TRPGにおけるコスト

コストパフォーマンスを判断する自由
http://www.rpgjapan.com/kagami/2008/03/post_129.html

と、有り難くは思うものの、xenothさんの主張が何なのか正直よく分かりません。「コストパフォーマンスの悪い行動をする自由など無い」と仰りたいのでしょうか?その「コストパフォーマンス」というのも、xenothさんが価値があると思うか否か、で判断されているようですが。

色々通じてないようですので(説明が悪くてもうしわけない)、一点ずつ行きますね。


ここではコストパフォーマンスの悪い行動をする「自由がない」というのではなくて、「自由はあっても現実的には不可能」である場合がある、という話をしています。「仮にやりたくてもできない」ということです。


そうだなぁ、TRPGじゃなくて現実の話として。「一億円のマンションに住む自由」は日本人の誰でも持ってるわけですが、俺個人はマンション買える金も住めるコネも持っていません。
一億円があればともかく、ないので、「一億円のマンションを買う自由はあるが、コストを考えると現実的には不可能」と言えるでしょう。
そういう話をしています。


さてTRPGで具体例を出しましょう。
コストの例として、例えば、「プレイ時間」を挙げましょう。普通、セッションのプレイ時間とか準備時間とかは決まってますよね。


逆に言えば、「プレイ時間一億時間」というセッションを選ぶ自由はあるかもしれませんが、実際問題、それをプレイするのは不可能です。
「プレイ時間一億時間」を選ぶ「自由」はあるが、「コストを加味した場合、事実上不可能」というわけです。いかがでしょうか。


もっと現実的な話をするなら、プレイ時間が5時間としましょう。6時間かかる行動をする「自由」は現実的には存在しません。
途中で終わってもいいから、それを試みる、というのは、可能ですが、時間内に成し遂げたいことがあって、それに6時間かかる場合は、現実的に不可能なわけです。


このように理論上は可能であっても、コスト次第で現実的にそれを選ぶことが不可能であることがある、という話をしています。
鏡さんの「自由なセッション」がこれに当たるかどうかはともかく、まず、そういうことがある、というのは、ご理解いただけるでしょうか?