「ぼくのかんがえたTRPG」にならないために

要約

TRPGという言葉の指し示す範囲は非常に大きく、人によって受け取り方も様々に異なる。
よって「TRPGとは〜」と言った言葉を安直に使った場合、それぞれのTRPG観が違った状態で話すことになり、誤解や行き違いが起きやすい。
それを避けるためには
1.自分の考えるTRPGを明確にし、同時に、それが「自分の考えるTRPGでしかないこと」を意識する。
2.できるだけ具体例を添える。
3.「自分の考えるTRPG」から外れるTRPGについての考察、態度を添える。
4.そもそも「TRPGとは〜」とか安易に言わない。
等が有効である。

ダイスのあるTRPGは時代遅れ

ツイッターのまとめで、ダイスのあるTRPGは時代遅れというつぶやきを見た。
ツイッターのゆるい呟きに、あまり細かいツッコミを入れるのも失礼な話なので、xenothの私感で軽く纏めると、「ダイスが時代遅れ」というのは以下のような話であった。


・TRPGは物語を紡ぐ遊びである。
・良い物語は、出来事において物語的必然性があるはずである。
・TRPGにおいてもそれが良い物語であるなら、特定の出来事が起きる時には、成功するかしないかの必然性が既に定まっているはずである。
・必然性があるなら、ダイスは不要となるはずである。

TRPGとは

さてさてD&D4thの翻訳が順調である。D&Dに限らず、市場を見渡して見るに、ダイスを使用しないTRPGは数少ない。
先ほどの論を単純に敷衍した場合、「発売してるTRPGのほぼ全ては時代遅れ」ということになる。
D&D4thを遊んでいる人からすれば異論があるだろう。D&DD&Dで、様々な技術を重ねて今も発展中だからだ。


なぜ、こうした食い違いが起きるか、といえば。
先ほどの議論では、「TRPGは物語を紡ぐ遊びである」と位置づけているからだ。
これはTRPGの一面ではあるが、必ずしもそれだけではない。
物語性を全く重視しないTRPGは少ないが、物語性「だけ」を追求するTRPGばかりではない、というわけだ。


「ぼくのかんがえたTRPG」と「現実のTRPG」、あるいは「ぼくのかんがえたTRPG」同士の間に差が生じるわけだ。


「ダイスは不要か?」という議論を正しく発展するのであれば、「良い物語を紡ぐ」上で、ダイスはどのような役割を果たすのか? 不要なのか有用なのか、というものだろう*1


なんだけど、よくある議論のそれ方が「テメェ、ダイスいらねぇってD&Dにケチつけんのか?」的な、ぐだぐだな議論だろう。
それはまぁ悲しい話だ。

合理的な限定

要するに話が大ざっぱすぎるのだ。
「TRPGとは」「ダイスとは」というが、TRPGの方向性は様々だし、ダイスの使われ方、意味も様々だ。
そのままでは議論は発散しやすい。ツイッターくらいのつぶやきなら話し合いながら訂正していったほうがいい場合も多いが、「論」として書き起こすなら、しっかりとした定義は必要だろう。


たとえば、「ダイスに頼ることは、良い物語の必然性を阻害するのではないか?」とか「TRPGにおける物語の収束パターンとして、ダイスを振って戦闘→解決に頼る以外のものがあってもいいのではないか」という意見は傾聴に値するだろう。
このように書けば、一方で「D&Dで20面ゴロゴロ振ってスリリングな戦闘をするのが楽しい」というのとは別に矛盾していないことが判る。
喧嘩する必要はないのだ。

合理的に限定する方法

自分が言っているTRPGの範囲を、きちんと自覚できていればいいわけだが、最初から、ポイントをちゃんと押さえて、合理的な限定ができるかというと、難しいだろう。
自分では、それなりに限定、定義したつもりで、実はそれが足りなかったり相手に伝わらなかったり、というのは、よくある話だ。


論として書く時にそれを防ぐ重要な方法は、「具体例を意識すること」だ。
「TRPGにダイスが不要」と思ったとして、その「不要」と思ったのは、いつ、どういう時か。
たとえば「○○のゲームをやっていて、こういうシチュエーションでダイス振ったんだけど、その時に、こういう結果が出て、不満を感じた」という具体例があるはずだ。
そういう具体例を挙げながら文章を書いていけば、自分の考える理論が、どのあたりの範囲なのかがわかりやすいし、なにより読む人にとってもわかりやすい*2


私の経験だが、そういう風に、具体例と理論の間を、何度も往復して文章を練っていると、「TRPGとは〜」という大上段の話は避けるようになるし、仮にする場合は、その限界を意識するようになるだろう。
そうした心がけは重要であると考える。

*1:個人的には必然性と乱数は、全く相容れないものとは思わない。ダイスを使って良い物語を目指すアプローチも沢山ある。シナリオクラフトとか面白いしね

*2:なお、論として書く時のテクニック以外に、相手との対話の中で修正してゆくという方法も、もちろんある。この時に重要なのは、「わかりやすさを意識して、頻繁に書き直すこと」だ。「ここがおかしい」という点に対して「いや、それは読み方が間違っている」という反論は当然あるが、それにこだわっていては泥沼になる。「なるほど、そう読めたらもうしわけない。こういう意味だった」と認め、それを前提に推敲し続けると、良い文章になる。