20年前と現在と〜キャラクターの作り方〜

もう一人の自分

AGS様が更新されました。
もう一人の自分 ―ANOTHER SELF― 〜AD&D(R)におけるキャラクター・ジェネレーションへの一考察〜: Analog Game Studies


なんと、1987年といいますから、24年前に掲載された、D&Dにおけるキャラクター作成の手引きです。
紹介にもあるように、これがちっとも古びていないことに驚かされました。


P・ローラン様*1は、キャラクターメイクの手がかりとして、以下の段階を挙げられています。

  • とりあえず自分そのままのキャラクターを作る
  • 何か、自分と違う点を作る。好き嫌い等。
  • キャラクターの目的をはっきり決める。
  • これを積み重ねると、「自分でないキャラクター」を動かすための論理が出来上がる。ただ、論理だけ、頭だけで動かすのも味気ない。
  • できあがった「自分でないキャラ」を、論理だけでなく、深く理解することで、再び「自分の一部」とすることができる。


このあたりは、なるほどと頷くばかりで、xenothの経験とも合致するところです。

目的意識とシステム化

さて、このようなステップを踏むことが、キャラクターを作ることに有効であるならば、それをゲームシステムの中に組み込めないか、とは、誰しも考えることでしょう。


キャラクターの目的を、明文化することは、いわゆるロールプレイ支援システムとして結実しています。
天羅万象』では、キャラクターの存在意義や価値観が、「因縁」という項目で、システム化されます。
「弱さへの憎しみ:中級」といった具体的な因縁を元に、それに基づいたプレイングを行うゲームです。


ただし「因縁」というのは、それだけでは言葉、論理に過ぎません。
何回もその因縁を利用したロールプレイを行い、また、同時に、その因縁を自分の意志で変化させてゆくことで、プレイヤーはローランのいう再融合を果たすというわけです。
天羅万象のプレイ指針は、「因縁に従いつつ因縁を越える」こととなっているわけです。


別のアプローチが「BEAST BIND 魔獣の絆 R.P.G」における、SA(スピリチュアルアンカー)です。これは、シナリオごとに、パーティもしくは各キャラクターの目的を明文化して提示するもので、『アルシャード』のクエスト、『天下繚乱』の宿星、他様々に受け継がれています。


キャラクターの目的を明文化し、ルール的に報酬を設定するのは日本だけではありません。SFRPGの『Eclipse Phase』では、キャラクターごとに動機を3つ設定し、それの達成によってヒーローポイント回復や経験値ボーナスが入ります。ストーリーテラーシリーズでも、美徳や悪徳などを設定し、それによって意志力が回復したり経験値を得たりします。


20年経った現在の『D&D 4th Edition』では、「伝説の道」や「神話の運命」システムが搭載されており、クラスが成長された時、どのような英雄となるかを目指すことができます。
世界の中で、どんな英雄になりたいかを思い描き、その前提条件を満たす方法を考えながら、1レベルずつ成長し、そして英雄に至る達成感は、D&Dというゲームの真骨頂とも言えるでしょう。*2

キャラクター間の関係

さて、こうした明文化には批判もあります。
明文化することで、画一的なロールプレイに囚われてしまうのではないか、というものです。


一つの回答は、P・ローラン氏も書かれている通り、ルールにしたがって頭でプレイする段階も、キャラクターを作り出す際の一つ成長段階であるというものです。
最初から完成したキャラクターをロールプレイしろ、と、押し付けることが、良い結果を生むわけではありません。
それを踏まえて、では、論理的に動かす段階を超えた人なら、明文化はいらないのではないか、という意見もあるでしょう。
xenothはそうではないと思います。*3


まず、脚本や小説の指南書などで、よく「短いコンセプトの作成」というのが求められます。これは作品全体のものから、各キャラクターに及びます。
一個の作品やキャラクターの意味、コンセプトは、無論、一行程度の短いものに収まるものではありません。
にも関わらず、まとめようとすることで、はっきりと意識できることがあり、また、コンセプトが発散して迷った時に、そこに戻ることができる。
そういう意味で、「短くまとめること」は重要なのです。


次に、P・ローラン氏が書かれていないことですが、本来、キャラクターというのは単体で存在するものではありません。
それらは、他のキャラクター、PCやNPC、様々な世界の存在との関わりの中に存在し、そうした関わりを通して、深まってゆくわけです。


そうした時、一人でプレイするだけなら、キャラクターの目的は自分で知っていれば十分なわけですが、他のGM、プレイヤーと遊ぶ時は、それぞれの「目的意識」が何かを、互いに意識することで、よりプレイがやりやすくなるわけです。


サムライの因縁が「弱さへの憎しみ」と、はっきり書いてあるからこそ、GMは「弱さに安住する村人」や「過去の自分を思わせる何もかも捨てて強さを求める少年」といったNPCを出すことができ、他のキャラクターもまた、「自分にとっての強さの意味」といったロールプレイで関わることができるわけです。
目的がはっきり書いてなかったら、そのへんがやりづらくなることは言うまでもありません。


現在のロールプレイ支援ルールを見た場合、「キャラクターの目標の明文化」と同時に、「キャラクター間の関係の明文化」というのがあります。
これは、キャラクターが関係性の中から生まれ、深まるものであるという思想に準拠したものと言えるでしょう。

ダンジョンから世界へ

キャラクターの関係性について、P・ローラン氏の論考で欠けているのは、まず23年の間に、それだけの積み重ねがあったということであります。


と、同時に、D&Dというゲームシステムの特性であるとも言えるでしょう。
ファイター、マジック・ユーザー、シーフ、クレリックは、それぞれに役目を持ち、その役目に沿ったロールプレイを行う中に、それぞれの関係性が自然に構築されていくわけです*4
これが成立するのは、D&Dが、基本的にパーティで行動し、パーティで戦闘するゲームだからです。
だからこそ、論考には「最初の何人かのキャラクターは基本4クラス(ファイター・マジックユーザー・クレリック・シーフ)に限定する事をお薦めする」と書いてあるわけです。


一方で、キャラクターの関係性とパーティ戦闘の役割を、別のものにしたいという場合もあるでしょう。
D&Dがパーティ戦闘がメインであるのは、元々がダンジョンに潜って戦うゲームだったからです。
この時、ダンジョンの外での冒険や「冒険者」以外のキャラクターを表現しようと考えた時、様々な違う人間関係が生じます。


たとえば1920年代の怪奇事件に立ち向かう『クトゥルフ神話TRPG』のプレイヤーキャラクターに、ファイター/マジック・ユーザー/クレリック/シーフといった分類を持ち込むのは無理があるわけで、だからこそ、スキル制になっているわけです。
そうした時に、人間関係を明文化することは、互いのロールプレイを円滑化する意味があります。


ダブルクロス』や『シノビガミ』などは、そうした関係性にこだわったTRPGといえるでしょう。ハンドアウトのPC1〜PC5なども、その系譜です。

拡大と限定

要するにD&Dでは、
『ファイター←→マジックユーザー』の時点で、
『ひ弱だけど、いざという時に役立つヤツ←→頼れる兄貴だが脳筋
的な関係性が、ある程度存在するわけです。
D&Dの場合、キャラクラスは、社会的な立場でもある。ファイターの人は戦いを生業とする武装した人であり、周りからも戦士と呼ばれるわけです。だからこそ、戦士=頼れる壁という等式も成立する。


これが『ダブルクロス』の場合、
『エンジェル・ハイロゥ/サラマンダー』と『ノイマン/エグザイル』
が、どういう関係なのかは、それだけじゃさっぱりわからないわけです*5
また社会的な立場も決まりません。『エンジェル・ハイロゥ/サラマンダー』の社会的な立場は、社長かもしれないし、皇帝かもしれないし、学生かもしれない。未来から来たアンドロイドかもしれないし、犬かもしれない。
二人の社会的立場が、同じ学校の同級生なのか、親子ほど離れているのかといった要素は、人間関係を考えるにおいてシンドロームの関係と同じくらい重要なわけです。


ダブルクロスは舞台を現代とし、様々なシチュエーションでの人間ドラマを再現することを目指したことで、キャラクターの表現や関係性の幅が広がりました。
一方で再現範囲が広がるということは、目的や方向性がぼやける危険もあるということで、だからこそ、そうした部分を明文化する必要があったわけです。


D&Dは、ファンタジー的な世界を舞台にパーティ行動で戦闘してゆく、という大きな柱があり、キャラクターのクラスと社会的な立場と関係性が強く連関している。
それは一つの制約ではありますが、それによって、わかりやすさが増している。


どんなTRPGでも、卓の人間が、同じゲームをプレイするには、様々な限定条件が必要なわけです。
限定条件自体は、必ずしもゲームの狭さを意味しません。
限定することで、遊ぶ方向性が明確化し、その方向に沿って掘り下げたり広げたりすることができるわけで、うまく設定された限定条件は、むしろプレイを豊かにするといえるでしょう。
D&Dというゲームが、「ダンジョンでのパーティ戦闘」という点から始まったことは、素晴らしい限定条件でした。
それこそが、TRPGの面白さを天下に知らしめたわけです。
そこから様々なコンセプトが生じ、それによって「ダンジョン」や「パーティ戦闘」という限定条件が外れてゆく時、別の機能する限定条件を見つけるのが、デザイナーの重要な仕事となります。
それらの中には、直接的に定義されてるものもあり(ダブルクロスでは、ロイスによって人間関係を明文化する)、間接的に定義されてるものもある(D&Dのクラス制が、同時に人間関係の明示も兼ねている)、というわけです。


プレイヤーとしてキャラクターを作り、成長させる方法論を考える上で、デザイナーがシステムの中で、どのようにキャラクターと、その運用を理解してるかを見るのは、きっと役に立つことでしょう。

*1:紹介やフルネームがなかったので、どちらの方かわかりませんでした。個人的には、この著者のゲーム環境にすごく興味があるので、ご迷惑でない範囲の紹介が知りたいところです

*2:キャラクターの目的意識や設定を作るルール、ギミックはこの他にも沢山あります。ライフパスなどは、その一例でしょう。

*3:個人的にはあと一つ、こうしたルール化は、ルールがランダマイザとして働いて押し付けてくる要素を、プレイヤーが解釈してキャラクターの中に取り込むことで、自分の頭だけでは考えつかない、より深いキャラクター性を作る助けになる、というのもあると思います。

*4:このへんは、防衛役、制御役、撃破役、指揮役と再定義された現在のD&Dでも同じところです。

*5:もちろん、ある程度の狙いはわかりますし、そこから生じる人間関係も考えられます。でも支配的というほどじゃない。