オルタナティブなTRPG?

「より新しい層へ」という提言

趣味ジャンルにおいて、多くの場合、「内に閉じている」という批判があり、「より一般的な/新しい層へ向けた作品作り」が提言されることがある。


そうした提言自体は意味がある上で、単に言いっぱなしだったり、現状への不服だったりする場合がある。両者の差について見てみよう。

「新しい層」って誰?

もちろん新しい層が開拓できれば、それ自体は常に望ましい。
ただし「言うだけならタダ」という話でもあり、それなりの具体性がなければ意味は無い。


よくあるパターンは、「新しい層」といいつつ、その層が全く見えていない場合である。見えていないものにアプローチはできない。


よりダメな場合は、意識的、無意識的な、自分の不満を「現在の風潮」にぶつけている場合である。
ジャンルが一般化、大衆化する時に、大衆性を見下すことにプライドを感じるマニアが、現状批判として「内に閉じている」というのを持ち出す場合が多い。
このタイプの「内に閉じている」批判は、百害あって一利なし、だろう。

「より新しい層」のために

プレイヤーであれば、自分や自分の知り合いが遊びたいゲームについて主張するのがいいだろう。「こういうゲームを遊びたいな」という提言は、重要である。


作り手なら、「ゲームを広めたい層」についてよく知ることだ。
たとえば、「小学生に遊んで貰いたいTRPG」を作るなら、小学生と一緒に遊ぶところがスタートだろう。
「小学生の知り合いいないし、遊ぶこともないけど、なんとなく小学生向け」みたいなものが成功する確率は極めて低い。

ゲームをやりたいと思うこと

TRPGに限らないと思うが、「○○はかくあるべき」とか「○○はここがダメだ!」という不満は、それ自体では大成しにくい。
「ではどうあるべきか」というビジョンに欠けやすいからだ。


不満から来るモチベーションも、それなりに意味があるとは思うが、それ以上に大切なのは、「俺はこういうのがやりたい」「こういうのを見てみたい」というビジョンだろう。


「こんなTRPGを遊びたいな」とか「こんな人がTRPG遊んでるところを見てみたいな」と思うのが、まずは第一歩なのではないだろうか。