イマジナリーボードの意図と問題意識

http://d.hatena.ne.jp/accelerator/20080305/p1
こちらの日記でid:ggincさんにコメントをいただいたので、お返事など。
長くなったので、一部分ずつ。

 それとですね、以前コメントさせていただいた時もそうだったんですが……どうも私が文章を書いている意図自体を“一貫して”誤解されているようなんですよね。私の方からいくら記事やコメントなどで「いや、違うんですよ、そこで言いたかったのはね……」といくら補足しても、その根本の問題意識を理解していただけないまま批判されても、取り上げようがないな、とは感じています。たぶん、何か私を敵対するステークホルダー〔利害関係者〕と誤解されている向きがあるんじゃないかと思います。

「意図」と「問題意識」ですか。
えーと、TRPGを、上達可能、学術研究可能な文化として定義することで、一般的な認知を広め、それをもって、TRPGを活性化し、よりよいTRPGライフを皆のために、ということで良いでしょうか?


もうちょっと具体的に言うと。
今、現在、TRPGという遊びについて、TRPGを知らない人にしっかりと説明することが難しい。
例えば「ラノベ系超能力高校生」みたいなテクスチャと、「TRPGの本質」みたいなものを切り離して、理解してもらうという程度のことも結構大変です。TRPGという趣味に、なんで、十年も二十年もかけるのか、というのをどう説明したらわかってもらえるか。
ごっこ遊び? 超能力? 高校生? それってオタク臭くてつまんなそー」と言われたら、どうするか?


「TRPGは奥が深くてすごいんだぜ」ということを、きちんと誰にでも説明できるような枠組みをしっかり作り、それによって、より多くの人にTRPGを理解してもらい、共感してもらい、遊んでもらえるようにしよう、と。
ggincさんは、そういうことを目指しているのだと理解しています。


ちなみに、これらの意図については、私は全く賛成で、反対するところはありません。それらが達成されることは、TRPGにとって良いことでしょう。
私の読解が正しいとすると、ggincさんの意図については全く否定するつもりはなく、むしろ大賛成です。


私が懸念および批判しているのは、
1.客観的に中立なTRPG評価の枠を作ることは難しい。
2.通常は好みが人それぞれなのは問題ないので、色々な偏った評価枠があっていい。
3.ただし、一般社会に啓蒙しようとする場合、歪んだ評価枠は、多くの被害を起こす。
ということです。


わかりやすい具体例を挙げるなら「TRPGを初めてプレイする人にシステム選択眼をもってもらうにはどうすればいいか?」という議論の中で「SRSは2d6で進行管理があるからダメだね」と言い放つあたりですね。
そういう偏見で、啓蒙の枠組みを作られたら、大変に危険だ。


もうちょっと広い例では、TRPGと上達可能性の問題があります。
「面白さを深め続けるために、上達可能性があることが望ましい」それは確かです。
一方で、「〈遊戯〉を中心にゲームを構成してしまうと、そういうサイクルがうまくできなくなって、ゲームが腐っちゃう」みたいに、「上達可能性のないものは腐る」とする場合、様々な問題が起きうる。
「上達可能性がないものは腐る」というのは、結果的に「ggincさんが上達可能性を見つけられなかったものは腐る」ということに直結します。
その過程で、本当は奥が深くて面白いゲームなんだけど、ggincさんが「このゲームは長く遊べない。すぐ腐る」と片づけてしまい、それが、啓蒙用の枠組みに組み込まれたら……。


さてさてggincさんからすれば、私が指摘してる部分は些末な二次的な問題に見えるかもしれませんが、私の問題意識からすると、それは大きな問題なのです。


もちろん、これは、私の誤解かもしれません。というか誤解はあるでしょう。
とはいえ、私がggincさんの問題意識を理解してないように見えるのと同程度には、ggincさんも私の危機感を理解されていないかもしれない、ということだけ、ご理解いただければと思います。