ラビットホール・ドロップスと一期一会

だいたいでは困るもの

世の中には、「だいたいうまくいけばいい」ものがあります。
多くの娯楽はそうです。
どんな作品でも、面白いと思う人も、つまらないと思う人も、それぞれ存在する。
その上で、面白いと思う人の割合が、そこそこ多ければ、その作品は商業的には成功とされます。
商業を考えないのなら割合さえ考える必要もありません。作者が届けたいと思う層にだいたい届けば、意味がある。


一方で、「だいたい」ではすまないものもあります。失敗した場合に重要な結果となるものです。
旅客機は「だいたい飛んで、たまに落ちる」では困りますね。医療もそうです。
どんなことでも事故をゼロにすることはできませんが、娯楽作品の出来とは求められる基準が違います。


「ラビットホール・ドロップス」に関するスタンス - xenothの日記でも書きましたが、私が「ラビットホール・ドロップス」に関して失敗した場合を恐れるのは、それが、「児童や障害者への支援行為」として行われるからにほかなりません。

ラビットホール・ドロップスと支援の現場

児童・障害者支援TRPG「ラビットホール・ドロップス」の公開に関するお話 その2 - Togetter
前回のエントリーについて、伏見氏から上記のようなお返事をいただきました。

おはようございます。その焦燥は理解するけれど現実的ではないと思うな。ぜひ理解を深めてもらいたいです。関心があるなら現実の行動として支援・交流に参加して欲しいのです。きっと考えていたものと違って驚くかもしれない。


ラビットホール・ドロップスは、現場の「こいうものが欲しい(既存のものは使いにくい)」という声を集めて作ったのです。批判には耳を傾けるし興味がある、ぜひ参考にしたいけど、その域を越えた執拗さは歓迎できないかも。考えてみてください。

ここで話されているのは、支援の現場の話です。
どうも勘違いされているようですが、支援の現場において、これまで支援に携わってきた経験、知識のある人が、TRPGの知識も持っていて(理想的にはそこに伏見氏もいて)、その上で、「ラビットホール・ドロップス」を運用する場合の話は私はしていません。


「ラビットホール・ドロップス」を支援用TRPGとして一般公開することは、そうじゃない素人や、あるいは支援に携わっている人でもTRPGに不案内な人が遊ぶ可能性があるだろう、というものです。
そうした場合に、重大な問題が生じる可能性があります。
その点について伏見氏におたずねしていますが、この日記を書いている時点で、まだお返事はいただいていません。

TRPGユーザーが増えない?

XXX システムがプレイスタイルとリンクしなきゃいけないと思ってる人が案外多くて、きっとTRPGを読物としてる人はそうなんだろうなぁって思います。私なんかは、クトゥルフでほのぼのプレイをしちゃう方なんでそんなのには全く無頓着なんですがねw また、感想を書いてる人のコメントが、ああルールブックを読物にしてる人の意見だなぁって思いました。難しい漢字があったら大人に訊けばいいのです。辞書で調べればいいのです。学習ってそういうもののはずだったんですがねえ……。
XXX だいたい、初見でルールブックをいきなり買うずぶの初心者なんてのはいないんだから、そこを心配してもしょうがないといつも思います。
RabbitHole Drops ありがとうございます。古いゲーマーは、対立をいくつも経験していてトラウマもあります。その恐れが「幸福なTRPGデビューをできないと、TRPGユーザーが増えない」という過度の恐れになるのかもしれません。僕なんかは、わけわからないでゲームしていた時期がもっとも楽しかった!と思っちゃうんですが、まさにその個人体験の違いが壁かも。共感的に理解し、自戒しないといけません。
ちょっと議論が殺伐としすぎましたね。 ブッとばすとか連呼しちゃいけません。... - RabbitHole Drops | Facebook0

一方、facebook上では、伏見氏(RabbitHole Drops)は、上記のようにコメントを書かれています。


「幸福なTRPGデビューをできないと、TRPGユーザーが増えない」という話ですが、ここではTRPGユーザーを増えるかどうかなんて話はしていません。それは「だいたいうまくいけばいい」という思想です。


児童教育や障害者支援で、トラウマが起きたら、「いや、そういうのもたまにはあるけど、だいたいうまくいってるから問題ないよ」ではすまないのです。

対立やトラウマを恐れる理由

伏見氏は、TRPGで対立やトラブルがあっても、それは乗り越えられるし、そうやって乗り越えるのも人生経験だから問題無いとお考えなのではないかと思います。


プレイヤーに、そうした問題に対応できる社会的立場と、自由な精神があれば、あるいは、周りがそのようにサポートすれば問題はないでしょう。


ですが、そうした人ばかりではありません。
児童や障害者が社会的に弱い立場にあることについては前回書きました。
精神についていうなら、誰とも同じく、精神的に健康な人もいれば、引っ込み思案だったり鬱だったりする人もいるでしょう。


想像してみてください。友達と一緒にTRPGを遊んでいてつまらなかったのなら、つまらないということも、TRPGをやめて別のことをすることも、比較的、簡単です。
ですが、それを先生が授業やイベントとして行なっていたら?
「先生のマスタリングはつまらない」といえる子供ばかりではないでしょう。


TRPGは、きちんと遊べば、子供の自主性、アイディアを引き出す良いツールになりうるでしょう。
一方で、世界設定から道徳律までGMが細部を決定する架空世界において、子供に思想教育を押し付けるツールにもなりうるのです。


先生なら、そんなバカなことはしない?
先生は教育のプロフェッショナル*1であっても、TRPGのプロフェッショナルではありません。
社会的な常識がある人でもTRPGを初めてプレイする時、普段の社会的常識を発揮できる人は稀です。


教育のプロフェッショナルでない素人のゲームマスターが、児童や障害者に「支援」を行う場合も、様々な問題に発展しうるでしょう。


伏見氏が「僕なんかは、わけわからないでゲームしていた時期がもっとも楽しかった!」と思うのは、ご自由です。
ですが、根本的にそれとは違う場合、それとは違う危険の話をしていることをお分かりいただきたい。

*1:もちろん、教育的に問題のある先生も存在します。その場合の恐ろしさは想像したくもありません。そういうのは先生が悪いという議論もできるでしょうが、TRPGが凶器になりうる点は自覚すべきかと思います。