ウォーゲームとファンタジーゲーム再訪

ダニガン『ウォーゲームズ・ハンドブック第三版』: Analog Game Studies
ウォーゲーマーとSFゲーマーとファンタジーゲーマー - xenothの日記
以前、上の記事で記述した、ダニガンのウォーゲーム・ハンドブックの記述ですが、注文していたウォーゲームハンドブック第三版がようやく届いたので、見直してみました。

ウォーゲームの目的

ウォーゲームとは何か。ダニガンはそれは「過去に対する深い理解を得る事で未来に向かう一歩を踏み出す試み」「競技(game)、歴史、科学の混成物」と定める。その代表格として挙げられるチェスの場合、それを構成する「ルール(社会システム)」「コマ(軍隊ユニット)」「棋盤(地理的環境)」の三点はどれもウォーゲームに必須であると共に悉く実世界の模写であって、言い換えれば「ウォーゲームは現実的(realistic)でなければならない」。これが本書の基本的主張だ(p.1)。

ウォーゲームが歴史と科学の混成物で、現実的でなければいけないと書かれますが、一方で、ウォーゲームの代表格にチェスをあげています。


……チェスって、歴史と科学の混成物で、過去に対する深い理解を得る事で未来に向かう一歩を踏み出す試みでしょうか?
抽象性が高すぎて、直接歴史を理解する役にはあまり立たない気がします。
逆に、チェスが現実的なウォーゲームなら、「スーパーロボット大戦」も、現実的なウォーゲームですね。ルールとコマと地理的環境があるので。
原文を参照すると、チェス云々の部分は、ウォーゲームの紹介として「ウォーゲームって、基本的には高級なチェスみたいなもんだよ。ウォーゲームを見たことがなかったら、より細かい盤面と、コマの動かし方や取り方のルールが複雑になったチェスだと思ってくれれば間違いない」とだけありました。チェスはウォーゲームの代表格とは書いていません。

(11/4/28 16:21追記)
pp190 History of Wargamesでは、チェスが古代のウォーゲームであり、古代戦のシミュレートとしてはそれなりの合理性があるという記述がありました。

些細な点ですが、誤解を招きかねない部分ですので指摘しておきます。

 ダニガンのウォーゲームは何を目的とするのだろうか。「第三章 なぜゲームを実演(Play)するのか」はこう説明する。単なる遊びを欲するならウォーゲームは必要ではないが、ウォーゲームを求める人々の多くは大合戦のような歴史的事象の検証、中でも「歴史のイフ」(what if)の概観を望む(p.107)。

p107を全部読みましたが、「単なる遊びを欲するならウォーゲームは必要ではないが」に相当する文章は全く見当たりませんでした。

ページ数に注目

 この見解を踏まえてダニガンは、ウォーゲーミングとは歴史の分岐を明示するための「歴史シミュレーション(historical simulation)」(p.316)の手法だと認識して四つの必要条件を設けた。


○ 地形描写(Geography)
○ 戦闘序列(Order of Battle)
○ 模擬的現実(Simulational Realism)
○ 改変可能性(Dynamic Potential)

さて、蔵原氏によれば、ダニガンはp316で、「歴史シミュレーション」と定義しているのですが、そのための4つの必要条件が第三章のp107〜116に書いてあることになります。
本当にそうだとするなら、明らかに論旨の展開が変です。


第三章を見てみましょう。
まず第一章、第二章で、ウォーゲームとは何か、どう遊ぶかを説明した後に、第三章は「なぜゲームを遊ぶか? 遊んで得るものを増やすために(Why play the game? (and how to get the most out of it)」と題して、ウォーゲームの意義について説明します。

ゲームを遊ぶ理由の中では、歴史を体験するというのが、群を抜いて大きな理由だろう。実際のところ、シミュレーションゲームには、ヒストリカル以外の題材も含まれるので(ファンタジーやSFなど)、シミュレーションゲームのもっとも重要なことの一つは、あらゆる種類の体験である、という事実に向かい合ったほうがいいかもしれない。この経験とは、ゲーマーが、ある情報に干渉できることで、その情報がどんな形を取れるかを知れるということだ。
By far the most coommon reason for playing the games is to experience history.Actually,since simulation game also include many non-historical subejcts(fantasy and science fiction,etc.)we might as well face up to the fact that experience of any sort is one of the most important things simulation game has to offer.This experience consists of the gamer being able to massage information in order to see what different shapes the information is capable of taking.

読めばわかるとおり、ここでダニガンは、章の冒頭において明白に、ウォーゲーム、シミュレーションゲームの中に、ファンタジーやSFを含む、ヒストリカル以外のものを含めています。
もちろんダニガンの記述のメインは、ヒストリカルウォーゲームではありますし、この後もそれを前提として進みますが、「ダニガンは、ウォーゲーミングとは歴史の分岐を明示するための「歴史シミュレーション(historical simulation)」(p.316)の手法だ」という記述を、3章と絡めるのは明白に誤読でしょう。


そして、蔵原氏の言う「4つの必要条件」についてです。

典型的なシミュレーションゲームは、ヒストリカルなものであれ、そうでないものであれ、(強調xenoth)、いくつかの情報を含んでいる。これらの情報は概ね4種類に分けられる。地形的情報、戦闘序列、状況情報、発展可能性である。
The typical simulation game,whether it be historical or non-historical,contains certain types of information.There are generally four kinds of information:geographical,Order of Battle,situational and dynamic potential.

読めばわかりますが、「シミュレーションゲームの情報って、だいたいこんな感じだよ」という分類であり、「必要条件」とはどこにも書いてありません。
さらに、「ヒストリカルなものもそうでないものも」と、注釈がついています。
ここでダニガンは、歴史ゲーム以外のウォーゲームを除く意図もなく、そもそも「必要条件」を定義しているわけでもありません。

具体的には「模擬的現実」とはウォーゲームが扱う史実上の事件で起きた、あるいは起こる可能性のあった出来事のみをゲーム中の現象として再演するという条件を、また「改変可能性」とはゲームが扱う事件の当事者が選択した、ないしは当事者にとって選択可能だったと思しき自発的行為に限ってゲーム中で再演するという条件

よって、このようなことはどこにも書かれていません。
Situational Realismは、おおざっぱにゲームの初期状況の話です。
地形がわかって、登場する駒がわかったので、盤面に駒を並べるという話です。
小さいゲームでは、シナリオが一つで初期状況も一つですが、ゲームによっては、歴史的な状況を考慮して、編成や布陣に色々なバリエーションをつけられるようになっているとありますが、「歴史的にありえた条件以外は認めないよ」という文章は全くありません。


Dynamic Potentialは、ゲームが始まってから、色々な風に展開するそのポテンシャルという話で、「ゲームが扱う事件の当事者が選択した、ないしは当事者にとって選択可能だったと思しき自発的行為に限ってゲーム中で再演するという条件」とは別に書いていません。
もちろんヒストリカルなゲームで、明らかに歴史的に、ありえない行動を推奨することはないわけですが、とはいえ、これはこれで難しい問題です。
多くのシミュレーションゲームでは、プレイヤーは、軍の動きにフリーハンドを持ちますが、実際は様々な政治的軋轢があって「全軍を好きに動かせる指揮官」などは滅多にいません。
そのあたりを再現してるゲームもあり、再現してないゲームもありますが、再現度が薄いからと言って、そういうのがシミュレーションゲームでない、というのは暴論ですし、ダニガンもそんなことは言ってません。

歴史シュミレーションについて

・ウォーゲーミングとは歴史の分岐を明示するための「歴史シミュレーション(historical simulation)」(p.316)の手法だと認識

ここについても原文を参照してみます。
第8章の「どんな人がゲームを遊んでるのか?(Who plays the game?)」の最後の文章です。

より経験を積んだウォーゲーマーは、一般に戦争と呼ばれるものは、実際の戦闘だけではなく、政治や社会、その他人間を形作るあらゆる体験で出来ているものだと学ぶ。それゆえに、多くのウォーゲーマーは、「ウォーゲーム」という用語を嫌い、より正しい名前で呼びたがる。歴史シミュレーションである。
More experienced wargames also learn that much of what is generally considered war is not combat,but politics,sociology,and everything that defines the human experience.Which is why many wargamers wince at the term "wargame" and prefer to call them what they really are:historical simulations.

読めばわかるのですが、「戦争って戦闘だけじゃないよね。一般にウォーゲームって呼ばれてるけど、歴史シミュレーションっていったほうがいいよね」という話です。
大変に納得できる話です。
この文章は、そうした実感の話であって、ウォーゲームの定義や「だから歴史シミュレーションじゃないものはウォーゲームではない」といった主張とはまるで関係ないことがわかるでしょう。

まとめ

蔵原氏の意見では、以下のようになります。

  1. ダニガンは、ウォーゲーミングとは歴史の分岐を明示するための「歴史シミュレーション(historical simulation)」と認識している。
  2. 歴史シミュレーションであるためには、4つの必要条件がある。
  3. ファンタジーゲームは、その条件を満たしてないから、逸脱でありダニガンは批判している。
  4. ダニガンの空想ゲーム批判がゲームの「政治化」に対する警鐘とも読み取れる。

しかし、上記のような読解に無理があることは、わかっていただけるのではないかと思います。
これらは、ページ的にも文脈的にも大きく異なった文章を恣意的に寄せ集めて、独自の文脈を作り上げているように読めるのです。

歴史と歴史シミュレーション

シミュレーションゲームの魅力の重要な部分が、シミュレートにあることは確かです。
戦争というものが、社会や歴史の中で、どう作られていくのか、ひとつひとつの判断が、戦争や歴史をどう変えてゆくのか?
そうした題材は、たとえば「ギレンの野望」のように、フィクションや架空世界の歴史でも扱えますが、一般論としては、現実の研究結果とリンクできるヒストリカルな作品のほうが相性が良いとは言えるでしょう。


一方で、シミュレーション性以外のウォーゲームの魅力を排除するのも考えものです。
例えば、蔵原氏が紹介したDBA(De bellis Antiquitatis)は、基本は戦闘ゲームであって、歴史・社会的な要素は味付けでしかありません。
また抽象化が強いために、厳密な戦争シミュレーターとして見ることも難しいです。
よって、蔵原氏の考える基準では、DBAはウォーゲームとして不適格ということになります。
でも、そうじゃないですよね?


xenothの意見は、「歴史のダイナミズムを味わう」というのは、シミュレーションゲームの楽しさの一つであるということです。一つであって、全部ではない。
真面目に歴史に取材したものも、多少イイカゲンなものも含めて、色々遊んでゆく内に、歴史感覚、戦争感覚が芽生えるものであって、そういう意味では「ギレンの野望」も「スーパーロボット大戦」も、どんどん遊ぶべきだし、「あれはウォーゲームではない」と排除する態度は、結局何も産まないというものです。

蔵原氏AGS様への質問

蔵原氏、およびAGS様への質問になります。


蔵原氏の記事では、ダニガンは、歴史シミュレーション以外のシミュレーションゲームを批判、排除しているように読めますが、実際にはそのような記述はありません。
上記に上げた各種記述およびp141の「Fantasy and Science Fiction Games」の項目を見れば、それがわかると思います。
歴史シミュレーションの重要性は理解しますが、その上で、ダニガンはノンヒストリカル、ファンタジー、SFゲームにも相応の理解を示しています。
それらに関する蔵原氏の記事についての、修正もしくは追記をお願いするものです。


もう一点。
蔵原氏が書かれている「模擬的現実(Simulational Realism)」は、「Situational Realism」の間違いです。
2010年の戦略研究学会の講演でも「模擬的現実」と書かれていたようで、単なる誤字ではなく間違われているようなので指摘するものです。