誤配とか誤読とか
http://d.hatena.ne.jp/koutyalemon/20080901/p1
紅茶檸檬さんにトラックバックいただきました。
デリダは読んでないけど「存在論的、郵便的」は昔読んだことがあります。読んだといっても目を通した、くらいですが。
ただ、誤配とか誤読とかって、イマイチ意味がわからないんだよね。
誤配
紅茶檸檬さんは、今回、xenothや、他のエントリーが、誤配された、と、表現されています。
この日記の記事はTRPGユーザー向けだったり、さらに狭かったりしますが、一方、hatenaという誰からもアクセスできるウェブ上に文章を置く以上、それ以外の色々な人から見られる可能性があることも理解しています。
なので、例えばid:kanoseさんのブクマ経由で、700人に配信されたのは、「想定外」かというと、必ずしもそうではない。ウェブに公開するというのは、そういうものでしょう。
誤読
誰かが何かの言葉を使う時、それぞれが内包するものが違う、というのも、当たり前の話ですよね。
違うからすり合わせ、用語を定義するわけです。
いつの時代でも、普通にある話です。
「誤配」と「誤読」
まぁ紅茶檸檬さんも、そんな当たり前のツッコミは、元から熟知されているでしょう。これはまぁ、日常用語の「誤配」、「誤読」じゃなくて、哲学的な意味での専門用語なわけです。
コミュニケーションというものを「特定の相手に、共通の言葉を使って意図する情報を与え合う」という素朴な見方がある時、それに対して、誰かに向けて言葉を発したつもりでも、その「相手」も「言葉」も、話者の意図を越えて大きな広がりを持つものである。偶然のものもあるし、積極的政治的な「読み替え」だってある。そうした「誤配」と「誤読」の中には、大きな可能性がある。
例えば、そういうところから始まる議論を行う時の哲学用語が「誤配」「誤読」なんだと思います。
堕落した使い方
ただですね。
ポストモダンの用語にありがちなんですが、「誤読」とか「誤配」とかって、一歩間違えると、大変に、無責任な言葉になるんですよ。
どっかの小説で、店の伝票を、うっかりフリーメイソンの暗合と勘違いしたとこから始まる一大スペクタルなんてのがありました。
そうやって小説一冊書けるくらい「誤読」すれば世の中面白くなることはたくさんありますが、店の伝票はまず店の伝票であって、字が汚くて店名や値段を読み間違えられたら、いかんわけです。
伝える相手を意識して、十分にわかりやすく書くことは文章の基本です。
なんだけど、伝える相手に伝わらなかったり内容がとっちからかってて無駄に解釈が分かれた時に、『これこそ誤読であり、誤配だ! 一義的な内容の特権性はポストモダンの現代においてはあらかじめ失われており、この豊穣な文脈こそが議論の意味なのだ』とか言い出す人がいる。
いやいや、あなたの文章がわかりにくいだけだから、そりゃ。
字は見やすく綺麗に!
ま、そういうのは論外としても、そのへんのネット日記だと
「誤読」→お、その解釈は俺も気づかなかったけど、面白いね。
「誤配」→あ、予想外のところからレスが来た。嬉しいな。
以上の意味で「誤読」や「誤配」を使ってる人に会ったことがないので、だったら、わかりやすくそう書けばいいのになぁ、と、思うのです。