自由とコストパフォーマンス

何かを行うためにはコストが必要である。コストを考えない自由は意味がない。
コストを調整するために、道具の選択と、選択肢の限定、合意の形成が必要になる。

コストの概念

人間には二本の足があり、どこにでも歩いてゆける自由があります。
じゃぁ実際問題、「おまえ、今から、ロンドンまで歩いて行ってこい。海? 泳げ」とか言われたら、普通は「やだよ。飛行機か船乗るよ」と言われるでしょう。
この「どこへでも歩いてゆける自由」には、コストの概念が加味されていないからです。


人間は、車や自転車、電車や飛行機を使い分けて、色々な場所に行きます。
「電車で行けるところは理論上、徒歩でゆける。だが徒歩でゆけて電車でゆけないところはいくらでもある。電車は徒歩に比べて自由度がない」というのは、まぁ、そう言って言えないことはない。でも、徒歩と電車は、それぞれ取り替えの効かない価値があるわけです。

システムの場合

http://www.rpgjapan.com/kagami/2008/03/post_128.html
「自由は古く、管理が新しい」について


TRPGのシステムにおいて、単に「できるだけ多くのことができる」という意味で、自由を追求した場合、「理論上はできるだろうが、実際上は無理」というのが多々できあがると思います。


例えば、俺がGMで、D&Dを面白く遊ぼうと思ったら、ダンジョンマップ描いて、モンスターと罠と宝箱とNPCを配置します。
PLが、もし、準備したダンジョン以外のところにいったら、それはPLの自由かもしれないけど、面白いシナリオを即座に提供する自信はありません。
あるいは、どこに行って何をされても即座に対応ができるくらい、無数のダンジョンと無数の都市と無数のワイルダネスを持ってればいいのかもしれませんが、それはそれで準備に時間がかかりすぎます*1
これはつまり「徒歩ならどこへでもゆける理論」なわけです。行けるかもしれんが、それが現実的に可能か、あるいは行って面白いかが保障されない*2


私から見て、鏡さんの提唱されている「自由なTRPG」は、それに見えます。私がGMだったら、宝の地図を中心に組んだシナリオで、地図を燃やされたら、大変困ります。面白いセッションを提供するのが事実上不可能になるからです。


「宝の地図を燃やしてもいい」というのは、行動の選択肢が制限されていない、という意味での自由は保障されていますが、「宝の地図を燃やしたらゲームがつまらなくなる」という意味で、「現実的に楽しく遊べる選択肢」は、ずっと限られているはずです。


「どんなことをしても壊れず、何でも簡単にできて、かつ楽しい」という理想のTRPGシステムがあればともかく、そんなものはありゃしないので、現実的には、やりたいことに合わせて、手段を選ぶのが肝要になります。
イギリスに行きたければ、飛行機に乗るべきなのです。
そして、一度飛行機に乗ったなら、席に座って指示に従って安全ベルトをつけるべきなのです。「あ、やぱり、俺、ここで降ろして」といって、飛び降りようとすると、まぁ悲惨なことになります(笑)。
「一度乗った飛行機から飛び降りる自由」は、認めてもいいんですが、現実問題、意味がないでしょう。


つまり「楽しく現実的なコストの範囲内で」何かをしようとする場合、特定のことが得意だが、特定のことができないシステム、および、システムに沿ったプレイスタイルを事前に検討して、導入する必要があるわけです。


もちろん、事前に細かいことを決めないプレイスタイルもありです。風任せの貧乏旅行みたいなものです。ただし、旅程をきっちり立てないと行けない場所(あるいは行くのに非現実的なコストが必要な場所)、というのが、この世にはあります。

やりたいことをする自由のために

自由とは何でしょう?
好きなところにゆけることが自由だ、と、私は思います。
そのためには、電車、バス、飛行機、自転車、徒歩、なんでも使って、また組み合わせて移動するでしょう。「電車と自転車はどちらが自由か?」という問いかけはナンセンスですね。


やりたいことをするためには、今したいことを決めて、それに合った手段を選び、実行します。そうして「やりたいこと」という「結果」を得ることが可能である、というのが自由でしょう。
TRPGでいうなら、それは、皆で、やりたいセッションの方向性を決めて、それにそってシステム、シナリオ、プレイスタイルを選択し、その結果、できないことが生じるのも受け入れて、楽しく遊ぶことです。


これってのは、昔のシステムだから、今のシステムだからどうこう、というのではなく、昔から、そういうものだったはずです。


・システムのコンセプトを無視したことをする自由(ロンドンまで歩いてゆく自由)。
・一度決めたセッションのコンセプトから、無理矢理外れる自由(飛行機から飛び降りる自由)。


これらが自由だとして、そうした自由が手放しで認められていた時代は存在しません。

*1:そういう風に、目的を決めずに旅するのに向いたTRPGがあります。ただ、そうでないTRPGもあるということです。D&Dは、体系として膨大なので、サプリやプレイスタイルで、そういう風に遊ぶこともできるかもしれませんが、まぁ言ってることは分かってもらえるんじゃないかと。

*2:面白いかどうかは行って見て決めればいいじゃん、という意見もあるでしょう。そういうプレイスタイルもありです。でも、「徒歩でイギリスへ行け」みたいに、行く前からわかること。あるいは、もし本気でやろうとするなら、入念な準備と検討が必要で、気まぐれにやっちゃいかんことってのも、世の中にはあるでしょう。