さぼる人の言葉

批評とは帰納

こちらにまとめられていた芝村氏の発言。
http://togetter.com/li/3239

批評において、もっとも重要なのは帰納だ。 帰納とは、特殊な事実や命題の集まりから、共通するところを取り出し、一般的な命題や法則を導き出すことだね。 批評という仕事は、帰納そのものと言っても良い。 論理構造的にどうしてもそうなる。


その帰納した内容が適切なら、科学の基本として、再現性がある。当たり前だわな。再現性がないならそれは帰納とは言わない。 構造的に帰納なのが批評なのだから、再現性のない帰納である批評は、実は単なる空論でしかない。

例えば、ゲームなら、多くのゲームを調べて(プレイして)、その中から共通するところを取りだして、まとめてゆく作業が、批評である(あるいは批評の重要な部分である)というわけだ。
そして、その批評が正しいかどうかは、再現性があるかどうかで調べられる。


これは大変に納得のゆく話である。


具体例で考えよう。たとえば日本のTRPGの表紙について考える。というか調べる。手元にあるルールブックを並べて、そこから以下の二つの傾向を抽出する。


A.集合図系 四人以上のキャラクターが、だいたい同じくらいの面積で出ているイラスト
B.単独系 二人以下のキャラクターが、中心に大きく出ているイラスト
そして、A、B、それぞれのシステムの共通点を探ってみるとする。


手元にあるルールブックで分類すると、だいたい以下のような感じになった。


A:アルシャード、S=F、カオスフレア、メタルヘッド・マキシマム、アニムンサクシス、ナイトウィザード
B:N◎VAビーストバインド、テラガン、上海退魔行
C(3人程度や、A、B、どっちとも分けにくいもの):ローズ・トゥ・ローズ、ブルーローズ、ブレカナ3rd


さて、これらの結果から、A、Bに共通する要素を見つけ出す。
ぱっと見だが、Aはキャラクターの成長幅が大きいゲーム(初期キャラは弱く、成長するに従って大きく強くなるゲーム)が多く、Bはその逆(初期キャラから結構強く、成長の影響が比較的少ないゲーム)が多い、と、言えなくもない。


理由として考えられることだが、集合図を表紙とするゲームでは、パーティを組んでボスと戦う系列のゲームなので、目的がボスと戦うこととなるため、報酬は、より強いボスと戦えることとなる。そのため、成長に伴って明確に強さが増してゆく。
一方、単独系表紙のゲームは、パーティがゆるやかで、パーティ全体で一個の目的を達成するというわけではなく、それぞれがある程度協力しつつ、それぞれの目的を追うという形のゲームとなる。結果、単純に強くなることが成長の報酬とはなりにくい。


最後に、これが再現性があるかどうか検証する。これも本棚から、ぱっと掴んだ、ダブルクロス3rd。
これは表紙は主人公一人のB系であるが、ゲームの内容は、キャラクターの成長幅が大きいゲームになっており、再現されていない。
……この説は、まだまだいい加減で、もっときちんと分析したほうがよさそうだ(笑)


上記は、帰納的な批評についての一例である。
たった14のシステムから、しかもxenothの机の上という偏りのある集め方をしたものから導いたものなので、大変にいいかげんであり、理論としては弱いものではあるが、一応、帰納の条件は満たしている。


a.複数のデータ(この場合はTRPGの表紙)から、一般論を構築している。
b.データを公開している(調べたシステムを書いている)。
c.基準が公開されているので、再現性について誰でも追試・検討ができる(表紙の判断基準が書いてあるので、ダブクロ3rdは違うじゃんとか、ソードワールド2.0はどうよとか、おいおいSNEのゲーム一個も入ってないぞ偏りすぎじゃね?、とか、誰でも検証・追試ができる)。

ダメな批評

逆な話、ダメな批評、ひとりよがりな批評とは何かと言えば
帰納する姿勢がない
・再現性を検証する姿勢がない
の2点に尽きると言えよう。


上記のxenothの批評は、データが少ないので帰納が弱く、再現性についてちゃんとした検証もされてないが、少なくとも帰納と再現性が大切であることは理解している。だから、帰納、再現性の基準に照らして、出来が悪いことが一目瞭然なわけだ(笑)


タチの悪い批評は、それ自体の出来の悪さを隠すため、帰納や再現性を、わざと軽視する。あるいは、そういうのが批評だと思い込んでいる場合がある。


a.帰納も再現性の検討もできないようなことをグダグダ言う
b.個々の作品の検討をしてないのに、「個々の作品ではなくて、全体について語っている」と言い出す。例:「TRPG全体についての理論なんだ」
c.bがエスカレートして、「それ自体ではなく、それの及ぼす影響について語っている」と言い出す。例:「TRPGのシステム論ではなくて、そもそも社会においてTRPGがどのように受容されているかについての理論なんだ」


TRPG全体について語るのも、TRPGの影響について語るのも大切だが、そこに帰納と検証の視点がなければ、空理空論となる。
そういう論には、ご注意を。

一般には、批評家の勉強不足や取材力不足が、悲しいぐらいに露呈することになる。 あぐらをかいて公式発表をのせてただけのマスコミが失墜するのと同じ論理構造で。それより個人レベルなのでもっと早い速度でね。
http://twitter.com/siva_yuri/status/7738144665