中間層を育成するために

http://d.hatena.ne.jp/gginc/20080317/1205722998


例えば、初音ミクというソフトがある。それはニコニコや、他のインフラを通じて、多数の「職人」が集まり、それを見て喜ぶ一般のファンがいて、そこに正のフィードバックが成り立つことで、良い作品が多数生まれている。
TRPGを見た場合、途中の「職人」に当たる存在は、例えばGMだし、自作シナリオやサプリを配布する人に当たるだろう。
それらは、十分に足りているのか? あるいはどうすれば増やすことができるか?
この命題は重要だと思う。

 私が〈ゲームコンセプト〉や〈マスターリング〉について、ともすればシステム評価よりも優先してあれこれ論じているのは、TRPGシステムというCGMコンテンツを「うまく扱う」人々(と、そんな練達の人々を適切に評価する基準)をたくさん作った方がよいだろう、と考えているからなんですね。

単純な疑問。


初音ミク職人や、ニコ動のコメ職人は、「そんな練達の人々を適切に評価する基準」のせいで、育ったのだろうか?
俺の知ってる限り「ニコ動におけるコメントの方法論を、ルディオロジーの文脈で5つに分類し、それぞれの発生と成長過程を分析してみよう」みたいな議論は、滅多にみないし、あったところで、それが職人の励みになってるかというと、違うような。
大半のフィードバックは、そういう理論じゃなくて、もっと単純な「すげぇ!」とか「神!」とか、そういう素直な声であり、その声が嬉しくて、みんなやってるんじゃないかと思う。


初音ミクにせよ、ニコ動にせよ、見習うとしたら、作った人が即発表できて、即、声が届く、そのダイレクトさと、インフラだろう。これは、現在のTRPGに、まだまだ足りないものだ。
そして「見ればわかる」「聞けばわかる」という媒体の特質も明記する必要がある。初音ミクの歌声に感動するのであって、理論的分析は当然あっていいが、それは後付けに過ぎない。
TRPGだって「やればわかる」という意味で、面白さを広げるためには理論武装はそれほど必要ない。問題は、TRPGの場合、なかなか多人数に面白さを伝えにくいことだ。


ちなみに「やればわかる」の部分を、どうにか、広く一般に伝えられないか、ということで「リプレイ」という技術が編み出され、大きな効果を上げている。
全国の本屋で買えて、マシンもネット環境もいらない、という点では「初音ミク」や「ニコ動」よりも優れており、コミュニティ形成の重要な核となっている。

この点については、むしろアナログゲームTRPGの方が先行して進めるべきことだったとすら思うのですが──、ま、TRPG“論壇”はあっても、TRPG“学会”はないのですから、しょうがないですね。しばらくは粛々と“デジタル”ゲーム研究者たちの知見に学ぶこととしましょう。

TRPG業界は何年も前から、コミュニティの形成に尽力してるし、「デジタルゲーム研究者」は、ニコ動の状況を分析してるんであって、自分がニコ動のシナジーを作ったわけじゃない。
なにも、そんなに卑屈にならんでも、と。