切る批評と拓く批評

批評に求めるもの

xenothは「批評ウザイ」的な記事ばっかり書いてるが、実のところTRPGに批評は有用かと言われるなら、有用だと思っている。
良い批評は欲しい。


というわけで、xenothが求める批評について。

価値の創造

良い批評というのは、価値の創造であると思っている。
わかりやすく言えば、それを聞くことで「おお、なるほど、そういう見方があったか!」と思わせるようなものだ。


新しい視点、観点、それによる再編というのは、読んでいて大変にエキサイティングなもので、こうした批評は、批評自体に価値がある*1


「新たな視点」を提供することは、批評として面白い他に、TRPGという趣味においても有益であることが多いだろう。

価値の闘争

問題は、その「新しい視点」が、往々にして「他より優れた視点」やら「唯一の視点」やらに、すり替えられる場合が多いことだ。


「視点の提供」が「他の視点の破壊」になると面倒な話になる。TRPGに豊かな知見を提供するはずだった批評が、特定の価値観のみが支配する荒野となってしまう。


例えば、馬場氏の言論があって、大変に面白い。
シミュレーションゲームからTRPGへの連続性を前提に、リソース管理の概念からTRPGの各要素を再編するのはエキサイティングな視点だ。
批評としても面白いし、その視点に刺激されて生まれたプレイテクニックやシステムも多く、実り多い視点であると言えるだろう。


一方で馬場氏は、「他より優れた視点」という立場を一貫して提示し続けた。実利と絡めて「この視点でなければTRPGは滅びる。この視点を否定するなら、TRPGがより普及する視点を出せ」という立場から語った。
一方でそれは、「TRPGの普及」を直接肯定してない意見を全部否定することにもなった。断っておくが、これはこれで筋が通った立場ではあるので、以下は単にxenothの好みの問題ともなる。

TRPGという趣味

というわけでxenothの好みについて語る。


TRPGという趣味ができて、たったの30年だ。
TRPGが何であるか、TRPGに何ができて何ができないか。それを規定するのは、あまりにも早いと思っている。


「TRPGはこういうゲームだ!」と言い切ってしまうことは、逆に言うと「それ以外はTRPGではない」ということでもある。馬場理論が「キャラクタープレイ」をオマケと見なしたように。


ある視点から整理した時、Aが本筋で、Bがオマケである、という風になることがあるのはいいんだが、違う視点であれば逆になったり全然違う編成になったりするだろう。
全部の視点が等価というつもりは全くないが、自分の視点が全部でないという意識は重要だろう。


TRPGには、色々な可能性があると私は信じている。あるいは知っている。
「これがTRPGだ」という決めつけを外したところから、TRPGの新しい面白さが生まれ、やがてそれはTRPG全体の中に影響していったりしなかったりする。今まで何度もそういうことはあった。
私は「正しいRPG」を信じない。正しいRPGを作ればRPGが発展するとも思っていない。生物がそうであるように、多種多様に色々なものがあったほうが、繁栄するものも出てきやすいし、環境変化にも強いと思っている。


いや言葉を飾るのは辞めよう。
上記のようにそうした議論がTRPG一般にとって有害かもという話もできるだろうが、それ以前に、単に好きじゃない。美しくない。エラソーでムカつく。

微妙な差

「視点の提供」と「視点の破壊」がどう違うのか。
実のところ「TRPGとはこうだ!」というのと「TRPGって、こっちからだと、こうも見れるね」というのの違いであり、差は大変に微妙である。*2


私が書くTRPG論も、様々に「視点の破壊」につながりかねない場合はあるだろう。故に以下は自戒でもある。


論理というのは刃である。論理で語る時、人は、特定の側面を取り上げて、他の側面を切り落とすことになる。
「視点の提供」と「視点の破壊」を分けるものは、自分が何を切り落としているかに謙虚であるかどうか、だ。
「TRPGの正体」というものは誰も知らない。知らないのに、我々は刃を振るっている。
過去現在未来に渡るTRPGの可能性全てを巨木に例えるなら、TRPGの批評は、そこに鉈を入れて、1cm角のサイコロかなにかを切り出して「これが木です」と言っているようなものだ。
その滑稽さと、本気で言うなら危険さを、書き手と読み手が理解しているかどうかが大切なのではないかと思う。

*1:xenothは日頃、「TRPGを啓蒙して一般に流行らせよう」という目的の批評は疑問視しているが、良い批評には批評としての価値があると思っています

*2:例えば、馬場氏の論考をここでは悪い例に挙げさせてもらっているが、実のところ馬場氏は馬場氏なりに「TRPGって、こっちからだと、こうも見れるね」というスタンスを明記して書いている部分もあり、一概に否定できるわけではない。