無邪気さは知識欲と共にあり

http://simizuna.exblog.jp/8002950/
より

1)知識を増やす

(文系っぽい発想?)以外には

2)世の中を細分化する鋭い切り口をいくつか備えて、何でも理論化してぶった切ると、極論的立ち位置とか、穴場がわかる(理系っぽい?)
3)失ってしまった無邪気さを取り戻そう

の3つの手段があるように思います。特に3)は

・そんなあれこれ苦労なんかしなくても、そもそも誰にでも発想力はある(あった)のだ。それを取り戻す手段を分析してみよう

という論になるのでわりと汎用性が高いかと思います。

1と2ですが、知識なしの論理は机上の空論ですし、論理の裏付けのない知識は、トリヴィアです。
例のバーバリアンの話でいうなら、コナンを知り、ファーファードを知るのも大切ですが、単に、それだけだとトリヴィアになる。それらがどういう背景で出てきて、どういう位置づけにあり、西欧文学における「高貴な野蛮人」の流れを押さえて、それがルネッサンス以降の帝国主義の中でどのようなプロパガンダとしてあり、一方で現実の狩猟採集文明や遊牧民の人の知識や……。
って、ダメな教科書みたいになってきましたが、まぁ、例えば、そういう風に、知識の位置づけ、関わり合いがあるのは大切です。


さて、3ですが、子供は確かに無邪気で、大人を驚かせる発想をします。ただ、俺の理解だと、子供の発想が面白いのは、「無邪気だから」ではないです。
子供ってのは、もの凄い集中力と吸収力を持ってるんです。色々なことを考えて試して、その結果出てくる発想だから、独創的だったりします。
大人に独創的な発想が少ないとしたら、それは常識的な考えのところで思考停止してるからであって、それ以上ではありません。


ですから子供の無邪気さを取り戻す、というのは、子供の時と同じくらい、貪欲に、苦労とも思わず、情報を吸収する姿勢を身につけること、だと思います。それ以外で「独創的な発想」を得る方法があったら、是非知りたいところです。