TRPGと物語

前に書いた論考「TRPGと複雑な物語」シリーズの続きである。

・TRPGと物語性、あるいは、なぜTRPGはジャンプ化するか
http://d.hatena.ne.jp/xenoth/20071217/p1
・TRPGと複雑な物語性
http://d.hatena.ne.jp/xenoth/20071218/p2
・TRPGと複雑な物語性 続き
http://d.hatena.ne.jp/xenoth/20071223/p1

おさらい

現状、TRPGのストーリーは、「色々あってボス敵と戦ってハッピーエンド」といったものが主流である。


それぞれのプレイヤーがPC一人を受け持ち、パーティで協力して行動するというタイプのゲームの場合、ゲームとして成立するためには、そうした王道なストーリーが望まれるからだ。


逆の話、ゲーム的に一生懸命頑張ったんだけど、シナリオ的には意味が無い、というタイプのストーリーは、小説や映画としては面白くても「ゲームとしては」あまり良くないだろう。


例:「疫病の村を助けるために、神秘の薬草が生える洞窟でドラゴンと必死で戦って薬草を持ち帰る。だが、時遅く、村は疫病で全滅していた」


上記のシナリオが問題なのは、まず「回避しようがない」バッドエンドである、ということ*1
プレイヤーが、洞窟攻略ゲームを真面目にプレイしたにもかかわらず、その行為に意味がないというが反映されない、という部分がよくないのだ。
その意味では、強制バッドエンドがよくないのと同じく、強制ハッピーエンドもあまりよくない。


例:「疫病の村に帰ってみたら、留守の間に別の旅の魔術師が来て、村人全員を治療していた」*2


TRPGがゲームである以上、ゲーム性が反映されることが望ましい。


次に、過程にゲーム性があって結果に反映されるとしても、得られる結果にモチベーションを感じないゲームは遊ぶ気がしないだろう。


例1:ダンジョンから出ないと全滅するが、ダンジョンから出ると世界が滅びる。

ストーリー視点とゲーム性

以上を整理すると、TRPGを成り立たせるには、以下の2点が必要ということになる。


1.ゲーム性が必要。プレイヤーの行動がストーリーに影響を与える。
2.モチベーションが必要。ストーリーに与える影響は、プレイヤーにとって望ましいものであるべき。


通常のTRPGの場合、プレイヤーの視点はPCの視点にほぼ近いので、モチベーション=PCのハッピーエンドであり、シナリオは、それをゲーム的に達成すること、となる。
この時、王道的なハッピーエンドストーリーが生まれる。
悲劇的な話や、PCの行動が無意味である話というのは、やりにくい。


逆に言うと、PCの視点とPLの視点が離れれば、それ以外のパターンの話への道が拓ける。

監督視線

小説や映画のストーリーで、悲劇的なエンドだったり主人公の必死の努力が結果的に無意味だったりするが、「お話として美しい」と感じられるものがある。


この「お話としての美しさ」を共有できれば、それをモチベーションとし、プレイヤーがゲーム的にそこを目指すセッションが、面白い形で成立しうる。


いうなれば、プレイヤーが部分的に、監督あるいはGM的な視線を持つことだ。

ストーリー例:善意のすれ違い

たとえば、「善意のすれ違い」というのを、テーマにしてみよう。
登場人物が、それぞれ完全に善意であるにもかかわらず、ささいな行き違いから、敵対してしまうという悲劇だ。


俺が思うセッション風景は、こんな感じ。
まずGMが、エンディングシーンを描写する。


PC1とPC2の決闘。激闘のすえ倒れる一人
GM、ダイスを振る。
GM:「倒れたのはPC1ですね」
PC1:ぐはっ。

PC1の末期の言葉。

GM:なんていいますか?
PC1:え、今、決めるの? それじゃぁ「マリア……おれはいつもあなたのために……」
PC2:マリアって誰?
PC1:さぁ?

それを聞いたPC2は、全てを理解したかのように茫然とたたずむ。

GM:一言どうぞ。
PC2:善意のすれ違いなんですよね?「マリア……今、マリアと言ったか。そんな馬鹿な。じゃぁ俺は……なんのために……」


GM:ではここからセッションです。皆さんは「善意のすれ違い」を繰り返して、ここに至ってください。
PC1:ていうかマリアって誰よ?
PC2:うまく決めないとな……。


※以下、GMがだいたいの背景設定を説明しつつ、プレイヤーも積極的に設定作成に関わって協議する。


たとえば、こんな風にすれば、「善意のすれ違い」テーマをTRPGで面白く行いうるだろう。既にやってるという人もいるだろう。

「お話の美しさ」

適当に語ってみたが、上記はまだ妄想のレベルであり、「お話の美しさ」の追求を、具体的なシステムとしてどうするのかは、様々に工夫が必要だろう。*3


それはそれとして、上記のゲームを見て、特定のシステムを思い浮かべる人はいるだろう。
「レレレ(イット・ケイム・フロム・ザ・レイト・レイト・レイトショウ)っぽい」あるいは「レレレで似たようなのをやったことがある」とか。「深淵っぽい」とか「ビーローズ(ビヨンド・ローズ・トゥ・ロード)っぽい」とか、色々意見はありうるだろう。
多分、そうしたシステムには、セッティングやルールに、「お話の美しさ」を追求するのに向いた何かがあるのだろう。


そうした「何か」をちょっと考えて見る。


お話の美しさというのは、無論、様々な美しさ、考え方があるが、たとえば、伏線が綺麗に回収される話が、「お話が美しい」とよく言われる。他にも、部分と全体、最初と最後、複数層の展開等が、きちんと照応すること。一定のモチーフを持っていること、などが、あげられる。


こうしたものは、要は「お話の構造、形の美しさ」である。


たとえばレレレでは、映画撮影がテーマのTRPGであるため、「映画撮影側の現場の事情」と「俳優役としての映画内の行動」という二層構造を持ち、それらが関連する。


たとえば、深淵では「夢歩き」が存在し、夢歩きの暗示をゲーム中のプレイに反映されることが、いいプレイの一つとされている。この時、「夢歩き」は、先の展開を暗示する「伏線とその解決」となる。*4


たとえば、ビーローズでは、「マジックイメージ」が存在し、それがシナリオ全体のモチーフになったりする。


こうしたギミックから学ぶことで、「お話の美しさ」を、より共有化できるかもしれない。


上記は、xenothが、ぱっと思いつく程度のシステムである。他にも沢山あると思うので、教えてほしい。

ハンドアウトとシナリオクラフト

深淵や、レレレ、ビーローズにおいて、「お話の美しさ」は、重要な部分であるが、システムに直接書かれてはいない。


たとえば、「お話の美しさ」がカードに書かれ、「お話の美しさポイント」を集めるようなゲームシステムにはなっていない。
代わりに、セッションを進める中で、通底音やイメージとして、印象に残るような形になっている。


個人的に、TRPGをしつつ物語を楽しむには、そのあたりが良いバランスと思う。明確に勝利条件に組み込んで、ポイント化、システム化した時点で、「お話の美しさ」は、儚く消えるのかもしれない。


ま、その上で、やってみたら面白いかもしれないし、作って見る価値もあるだろう。PLが、より強くGM視点を持って、物語の作成に強く関わるようなシステムには、様々な可能性があるように思える。


具体的なシステム案をぱっと思いつくわけではないんだが、最近だと、ハンドアウトとシナリオクラフトあたりが良い線ではないかと思う。


シナリオクラフトは、表に沿ってランダムで振ってくるイベントをクリアしながらエンディングへ辿り着くゲームである。


イベント自体には抽象的なことが書いてあり、具体的な解釈はPLに魔化される。また、ダイスなので、(普通にかんがえれば)矛盾するイベントが出ることもある。
GMとPLが一緒になって、イベントの意味を考えて遊ぶところが面白い。


(極端な言い方をすると)シナリオクラフトは、「ランダムなイベント」という「障害」に対して、「解釈」によって意味を与え、一つのストーリーに収束させる「ゲーム」である、と捉えることもできる。


これを一工夫すれば、先に書いたような「善意のすれ違い」シナリオを遊ぶ事もできる気がする。キャラクターの設定の外枠を決める、ハンドアウトと併用すれば、よりなんかできそうな気がする。

*1:時間制限が明示されたゲームで、時間以内に帰り着けなかったので失敗として上記のようなエンドになった、という場合は対象外である

*2:こちらも例えば、PCの所持する「小さな奇跡を起こす力」とかで、その結果を作ったという場合はまた話が別になる。

*3:ここで使っているギミックは「時系列のシャッフル」である。エンディングを最初に持ってくることで、エンディングまでの接続や、そこへの伏線を意識させることができる。物語の基本的なテクニックであり、TRPGでも応用できるだろう。

*4:もちろん、夢と現実という二つの層の照応でもある。伏線も照応もモチーフも、ある意味、「物語構造の対称性」の言い替えであり、同じものとも言える