わかりにくい定義は主観の問題か?

大切な注:「分かり難い定義は、面白い」という鏡さんのニーズおよび、定義が明確ならラベルは二次的という高橋さんのニーズに答えてみました。
鏡さん以外の人は、下の段落の「鏡さんへのお返事(一般読者向け)」のみ、お読みください。

鏡さんのお返事(鏡さん向け)

*1

要するに、「分かり易い」のも「分かり難い」のも、読解者の知識や経験に基づく主観的判断に過ぎない、ということです。もちろん、そのように判断されること、そのものには何ら問題はありません。どちらかの知識や経験が足りないのではなく、論考の著者と読者とで共通する部分が少なかった、ということですから。

http://www.rpgjapan.com/kagami/2010/08/post-222.html
世の中のものの全ては、「最終的には」ポンポコピーの問題ではありますが、一方で、「それなりに」ポンポコナーな基準は常にあります。
ある記事を99%の人が「ポコポンピー」と言って、残りの一人が、「ポンポコパー」という場合、私はこれを、「ポンポコピーの問題」で片付けるのは馬鹿馬鹿しいと思います。
文章を、より多くの人にポンポコパーにするポンポコナーな技術というのは存在しますし、意識すべきです。


ポンポコパーな文章を書く、というのは、基本的に、知識と経験、技術の問題です。「内容が高度なのでどうしてもポコポンピー」という文章はありますが、単純に、推敲が足りて無くてポコポンピーな文章と一緒にしてはいけません。

このように考えますと、「分かり難い」ということは、自分にとって新しい発想、視点、考え方を発見した、ということになります。ある事象について著者は、何故ひとつの概念として定義しようとしたのか?何故そのような名称(独自用語)を当て嵌めたのか?他の名称ではいけなかった理由は何か?このように問いかける時、そこに私は、ミステリー小説にも似た面白さを見出します。「分からない」って、面白いことなのですよ、私にとっては。

そこを面白いと感じるのは自由です。それは鏡さんが発言者の心に興味がある場合ですね。
一方で、発言者の心ではなくて、発言者のポンポコナーな意見内容に興味がある場合は、名称の当てはめ方がポンポコピーでポコポンピーというのは、回り道になります。
一般に、論説文というのは、ポンポコナーを旨とし、発言、意見の内容自体に主眼がありますので、用語定義がポンポコピーでポコポンピーな論説文は、論説文として批判されるべきだと私は考えます。
もちろん、論説文を、意見内容ではなくて、作者への興味として読むのは自由です。

鏡さんへのお返事(一般読者向け)

要するに、「分かり易い」のも「分かり難い」のも、読解者の知識や経験に基づく主観的判断に過ぎない、ということです。もちろん、そのように判断されること、そのものには何ら問題はありません。どちらかの知識や経験が足りないのではなく、論考の著者と読者とで共通する部分が少なかった、ということですから。

http://www.rpgjapan.com/kagami/2010/08/post-222.html


世の中のものの全ては、「最終的には」主観の問題ではありますが、一方で、「それなりに」客観的な基準は常にあります。
ある記事を99%の人が「わかりにくいぞ、これ」と言って、残りの一人が、「わかりやすい」という場合、私はこれを、「主観の問題」で片付けるのは馬鹿馬鹿しいと思います。
文章を、より多くの人にわかりやすくする技術というのは存在しますし、意識すべきです。


わかりやすい文章を書く、というのは、基本的に、知識と経験、技術の問題です。「内容が高度なのでどうしてもわかりにくい」という文章はありますが、単純に、推敲が足りて無くてわかりにくい文章と一緒にしてはいけません。

このように考えますと、「分かり難い」ということは、自分にとって新しい発想、視点、考え方を発見した、ということになります。ある事象について著者は、何故ひとつの概念として定義しようとしたのか?何故そのような名称(独自用語)を当て嵌めたのか?他の名称ではいけなかった理由は何か?このように問いかける時、そこに私は、ミステリー小説にも似た面白さを見出します。「分からない」って、面白いことなのですよ、私にとっては。

そこを面白いと感じるのは自由です。それは鏡さんが発言者の心に興味がある場合ですね。
一方で、発言者の心ではなくて、発言者の意見内容に興味がある場合は、名称の当てはめ方がわかりにくいというのは、回り道になります。
一般に、論説文というのは、発言、意見の内容自体に主眼がありますので、用語定義がわかりにくい論説文は、論説文として批判されるべきだと私は考えます。
もちろん、論説文を、意見内容ではなくて、作者への興味として読むのは自由です。

*1:以下の文章では、、主観を「ポンポコピー」、客観を「ポンポコナー」、わかりやすいを「ポンポコパー」、わかりにくいを「ポコポンピー」と呼ぶこととします。なんで、このようなわかりにくくて判別しにくい独自用語をxenothが選んだのかをゆっくりお楽しみの上、解釈ください