのようにデザインされている。
逆に、TRPGのデザインやプレイングを分析する時に、ボードゲーム的な「最善手」や「葛藤」の延長だけで考えるのは、間違いだ。


要するに、「面白いTRPGを作る」のなら、「将棋はなぜ面白いか」と同じかそれ以上に、「王様ゲームはなぜ(あるいはどういう時)面白いか」を分析する必要があるのだ。
で、この「王様ゲームは(パフォーマンスは)なぜ面白いか?」というのは、馬場氏や、それを受け継ぐリソース管理型のTRPG論者から、ことごとく欠け落ちている要素なのだ*5

ボードゲーム分析と制限志向

ボードゲーム型のTRPG論者の考えをトレースしてみよう。以下のような形になるはずだ。


1.ボードゲームにおいては、勝つことを目標とすることで、良手、悪手が決定される。その制限の中で、どの手を打つのが良いか、という葛藤に面白さがある。
2.一方TRPGはボードゲームに比べて、そうした制限が非常に緩い。何をやってもいいように思われる。
3.ボードゲームの場合、良手が絞り込めて、かつ、その中で迷うというのが望ましい。打つ手が絞れないボードゲームは、つまらない。
4.故に、TRPGが面白いためには、何をやってもいいように見えて、何らかの制限が働いているはずである。
5.その制限を分析することが、よりよいTRPGに結びつくはずである。


高橋氏が考えた制限は、たとえば、以下だ。

■会話型RPGにおける「プレイング」の四大目標

  • ギミック・マニュアルにおいて明示/暗示された課題・目標の解決に、少しでも近づくこと。(課題の解決)
  • 量的情報から考えられる最善の指し手を、プレーヤーたち全員で協力し、資源管理し、意思決定すること。(量的ロールプレイング)
  • 「課題の解決」や「量的ロールプレイング」と矛盾しない範囲で、キャンペーン・セッティングと矛盾しない「それらしい」行動基準を各々の担当PCに付与し、破綻のない行動をその都度考案すること。(質的ロールプレイング)
  • 以上三点の、しばしば矛盾しそうな課題を突破することによって、そのメカニズムデザイナー、ゲームマスター、プレーヤーたちが持ち寄った「ゲームの狙い」を、“ゲームデザイン”の観点から味わい、出来るだけ多くの楽しみを獲得・共有・拡張しようとすること。(共同ゲームデザイン

高橋氏は、ボードゲームにおける良手と葛藤を決める束縛条件を、1、2、3におきかえて、そうした束縛条件の中で、限定される選択肢を選ぶ魅力的な葛藤、および、そうした束縛条件と葛藤を、協力してゲームデザインする創造性にTRPGの面白さを求めている。

もちろん、それも面白さの一つ、ではある。


ただし、ここに欠け落ちてるのは、「自分と皆を楽しませる」というパフォーマンスの観点だ。


たとえば、カオスフレアを考える。
カオスフレアでフレアが撒かれるときは、上記4点は重要なポイントかというと、どうもそんなことはない。
別に、シナリオ課題の解決に貢献した時にフレアもらえるかというと、そうでもないだろう。
戦闘で、うまいコンボをやったというだけでもらえるとも限らない。
世界設定とシナリオ目的に矛盾しないキャラらしい行動を取った、というだけでもらえるかというと、別にそうでもない。


逆に、大幅にシナリオを脱線させたり目的から遠ざかるような行動をやっても、それ自体が大爆笑でフレアをもらえることはある。
戦闘でファンブルしまくったり、戦術が思いっきり裏目にでて「まさか! 私の予測が!」とかなった時こそ、フレアをもらいやすい。
キャラを思いっきりぶっ壊すような悪ノリにもフレアが飛ぶ。


結局、カオスフレアにおけるフレアは、主にパフォーマンスの面白さに対して飛ぶものなのだといっていいだろう。
そして、カオスフレアは、そういう面白いパフォーマンスを誘発するようにできている。

パフォーマンスと指し手の関係

おっと、何もTRPGで、シナリオ破壊や設定無視を推奨するわけではない。


基本的に、TRPGは、シナリオ目標を追求し、戦術を追求し、良い設定を紡ごうとすると……言い替えるなら、高橋氏の述べた四条件を満たそうとすると面白いようにデザインされている。
ただ、その大きな理由は、そうやってデザインすることで、会話が弾む=良いパフォーマンスが誘発されるから、だ。
良いパフォーマンスが誘発されるから=みんなで盛り上がれるから、良い指し手が望まれるのであって、逆ではない。


たとえば、
a:戦術的に正しい行動か?
b:世界設定とシナリオ目的と自分のキャラクターに調和した行動か?
c:回りのプレイヤーを楽しませるか? ドンビキさせる行動でないか?
という風に条件を整理した場合、cが最も重要かつ優先されるということは、現状、多くのTRPGに記載されているだろう。
逆に、「回りのプレイヤーを楽しませるため」や「不快感を与えないため」に、ルールや設定をねじまげることが、明確に許可されている場合も多い。


このようにパフォーマンスのほうが上位であるからこそ、ファンブルやらシナリオ脱線やらが面白かったりするわけだ。TRPGはそうした脱線を楽しむ要素が無数にある。
これが、例えばボードゲームであれば、勝つための戦術に沿った手である限りにおいて、「不愉快だからその手はダメ」と言われることは、あんまりないだろう。


ルールや、それに基づく戦術が一番重要なら脱線は許されない。
でもパフォーマンスとしては、ルールがあった上で、たまの脱線が面白い。だからこそルールは十分に尊重し、共通理解の基盤を作るわけだ。


パフォーマンスというのは、スベることもある。そうならないように、独りよがりの脱線はしてはいけない。
TRPGがルールを大切にしつつ、かつ、ある程度のブレを積極的に認めているのは、そうした理由であるとも言えるだろう。

*1:「ロールプレイは演技するという意味です」 http://d.hatena.ne.jp/xenoth/20071216/p1 

*2:もちろん、賭け麻雀やポーカーで、目的を「金を稼ぐこと」とする場合もあるだろう。この場合は、以下の話は成立しなくなる。

*3:ここでは例示のために将棋をストイックな真剣勝負の例に挙げてるが、将棋だって、しゃべくりながら気楽に差し合う楽しさも当然あるだろうし、むしろそちらのほうが重要かもしれない。

*4:もちろん、どんなゲームでも、雑談が多すぎてゲームから離れるとつまらなくなる。TRPGもそうである。ただ、将棋における雑談の許容率、パーティゲームにおける雑談の許容率、TRPGにおける雑談の許容率は、ずいぶん差があるのではないかということだ。

*5:自戒を込めていうが、ここには将棋のような頭を使うゲームが「高級」で、わいわい盛り上がるだけのゲームは「低級」で分析に値しない、という偏見が確実に存在する。