シーン制と時空跳躍

要約

シーン制ではシーンごとに時間、空間を飛び越えて設定することもできるため、使い方によってはプレイヤーが混乱しうる。
それは、シーン制ルール/テクニックが、元々作られた理由/原因を考えることで解決できる問題である。


シーン制は、映画的なストーリーを再現するために作られたテクニックである。映画においてシーン、カットの切り替えは、通常、ストーリーをわかりやすく再編し、ダレるところを省略する機能がある。
TRPGでも、そのような理解と認識の元に運用すれば、混乱は起きないだろう。

タクシーの小銭と映画のウソ

ハリウッド映画の脚本マニュアルみたいな本が、最近、何冊か出てますが、そこに載ってたエピソードで、こんなのがありました。


・映画でタクシーから出る時、キャラクターは常にぴったりの小銭を持っている。


言われてみりゃ、確かにそうですね。
現実には、タクシーから出る時は、札出して、運転手さんが受け取って、釣り銭数えて、返す、という手順があるわけですが、普通、映画では、滅多にそういうシーンはありません。同様に、「映画だと手をあげるとすぐタクシーが来る」ってのもあります。


これらは「映画のウソ」ですね。


ストーリーを語る基本的なテクニックとして、メリハリをつける、というものがあります。
どうでもいい情報は、軽く流し、重要な情報はじっくり描写することで印象づける。


タクシーに乗った主人公が降りるときにタクシー代を払うというのは、展開上必要だけど、それ自体はどうでもいいシーンなので、このようにウソをついてもいいから短く切り詰めることで軽く流すわけです。

映画の時間

映画は、基本、リアルタイムで時間が流れます。映画の中で1秒間の時間で、1秒分の出来事が描写されます。映画で10分の出来事を描写するには10分まるまる、かかる*1


じゃぁ3日間のストーリーは72時間かかるかというと、さすがに、そんな映画は見てられないわけで、そこにメリハリをつける方法として、カット、シーンによる分割があるわけです。余計なところを省略して、次のシーンに接続する。


映画におけるシーン変換の手法の意味や方法論は、教科書を山ほど書けるほどあるでしょうが、まずは、ストーリーを必要な部分に分割し、どうでもいいところを整理し、切り詰めて、メリハリをつけて、見やすくする、というのは基本中の基本でしょう。


設定的に72時間の映画で、まぁ例えば主人公が夜寝てるだけのシーンとかをひたすら映さなくてもいい。そこはカットして、寝るシーンの次に起きるシーンをつなげる。
そんな風に、ストーリー進行において意味のあるシーンだけを残し、他を切って、意味がわかるようにつなげ直すわけです。
設定的に、3日間の映画が、120分にまとまってるとしたら、70時間分は、省略されているわけですから、よく考えると、これはすごいことですね。

TRPGの時間

映画の時間はリアルタイム。だから長い物語をメリハリつけて語る時は、シーンを切り替えて整理する。
ではTRPGの時間はどうでしょうか?


典型的なTRPGの場合、会話してる時とかは、おおむねリアルタイムですね。クライマックスの戦闘シーンとかは、設定上、数ラウンドで1〜2分とかの戦闘を、30分とか1時間かけて行ったりします。リアルタイム〜スローモーションが、TRPGの時間といって良いでしょう*2


じゃぁTRPGで長い時間のかかるストーリーをやる時はどうするかというと、時間をすっ飛ばして処理しています。
「夜になったけど、なんかすることある?」
「ないです」
「じゃぁ朝になった」
とか
「隣町までは、1日かかる」
「はーい。1日かけてゆきます」
「途中でモンスターは……でなかった。隣町についたよ」
とかですね。


TRPGにおいても、余計なシーンは、すっ飛ばしてあそんでいるわけです。

シーン制はわかりにくいか?

http://simizuna.exblog.jp/9628481/


こちらの記事で、シーン制は時空を超越するので、「間合い」が測りにくく、プレイヤーが参加しにくい、という意見がありました。


シーン制の「時空を超越したシーンを好きに設定できる」というところだけ見ると、そう思えますが、俺個人としては、あまりそんな風に思ったことはない。


なぜ、シーン制は時空を超越するのに難しく感じないんだろう、と、思ったのがこの記事を書く発端でした。


TRPGにおいて、余計な時間、シーンを日常的に省略して進行していることは上で書いたとおりです。
TRPGにおけるシーン制のルールは、そこに自覚的になった上で、映画的な演出を取り入れることで、スムーズにストーリーをつなげるために生まれました。


逆に言うと、普通の映画の演出のつもりでシーンをつなげていけば、ストーリーに問題なく参加できるし、問題なく絡めるわけです。
シーンを切るのは、時空を超越して好き勝手なところにすっ飛ぶため、ではなくて、ストーリー展開をわかりやすく伝えるため、なんですね。
そこにお互いの意識があれば、問題なくプレイできるでしょう*3


もちろん、例えば、映画でも、タランティーノみたいに、シーンごとに過去未来に飛びまくって、そこが面白いみたいなものもあります。
こういうのをTRPGでやるのも、楽しい挑戦でしょう。
ただ、そういう時は「今日はタランティーノやるぜ」と事前に声をかけて、納得するプレイヤーとやるべきでしょうね。
誰にも断らずにタランティーノ並にすっとばすのは事故の元というわけです。


タランティーノはともかく、映画において、非常に大胆にシーンを切り替えながら、見ているほうは全く違和感を感じない、という場合はたくさんあります。
そうした演出は、TRPGのGMとしても、学ぶところが沢山あるでしょう。また、ルールシステム的にも取り込めるところが多いと思います。
今後の課題でしょう。

*1:もちろん、これは、ものっすごく素朴な話で、映画の中に流れる時間を早めたり遅めたりするテクニックは、シーンの設定以外にも沢山あるわけですが、他の媒体に比べて映画独特の時間の流れがあるとは言えるでしょう

*2:TRPGの時間はリアルタイム〜スローモーションに限られるか、というと、そんなことはなくて、TRPGで時間の流れをコントロールしようという試みは昔からあり、様々に面白いゲームデザインに結実していますが、そこはまた別の話ということで。

*3:逆に言うと、そのへんが共有できていない時、確かに、GMとPLで「間合い」が計れず、セッションが事故ったりします。