クライマックスフェイズの発生とシーン制

紙魚砂さんに

いや、コメント三連投もしなくちゃならないくらいの分量があるなら
自サイトで書くべきかと思うんですが。

とか言われちゃったんで、書き直しますね。

紙魚砂さんの分析

1.TRPGのプレイングについて、ロールプレイや普通の判定などの日常的な、静的なシーンがあり、一方で、戦闘や、ラウンド単位の判定等の、動的なシーンがある。
2.たいていのTRPGで、その二つは扱うルール自体が大きく異なっており、であるならば「静的なシーン」「動的なシーン」として分けて管理することが出てくるだろう。
2’.TORGの、スタンダードシーン、ドラマチックシーンのシステムは、そのようになっている。
3.ヒーローポイント、ブレイクスルーなどがTRPGに実装されるにつれ、そうしたリソースをいつまで温存するか、いつ使用するかのタイミングがわかりにくい。それをわかりやすくするために『クライマックスフェイズ』というものが作られた。


1→2→3は、おおむね賛同しますが、とりあえず、2’は、おかしいですね。

実際のRPG

さて、ここにTORGのルールブックがあります。ここで、スタンダードシーン、ドラマチックシーンの文章を引用します。

 スタンダードは、通常の時に使います。ヒーローたちが雑魚の兵士を捕まえて、制服を盗もうとするシーンなどです。
 ドラマチックは、クライマックスです。デス・スターが爆発するとか、敵のボスとの対決とか、盛り上がるシーンに使います。
 その戦闘シーンがスタンダードかドラマチックかは、ゲームマスターが決めます。1幕に1回の割合で、ドラマチック戦闘を起こすと良いでしょう。それ以上なら多すぎます。
 スタンダードの遭遇ラインはヒーロー側に有利に、ドラマチックの遭遇ラインは、悪者側に有利にできています。これは、並の戦闘シーンは手早く片付けて、クライマックスはゆっくり行おうという意味です。

日本語版ルールブック p69

上記を整理するとこうなります。
・スタンダードは通常、ドラマチックはお話のクライマックス
・スタンダードは雑魚戦を手早く、ドラマチックはボス戦をじっくり
・ドラマチック戦闘は1幕1回


というわけで、TORGのスタンダード/ドラマチックの分類は、紙魚砂さんの言う、静的/動的の分類とは違うものです。スタンダードシーンでも戦闘やアクションは起きます。


また、TORGの場合、ヒーローポイントであるポシビリティは、1幕終わるごとに回復します。よって、ドラマチック戦闘が1幕に1回というのは、そこでポシビリティを遠慮無く注ぎ込める、という意味でもあります。
つまり、さっきの3番の「ここがクライマックスなので、リソースを全部消費していいよ」ということを示す思想が、既に、ここで見られるわけです。


1→2というのを言いたくて、うろ覚えで、TORGを持ち出したのが最初の問題です。
スタンダード・ドラマチックを、非戦闘/戦闘と勘違いしてて、その間違いを指摘した時に、素直に「あ、TORGは違ってましたね」って言えばいいのに、そこで静的・動的とか言い替えて、さらにドツボにはまってる……。
無理にTORGを絡めなきゃ、話は間違ってないのに。

クライマックスの発生

ここに、「クライマックス」というシステム的要請とは違う次元の、分割が発生したというのは……戦闘/非戦闘という区分け以外に、「ブレイクスルー」と呼ばれる(これもまたいろいろ定義の怪しい用語ですが)、セッション中1回とか2回とか使用回数の限定された必殺技/ヒーローポイントがシステムとして定常化されてTRPGの物理構造が変わったため、発生したと考えられます。

なお、紙魚砂さんはこういってますが、戦闘をそれなりに含むTRPGで、リミテッドリソースのないゲームってのは、個人的には見たことがありません。


セッション中、1回とか2回とか使用回数の限定された必殺技の典型は、つまり、呪文や、マジックアイテムです。初期D&Dソードワールドも、「ねぇ、この呪文、この戦闘で使っちゃっていいの?」というジレンマは大変に、ありました。限定リソース=必殺技があったほうが、ゲームは面白く、初期D&Dの時点で、それは既に発見されてたわけです。ですから、それに続くTRPGでも、たいていは存在することになります。


さて、リソース管理に悩むのもゲームの内ですが、幾つか問題があります。
たとえば、20階層のダンジョンを順々にクリアするゲームで、「そろそろ呪文使い切ったから戻ろう」という判断をいつでも下せるなら、それはリソース管理のゲームとして成立します。
どこでリソースを使うか、どこで引き返すかを選択できるので、それがゲームになる。
#リソース管理のジレンマがゲームになってる例としては、コンピュータRPGになりますが、ウィザードリィとか、ローグライクトルネコシレン)とかを思い浮かべてください。


一方で、普通に、ラスボスを追い詰めるようなシナリオの場合、「呪文尽きたからまた今度にするか」とは、出来ない場合がある。そういうシナリオで、いつラスボスが出てくるかが予測が突かない場合、これはゲームになりません。参考にできる情報がないので、推論する余地がないからです。全くの勘や超能力になる。これじゃぁリソース管理が面白くない。


ですので、たいていのゲームでは、PLに、リソース投入のタイミングを伝えるシステムがあります*1


つまり、限定リソースは昔からあり、故に、限定リソースの投入タイミングを指示する必要性やシステムも、昔からあったというわけです。


では、昔のゲームは、どのように、タイミングを指示していたかというと、D&Dソードワールドの場合、一日ごとに魔法が回復するので、一日の終わりが、ある程度の目安になっていました。これが終わったらキャンプで睡眠だから、余ってる呪文は全部使ってOK的なプレイングです。この頃は、リソースの回復がゲーム内の実時間と結びついていました。


#その上で、「一日の終わり」がいつ来るかはGMに任されてるので、下手なGMがだらだらと続く戦闘ばっかで、困っちゃうセッションには何度も遭遇しました。
#もちろん、ミドルフェイズがいつ終わるのかわからんGMもいるでしょうから、そのへんは、単純なルールだけでは解決できない問題ですね。


ゲームの時間管理にシーンの概念が導入されはじめると、TORGのドラマチックシーンのように、幕を目安にリソース投入、とかなるわけです。もちろん、クライマックスフェイズも、その延長線上にあります。
逆の話、「ゲーム内で一日経つとリソース回復」という目安がなくなったので、「ストーリーがここまで来たらリソース回復」というのを明示する必要が出た、とも言えるでしょう。

シーン制の意義

元々の紙魚砂さんの発言は、これ。

 「シナリオを」シーン単位で記述することを定式化したことについては、まあ、昔から「シーン管理」でセッションしてた人にとっては、「明確化しただけ」でしかありませんでしたが、ゲームブックの(ほぼ)絶滅と対応して、TRPGセッションがシーンで分割されることを常識的にイメージできない人向けに、かつてのノウハウを明示化して残すようにした、という意義はあるかと思います。

さて、シーン制というのは、様々なゲームで別々に生まれ育ち(例:TORGN◎VA1st)、今も、進化し続けていますが、ここでは、N◎VAレヴォ以降の、FEAR系ゲームに主に実装されているシーン制を前提に話します。


さて、それこそD&Dをやっている頃から、「回想シーン」とかや「過去のシーン」とかを、セッションに入れることは、誰かが思いつき、それぞれにやっていたでしょう。
紙魚砂さんの言う「シーン管理のセッション」なり深淵の「夢歩き」なりは、そうしたものです。


一方で、シーン制ゲームは、何が違うか?
それは、紙魚砂さんも書いているとおり、「セッションの全部が」「シーン単位」で構成されている、という理念です。


TRPGにおいては、ゲームは、「パーティのいるところ」が、リアルタイムで描写される、という暗黙の了解がありました。たまに、時間が飛ぶのは「例外」という扱いだったわけです。


一方で、N◎VAシリーズでは、1stの頃から、映画を意識した時間・場面管理を念頭に置いていました。


映画においては、カメラも、時系列も、時間の流れも、カットごとに変化し、定義されます。カットのつながりも、様々に省略され、シャッフルされます。


場所・時系列・速度の不連続なシーンを、例外ではなくて、それ自体がシーンである、と、定義したのが、トーキョーN◎VAのシーン制であり、レヴォにおいて一旦の完成を見た、というわけです。

不連続の日常化

たとえば、D&Dをやっていて、「夜は寝るよ」「(コロコロ)じゃぁ朝になった」、とか、「次の都市まで歩きます」「2日後についた」というような、時間の不連続はありました。
ただし、そうした場合でも、時間は省略されただけで、「夜寝ていた」「街道を歩いていた」という連続性は維持されている。イメージ的には、カメラはずっと回っていて、面倒なので、早回ししたイメージです。


シーン制の場合、これは、「夕方のシーン」「翌朝のシーン」、「出発のシーン」「到着のシーン」となります。こちらの場合、間は全く存在せず、カメラアングルもライティングも、ぱっと切り替わるイメージです。


イメージはさておき、実際にどう違ってくるかといえば、シーン制では、連続性を無視して、新しいシーンを作ることができます。


たとえば、D&Dで、都市を移動する際は、細かいプレイはしないまでも、どのルートで、どのような移動手段で移動したかは、一応、検討し、その時間は計算されます。


都市1(船で2日間)都市2(馬車で3日間)都市3


となっていて、パーティ1が都市1、パーティ2が都市3にいたら、パーティ1が先について1日潰すことになるわけです*2


一方で、トーキョーN◎VAだったら、(もちろん計算してもいいんですが)、移動の過程は全部無視できます。
パーティ1とパーティ2は、それぞれ全力で現場にかけつけて、距離が違うのに、なぜか同時に合流したりするわけです(笑)。
映画とかで、ありがちな「嘘」ですが、細かい連続性にこだわるよりは、そういう嘘ついてでもドラマを大事にしたほうが面白い場合がある、という理念なわけです。
3日と2日どころか、片方がブラジルにいたはずなのに、5分後に池袋にいてもいい。


その不連続性を、うまく支えるのが、登場判定/舞台裏という二つの概念です。
どちらも、シーンとシーンの間は、基本的に不連続である、ということの明確化、ルール化になっています。
このへん、感覚的にそういう風に処理していた人もいると思いますが、理念として明確化することで、よりやりやすく、整理された、とは言えるでしょう。


こういう概念は(N◎VAレヴォ発売後も含めて)徐々にできあがっていったもので、「昔から「シーン管理」でセッションしてた人にとっては、「明確化しただけ」」とは私には思えません。

シーン制とプレイヤー主導

さて、シーン制が、なぜN◎VAシリーズで発展したかといえば、N◎VAは、PvPやパーティ分割的な要素を大きく意識したゲームだからです。


それこそ映画のように、PC達は別行動し、別プロットで動きつつ、絡み合い、時には敵対する、というわけです。


つまり、PLが好き勝手にキャラを動かすのを、うまくフォローするのがシーン制です。

「シーン制」では、PLはシーンを自発的に提示すると、いちいち


「そのシーンをやりたいと思ったのは、
 これこれこういうことをやりたいからで、
 最終的にこういう落ちにしたい……」


というようなことを一通り考えて進言するらしいですが(超めんどくさい(笑))、この「即興シーン管理」では、PLが


「***したい」


と言うだけで、自分用にコーディネートされたシーンが創出されるわけです。

……私の知ってるシーン制では、PLは、「○○したい」と、まず言います。普通は、それでGMが「OK」ってなって、シーンが創出されます。
もしそこでGMが、「え? それどういうこと? 何やりたいの?」という疑問を得た時に、「あぁ、こういうことがやりたいんだよ」という説明をします。
それでも意味不明なら、「えーと、つまり、こうなってこうなって、こういうオチにしたいんだよ」とまで説明することもあるでしょうが……あんまり、そういうのは見たことがありません。


どこで読んだのかわかりませんが、これまでに書いたとおり、シーン制の支援目的は、紙魚砂さんの言う「即興シーン管理」を行うことにあります。


その上で、同じシーン制でも、N◎VAダブルクロスでは目指すところが違います。
N◎VAは(もちろんシナリオによっても異なりますが)、プレイヤーの別行動が大きく認められるゲームです。PC同士が一度も直接顔を合わせないまま、ゲームが終わる、なんてかっこいいシーンが、「N◎VAっぽい」と言われることもあるゲームです。
一方のダブルクロスは、ある程度の別行動はありますが、終盤の戦闘では、全員集合でラスボスと戦闘、というゲームなので、N◎VAほどの自由を目指してはいません。
そのへんで、シーン制の運用の方法、ルール記述にも差は出るでしょうが、「シーン制」の場合は真逆で、基本は・GMがシーンを提示してそれにPLが合わせる」ということはないので、お間違えなく。

*1:逆の話、いかにもなラスボスをパーティが全力で倒したあとに、もう一人ボス出して、マジ戦闘させるGMがいたら、そいつは空気が読めないGMと考えて間違いない。もちろん、そういうのが好まれる卓もあるでしょうし、好まれる限りにおいてはアリです。

*2:極端な話ね。もちろんD&Dだって、ある程度適当に処理してもいい。それはシーン制的な処理とも言えるでしょう