改版と消費期限

id:gginc氏が、詳細にデータをあげて分析しておられる。データに乗っかる形でもうしわけないが、まずはデータの分析から。

FEARの版上げについて:事実面

■[RPGs]主なRPGシステム・版上げの歴史を整理した。
http://d.hatena.ne.jp/gginc/20071213/1197557134
id:ggincさんの労作。大変に参考になる。とりあえず事実指摘の点から一点。

 特に、初版から二版までのスパンがほぼ2年から3年の間に集中しており(これは、ソードワールドが20年近く大きな変更がなかったことと較べると、驚きである。いや、ソードワールドにこそ驚くべきなのか?)、さらにはこれだけ沢山のラインナップを抱えながら、版上げをすることにためらいがないように見える。

ここであがっているFEAR社のゲームの初版から2版までのスパンは、出版社が変わった際の移転に伴うルール改訂が多い*1。絶版になったゲームの場合、企業にとって新しく出し直さないでおくことによる利点はないので、比較対照にならない。
ルールが買えなくなったのなら、できるだけ早く新しいルールを出す必要がある、ということだ。

トーキョーN◎VA
1版「ツクダホビー版」:2年(1993-1995)
2版「セカンド・エディション」:3年(1995-1998)
3版「The Revolution」:5年(1998-2003)
4版「The Detonation」:4年継続中(2003-)

1版は、ツクダホビーのTRPG撤退のため。こうした場合は、再販が望ましいのは言うまでもない。
セカンドが3年、レヴォが5年と見るのが正しい。

『セブンフォートレス』
1版(無印):2年(1996-1998)
2版「Advanced」:4年(1998-2002)
 o 2.5版「EX」:1年(2001-2002)
3版「V3」:5年継続中?(2002-2007)

無印からAdvancedはホビージャパンのTRPG撤退のため。以下同文。
Advancedが5年、V3が5年というわけだ。

天羅万象
1版(無印):3年(1996-1999)
2版(零):8年継続中?(1999-現在)*9

こちらもHJのTRPG出版撤退に伴う。『天羅WAR』2007年を含めれば8年。

ナイトウィザード
1版:5年(2002-2007)
2版:0年継続中(2007-現在)

こちらは、最初からエンブレで出ているシステム。初版5年。
『エルジェネ』は、元々TCGのシステムを取り入れたゲームなので、TCG同様の早いサイクリングが組み込まれている。
ダブルクロス』『アルシャード』あたりは、確かに短めである(2年、3年)。
ただし『ダブルクロス』は、初版がゲーマーズフィールド発売であり、富士見書房で2ndが発売された。ホビーショップ&通販から、全国書店ルールブック&リプレイ展開、という前提があるわけで、これも、単純に比較はできない。ぶっちゃけ、富士見書房と提携できるなら、そりゃ、いつでも版上げするだろう、というわけだ。


このほか、筆者が知らない前提も数多くあるだろう。例えば、アスペクトの再編やエンターブレインへの移行なども、版上げに絡んでいると思われる(その前後で編集部が変わるため、サポートが途切れてしまう)。そのへんお知らせいただけると嬉しい。


以上をまとめると、FEAR社のゲームでは、版上げが早いものもあるが、必ずしもそうでないものも多い、という平凡な結論になる。
主要ゲームと思われるN◎VA、S=F、NWなどでは、そこまで頻繁に版上げしていない。


■[F.E.A.R.][RPGs]TRPGの〈改版〉は〈消費期限〉とどう関係するか?─F.E.A.R.の企業戦略分析・完結編
http://d.hatena.ne.jp/gginc/20071215/1197650400

 この表のずっと下の方では、書き漏らしのあった各種システムも紹介していますが、こと国産TRPGに関しては、これほど自社製品を頻繁に〈改版〉にかけたのはF.E.A.R社だけだということがよくわかります。

一応補足すると、他のゲームの中で「長年売れ続けたが改版しない」というのはSWくらいで、あとは単に改版できるほど人気が続かなかった、という場合がほとんどだろう。よって、単純な比較は成立しない。ここから言えるのは、FEARのゲームは長く売れ続けているものが多い、ということだけである。

FEARの版上げについて:理論面

gginc氏の理論は、FEAR社の版上げは、システムコンセプトを変化させないブラッシュアップであり、それ故に、ユーザーは旧版派、新版派に分かれる必要がない、というものだ。故に、FEAR社は、ユーザーの分裂を気にせずに、版上げをすることができる、と。
ここまでは、基本的に賛成する。

 ところで、この完璧な〈改良〉と、徹底した〈変容〉の排除こそが、私の考えるF.E.A.R.製品の〈消費期限〉を短くしている、最大の原因になっているのです。

どんな原因だろうか。
ユーザーが望むシステムをブラッシュアップし続けながらサポートするというわけで、「消費期限」は長くなるんじゃないの?

F.E.A.R.社の改版は、国産RPGとしては一見回転率が早いように見えるが、海外を含めて考えればそれほど驚くべきことではない。ぶっちゃけ普通だ」。

 F.E.A.R.のような巧みな商法においては、〈消費期限〉は永遠に切れることがありません。

って、ご自分でも書かれてる。

しかしそれは「買い続けるユーザー」にのみ許された特権です。「新版が出るタイミング」で新版についていく気をなくしてしまった人は、「それでもそれ以降の展開を一生懸命追うために買い続けなければ」という気持ちになるか、「それすらすっぱり諦めて辞める」かの、二択しかなくなります(旧版を選んで遊び続ける理由があまりないことは、先ほど言ったとおりです)。

えーと同じシステムのブラッシュアップだと、途中で飽きて脱落する人がおり、そうした人にとっては「消費期限が短い」、ということで良いだろうか?


しかし、その比較は成立するのだろうか?
今までの版上げ戦略を3つに分類する。
1.新版を出さないゲーム
2.旧版と大きく異なる新版を出すゲーム
3.旧版の延長上にある新版を出すゲーム(ここでいうFEARゲー)
1の場合、続々出るサプリを集めきれずにやめる人や、手持ちのサプリで遊び続ける人はいる。
2の場合、新版についていけずにやめる人、旧版で遊び続ける人もいる。
3の場合、新版にはついていきやすいが、お金を出せないからやめる人、同じ理由で旧版で遊び続ける人がいる。


3だけが、消費期限が短い、と言えるとは思えない。
ここから後の論理は、さらに、ついていけなくなる。

 そしてF.E.A.R.が成功しているということは、「何年もゲームコンセプトは変わらないが、そのぶんそれを取り巻くゲームバランスが絶妙なTRPGシステム」を善しとするゲーマー、「買い続けるだけの、サポートを受けるだけの価値がものすごくある」と信じているユーザーが多数いるということです。
(中略)
 そのことを確認した上で、なお私は考えます。F.E.A.R.社とは別の、このような商業展開以外の「TRPGを売るためのよりよい経営戦略」について、考えてしまうのです。そう、F.E.A.R.社の正義が「唯一の正義」ではないかもしれないという仮定に基づいて。

FEAR社のゲームを買って満足してる人は、別にFEARのゲームだけ買ってるわけではない、というのが一点。FEARの安定したサポートを楽しみつつ、他社の、荒削りだったりするシステムを楽しんでる、ということもあるだろう。
同じ理由でFEAR社が成功しているというのは、他の会社もFEARの真似をすればいい、ということではない。
商売のニッチは有限であり、FEARのニッチも必要だが、他の会社は違うニッチを探す必要がある。


次に、FEAR社が、延々同じゲームを出し続けている、というのも間違いだ。FEARの場合、新しいコンセプトを出したければ、新しいシステムを出す、というだけの話だ。
実のところ、どんな素晴らしいゲームであっても、同じものが続くとユーザーは飽きる。なので、業界は、常に新たなコンセプトを探している。そのへんはFEARも同じである、と、考える。


新たなコンセプトを改版で導入するか、新製品で導入するかは、単にポリシーの違いに思える。
そしてもちろん、同じゲームであっても、物によって様々なシステム変化が存在している。N◎VAなどは、同社の中では、革命的なコンセプトを発表し続けるフラッグシップとしての役割も持っている、と、認識している。

 だから私は、F.E.A.R.の商業戦略の問題点の一つに〈消費期限〉を挙げました。

すいません。何度も読んでいますが、具体的に、〈消費期限〉の何を問題視しているのかが、読みとれませんでした。正確には、論旨が分裂しているように見えます。


えーと、FEARが、たった一個のシステムを版上げし続けるか、あるいは、違うシステムでも全部全く同じコンセプトで版上げし続けている、という仮定なら、ggincさんの話は成立するんですが、実際にはそうでなく、FEAR社は色々なコンセプトのゲームを出しています。

 新版が出た後も、旧版のゲームコンセプトにあまりに惚れこんでしまったために、新サプリがなかろうと、雑誌サポートが打ち切られようと、営々とそのゲームを改造し、夢を振りまき続ける、「金にならないゲームマスター」の存在を、F.E.A.R.は最初から排除しています。

えーとFEARゲーでも、売れずに改版されず、サポートが打ち切られた可哀想なシステムはたくさんあるので(笑)、そういうゲームをプレイしてあげてください。
てゆーかFEARに限らず、そうした「金にならないゲームマスター」をサポートしてる会社って、あんまりないわけで、それはFEARの罪でもなんでもないような。
例えば、FASAは(もうないけど)『シャドウラン』第二版のユーザーを今もサポートしてるわけじゃないですよね。SNEは『大活劇』をサポートしてるわけではない。あ、央華封神第三版の原作者公認同人版なんかは、絶版ゲームをサポートした良い話、かな?


というわけで、問題意識としては同感しますが、別にFEARが排除してるわけでもなんでもないような。
ちなみに、T&T5版、新和D&Dをやり続けるGMは、「何年もゲームコンセプトは変わらないTRPGシステム」を善とするユーザーであり、id:gginc氏の言うFEARユーザーと変わらないような。

個性的なゲームとGMが生き延びる方法

id:gginc氏の言うところの中から、私が理解できる点を、大きく補足しながらまとめると、こんな感じかなぁ。
「FEAR社は、ユーザーのわかりやすさ、ついてきやすさに最適化したゲームを作る結果、商業的には成功するものの、似通ったゲームばかりが出回ることになる。それは、もっと個性的なゲームや、そうしたゲームを好むプレイヤーを排除することにつながる」


FEAR社は、何度も、FEAR独自のシステムを作り出しており、それが「誰もが使いやすい」と納得するようになるまで、手厚いサポートをしていることが素晴らしい、と、評価しています。


が、さておき、世の中のゲームがFEARだけになってしまうとしたら、それは悲しい。
また、流通に載らなくなったゲームや、そのユーザーの資源を活用したい、という気持ちもわかる。


これらについて検討することは素晴らしいと思うし、稿を改めてやりたいと思うが、FEARの商業戦略とは直接関係ないと思うなぁ。

*1:というか初版はFEAR発売でないものもある