「自由な」TRPG

鏡さんの論考

http://www.rpgjapan.com/kagami/2008/01/post_124.html
現在進行中の、鏡さんの論考。TRPGの「自由な」遊び方について、である。
http://www.rpgjapan.com/kagami/2008/01/1_.html
これらを読む限り、鏡さんにとっての自由は、プレイヤーの思いつきが束縛されない、制限の少ないTRPGであるようだ。

クレイジータイム

制限の少ない、という意味で、「自由な」TRPGと言われると、私の頭の中には、北斗の拳の世界が思い浮かぶ。
法律も秩序もない世界で、暴力が唯一の生きる糧となり、弱者は奴隷となるしかないのだ。


実際のところ、初期のTRPGは、わりと、そんな感じだった*1。シナリオもストーリーもない。ただ、モンスターと罠と荒野とダンジョンがあるだけ、みたいな。

自警団

よく言われる話だが、法律があるのは確かに不自由だ。だが法律の類が全くなければ、人間は、ただ生きてゆくのもままならないことになる。警察がいなかったら、誰もが自分で武器持って家族守らなきゃいけない。そうなれば職業選択の自由なんてのは、あっという間に吹っ飛ぶ。自分のやりたいことを追求するためには、なんらかの秩序が必要だ。


TRPGも考えてみれば同じことで、プレイヤー、PCが、自分のやりたいことを追求するためには、ある程度の「保障」が必要となる。やりたいことをやろうとする間に、いきなりGMにぶっ殺されたりしない、という「保障」だ。


そうした保障がないゲームは、前述した北斗の拳的な「生きることだけに全力を尽くす」ゲームとなる。もちろん、それはそれで面白いんだが、そればっかというのも寂しいし、「自由」かと言われると、少し悩む。

自由な発想とそれを生かす試み

普通に「自由な」TRPGと言った場合、プレイヤーの思いつきが、積極的にゲーム展開に反映されていって、様々なストーリーとなるゲームのことと考えられる。


そうしたプレイには何が必要か?
一つには神GMと神PLの連携。二つには、そうしたプレイテクニックを、よりプレイしやすいようにルールに落とし込んだものとなるだろう。
鏡さんが否定している「ロールプレイを促進するルール」や「プレイヤーを管理するルール」は、本来、「自由なTRPG」「プレイヤーの発想を生かすギミック」として作られているのだ。

*1:D&DとかT&Tとかそのへん