自由な発想は知識から生まれる

天然芸人

芸人は、基本的に、芸を磨く。
「天然で」面白いとされる人もいるが、たいていは、人に見えないところで、様々な修練を積んでいる。素人が素人であるゆえに面白い時はあるが、そういうのは基本、長続きしない。


お笑い芸人に限らず、様々な先人の技を学び、自分の経験を広げることで、そこにアレンジをかけてオリジナリティを出す余裕が生まれる。
TRPGも同じだと思うのだ。

予定調和vs自由

TRPGにおいて、ストーリー志向と、ゲーム志向が対立して語られることが多い。
よくできた物語を作ろうとすると予定調和が必要となり、自由な発想やゲーム的な展開を妨げる、という意見だ。


そもそも最も初期のTRPGであるD&Dは、指輪物語やコナン、ファファード&グレイマウザーといったファンタジー小説の影響を強く受けている。レゴラスとかコナンとかグレイマウザーみたいに活躍したい!という想いが、D&Dを作った、とも言える。
であるなら、TRPGが必ずしも、小説的なストーリーと相性が悪いということはないだろう。

物語の幅

そもそも、小説的な物語の完成度と、自由度の無さは、必ずしも一致しない。
小説家であれば、同じ始まりからでも、様々な展開と結末を生み出し、まったく違う完成度の高いストーリーを生むことができるだろう。


要するに、物語のパターンを一個知らないからワンパターンになるのだ。十知ればテンパターン、百知れば無数のパターンが生まれる。
できるだけ多くの物語に触れて分析することで、その場の状況に応じたアドリブを入れつつ、物語的に面白いストーリーを作れるようになる。

原作を読もうリプレイを読もう

より多くの物語のパターンに触れるには、より多くの物語を読み込むことだ。
先に挙げたD&Dにおける指輪、コナンのように、原作やインスピレーション、共通する世界観があるものは、それを読んでおいて損はない。
原作を読むと原作に囚われるという意見もあるだろうが、読まなければ囚われないというものでもない。
例えば、蛮人(バーバリアン)と言われて、脳味噌筋肉なマッチョしか想像できないのは、原作のコナンを読んでない人だろう。小説を読めばこそ、コナンが蛮人なりのタフネスを精神的にも持ち合わせている上に、クレバーであることが分かり、より面白い蛮人像を造り出すことができる。コナン以外の様々な作品も読めば、より様々な、より面白いバーバリアンを描けるようになるだろう*1


よく言われるリプレイの弊害も同じである。
特定のリプレイを一個しか読まなければ、そのリプレイの内容に引きずられることは十分あり得る。であるなら、色々な作者による様々なリプレイをたくさん読めばいい。


そのへんはリプレイを書く側も、理解しており、「読み物として面白いだけのリプレイ」の弊害をなくすべく、卓上の息づかいを伝え、また押しつけにならない形で様々なTipsを解説しているリプレイが昨今は数多い。大いに参考にすべきであろう。


TRPGのプレイ自体は、リプレイとも小説とも異なる。だから、一方的に小説的展開を期待/押しつけようとすると、プレイはつまらなくなる。そのことはよく理解すべきだ。
一方で、リプレイや小説から離れた自由な発想をするためにこそ、リプレイや小説をたくさん読み込むことが重要なのだ。


おっと、もちろん、無理に「勉強」する必要はない。
ここで言いたいのは、興味の赴くままに、リプレイや小説を読んでみるのは決して、損にならない、ということだけだ。

*1:もちろん、単純な原典以外のところ、例えばD&Dならファンタジーのところ以外からネタを拾うのも重要だ。そういう応用も大事だが基礎も重要ってことで