ゲームとリテラシー

たとえばこんな時

複数対戦型のボードゲームをプレイしていて、こんな時ってないでしょうか。
終盤近く。自分は、どうやっても3位どまり。逆転は、ほぼ不可能。だけど、プレイ次第で、現在の1位と2位が、どっちが勝つかは選ぶことができる。
こういう時に、どういうプレイの仕方が「正しい」か?
あくまで中立に、1位、2位の争いに影響しないように遠慮してプレイするのが正しいか?
あるいは、これまでのプレイから、どちらかを贔屓するのが正しいか?(Aさんには、さっき助けてもらったからなー)


あるいは、麻雀。オーラス。順位はビリ。トップ二人は、何やら大物手を狙っている模様。
自分の配牌は悪いので、他の人にツモ上がられて赤字を増やすよりは、順位変わらないけど1000点の安手を確実にあがろうという戦略。
こうしたプレイは、果たしてアリか、それとも「不粋」か?

リテラシー

あるゲームをプレイするために必要な知識を、リテラシーと呼びましょう。
リテラシーは、本来、読み書きの能力を意味する言葉です。特定の分野に関して把握できる能力・知識について言う場合もあります。
麻雀のリテラシーは、麻雀をプレイするために必要十分な知識ということです。

暗黙のリテラシー

さて、麻雀をプレイするのに必要なリテラシーは、ルールブックだけで十分でしょうか?
最初の例で書いたとおり、必ずしもそうではありません。
(強制するかどうかはともかく)打ち方にも好かれる打ち方、嫌われる打ち方が、ある程度存在する。そうした「卓のマナー」的な部分で、ルールには記述されていないリテラシーがあるでしょう。これらは、例えば、「暗黙のリテラシー」と呼べるでしょう。


戦術に関しては、人からどうこう言われて気にする必要はない、とする立場もあるでしょう。
もう少しつきつめて考えて見ると、こういうことです。


麻雀をプレイする時、「点数が高い人が勝利」というのは、基本的な了解事項としてあります。ですが、この「点数が高い」ということには、実は解釈の幅があります。
たとえば、リスクを背負ってでも、常にトップを狙う、という態度。
マイナスを減らして、アベレージで浮くことを狙う態度。


この二つは明確に勝利条件が違い、また、それによって戦術も変化しますが、ルールブックで「どちらが望ましい」「どちらを選ぶべき」というのは特に記述されていません。
プレイする時には、「今日はあいつにだけは負けない!」といったように特定個人を意識して遊ぶこともありますし、あるいは「あいつは強いから、まず出鼻をくじこう」といった心理戦もある。


そう考えて見ると、麻雀の勝利条件には、結構、解釈の幅があることになります。
解釈を無理に統一する必要はないですが、「幅があること」および「様々な解釈」自体を知ることは、より楽しく麻雀を遊ぶことにつながるでしょう。

経験・能力のリテラシー

囲碁や将棋の場合、例えば、本当にルールを覚えたばかりの人が、上級者と遊ぶ場合、一応遊ぶことはできますが、良い試合にはならない。
ルールを覚えるだけではダメで、そこから導き出される、各種定石や基本戦術。そういうものがリテラシーとして存在するからです*1
これらは経験・能力のリテラシーと言えるでしょう。


このように考えてゆくと、ルールでやれること、やっていいこと、勝ち負けまでは定義できますが、実際にゲームを「楽しく遊ぶ」ためには、たいてい、それ以上のリテラシーが必要になるということです。

TRPGのリテラシー

TRPGというのは、各種ゲームに比べて、ルールで定義している部分に対して、暗黙の解釈でプレイされる部分が大きいゲームである、とは言えるでしょう。


このことをもって、TRPGの特殊性、プレイの難しさについて語られる場合があり、もちろん、それは一面で正しいのですが、一方で、上記で書いたように、基本的には、たいていのゲームや遊びにはルールブックを越えたリテラシーが存在し、必要とされています。


それらを分析することで、より遊びやすいTRPGを作る参考とすることができるのではないでしょうか。

ゴールデンルールとリテラシー

TRPGで必要とされるリテラシーのうち、他のゲームにない特殊なものは、実は、ゴールデンルールに書いてあることに集約されてると思います。


1.ルールはちゃんと読んで従おうね。
2.でもTRPGなのでルールの適応にはそれなりに幅があるよ。だから、最終的にはGMが解釈、決定するよ。
3.GMもPLも、それぞれやりたいことが違うだろうけど、すりあわせて、みんなで楽しいセッションにすることを目指そうね。


理念的には、この3つがあれば、たいがい十分だよなーと。
もちろん、これを、理念から血肉にするために、様々なシステム、シナリオ、ライティング上の工夫があるわけです。

*1:極端な話、もし世界から、あらゆる将棋の知識が無くなって、将棋盤とルールブックだけ残った場合、そこから、面白く将棋をプレイできるようになるには、結構な試行錯誤を必要とするでしょう。