FEARの消費期限とか色々

id:ggincさんのところに、トラックバックおよびコメントのブロックを受けているようである。
議論をする価値がないと思われたのだろう。


さておき、FEARの消費期限については、書いた通り疑問は残る。xenothの前提把握が甘いとすれば、個人的には、どのように甘いのか知っておきたいところ。ggincさん以外でも教えを請いたいものである。

FEAR型の改版

ggincさんは、「流通に乗らない旧版を独自に遊び込む層」を重視しており、FEAR型のゲームだと、そういう層が排除されることを問題視されているようだ。


そうした層がいなくなるのは痛手と私も思うが、FEARの商品戦略とどう関連するのかがわからない。同様に、FEARの商品がなぜ「消費期限が短い」と形容されるのかもわからない。


サポートが途切れ、メーカーによる誘導がなくなることで、ユーザーの自主性が発揮され、独自の進化が起きる場合がある。そういうチャンスが多いほうがいい、という主張だろうか。
であるなら、確かに、FEARゲーは、なるべくサポートを切らさないように、ユーザーが離れないように頑張っているので、FEARからそうしたゲームが出ることは減ってゆくかもしれない。


ただ、メーカーが、もっとサポート切れのゲームを出すべきだ、という主張だとすると、それはどうかと思う。それに、メーカーがサポートをするというのは、ユーザーを誘導するばかりではない。ユーザーの声や思いつき、プレイテクニックを取り入れて反映することにもつながる。


ううむ、これもやっぱり邪推に過ぎないようだ。id:ggincさんの問題意識は、まだわからない。どなたかご指摘いただければ幸いである。

絶版TRPGとサンクチュアリ

さてさて、書いていて思いついたが、サポートが切れたTRPGのほうが、ユーザーにとって有利な場合がある、という視点は確かにある。「公式設定」とかの類は、ユーザーが自由な展開を作る時、足かせになる場合もある。
サポートが切れていれば、新たな「公式」が降ってくることはないから、気にせずに遊ぶことができる、というわけだ。


TRPGがユーザーが作るゲームでもある以上、ルール、設定、キャラ等における「公式」と「自作」の間には、緊張関係が存在する。ユーザー設定を否定せずに「公式」と折り合いをつける方法論も、様々に開発されているが、絶版ゲームにある種の「気楽さ」があるのも、また確かだ。


この「気楽さ」を追求したシステムがあっても面白いかもしれない。


各卓の自作データや自作設定、さらには自作追加ルール自体が、「公式」と同じ重みを持ち、かつ、それぞれの独自性が、プレイする時の合意の邪魔にならないようなシステム。そのために徹底的にオブジェクト化されたTRPGシステム。
需要があるかどうかさっぱりわからないが、ちょっといいかも、と、思う。


どんなシステムになるか見当もつかないが、Aマホが、シナリオ上の要素設定をプレイヤーにぶん投げた方法論の延長線上にあるかもしれない。