自由と管理 どっちが先か

http://www.rpgjapan.com/kagami/2008/07/post-149.html
こちらへのお返事。

「事前にシナリオを作らず、サプリメントなどを参照しつつ、プレイヤーに合わせて展開を決めていく」というのは、まさに「自由に遊ぶゲームプレイ」でしかできない、卓上RPGの原始的な遊び方ですね。キャンペーンシナリオの大枠などは、今でもそのように構築する方がおられるでしょう。「シナリオなしの即興プレイ」も、ゲームマスターの手腕のみに頼らず、皆で一緒にやれば、楽しい協同作業となります。

やがて、より高い創作性を求めたゲームマスターが、「凝ったシナリオ」「細かいシナリオ」を作るようになって「シナリオ構築のコスト」が上がり、それを「スルーされたくない」からプレイヤーを「誘導」するようになりました。ここに「管理して遊ぶゲームプレイ」の起源があります。「できる範囲でプレイヤーの行動選択を保障する」、その範囲こそ「自由度」であり、プレイヤーはその範囲を見極めながらプレイするわけです。

私が知っている範囲のTRPGの元祖は、D&Dです。
初期のD&Dでは、DMがダンジョンを準備して、そのダンジョンをプレイヤーが攻略する、という遊び方でした。この時「ダンジョンを作る」というコストはありますし、それをスルーされるとゲームが成立しません。


記憶に頼ってますが、まだ当時はメタルール、ゴールデンルール的なものは少なかったので「DMが準備したダンジョンをスルーしちゃいけない」というルールはなかったと思います。
実際、それで、DMとプレイヤーが喧嘩になったり、「おぉっと、君たちがダンジョンに背を向けると、もの凄い大嵐が!」みたいな強引な誘導があったりしていたかと。
笑い話で済むこともあれば、トラブルに発展したこともありました。


日本だと新和D&Dの頃ですね。
GMをやっていたことがありますが、D&D遊んでる時に、自分で作ったダンジョン無視されたら、大変に困ります。4000円(くらいでしたっけ?)を、はたいて買ってきたシナリオ「アリクの瞳」を準備してる時に、無視されても泣けてきます。


逆に、ダンジョンに入る、を、スルーされてもOKなくらい、サプリメントや基本データ、プレイテクニックが整ったのは、TRPGの展開からすると、もっと後ではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

自由と管理は二者択一か?

私が賛成できないのは、「自由に遊ぶゲームプレイ」と「管理して遊ぶゲームプレイ」を混ぜる、という案です。両者は根本的に異質なプレイスタイルですから、うまくブレンドすることなどできません。例えばプレイヤーは、「管理されて遊ぶ」なら「何をすれば良いのか」がゲームマスターから示されるのを待ち受けねばなりませんが、「自由に遊ぶ」のでは待っていても何も与えられぬまま途方に暮れるだけです。「待ってから動く」のと「待たずに動く」のとを、混ぜることはできますまい。

「自由に遊ぶプレイスタイル」が、やりたいことについて、誰の意見も全く聞かない、ということであれば、私は、その人と遊びたくありません。自分のやりたいことが、他の人の嫌がることなら、やめるべきですし、他の人のやりたいことも配慮しながら、自分のやりたいことを決めるべきです。ここには当然、GMのやりたいことも含まれます。


であるのなら、「自由に遊ぶプレイスタイル」においても、他の人の考えをきちんと聞いて、それに基づいた行動をすることが求められます。「待たずに動く」といっても、全く待たないのはNGです。


もしこの時点で、それは「自由に遊ぶプレイスタイル」ではない、というのであれば、私は「鏡さんの言う自由に遊ぶプレイスタイル自体がTRPGに向いていない。もっと言うなら、他人数での遊びに向いていない」と主張します。


逆に「管理して遊ぶゲームプレイ」についても、「「何をすれば良いのか」がゲームマスターから示されるのを待ち受け」るだけ、ということはないです。自分の判断で遊びながら、GMの指示については尊重し、時には、提案、議論もする、というものでしょう。
GMがPLにダンジョンに入って欲しい場合、GMはその意志を伝え、PLは「ダンジョンに入る」という前提を受け入れた上で、その中で、「ダンジョンで何をすれば良いのか」を自分で考え、決定し、他の人の話を聞きながら調整して、責任を取るわけです。「待って動く」といっても、「言われるまで全く何もしないで待つ」わけではありません。


つまるところ、「自由」なプレイスタイルでも、他者への配慮は必要です。「管理」なプレイスタイルでも、自分で決断すること、自分で責任を取ることは必要です。
じゃぁどう違うのかというと、私は「何も違わないんじゃないか?」と思うわけです。