TRPGとキモオタコンプレックス

TRPGは好きだが、キモオタに見られるのは嫌だ、という層が存在する。
まぁ必要以上にキモがられるのは誰も好きではなかろうが、そのコンプレックスで、TRPGからオタ要素さえ排除すれば、全ては薔薇色、と、勘違いする人が存在する。
そうしたコンプレックスは、大概、破滅的な方向に向かう。

症状

○オタク臭ささえなければ容認を得られると思っている
→アニメ・漫画系イラストに文句を言う
洋ゲーを褒め称える
→商業=オタクとして、アマチュアリズムに過剰に期待する
理論武装したがる
→子供っぽさを過剰に嫌う
ごっこあそび扱いを過剰に嫌う
→競技性を強調する
→アカデミズムを持ち出す
○最終的な目的
→思想統一したがる
→権威にすがりたがる(アカデミズム、統一組織、etc)


これらが、まぁ、かなり馬鹿馬鹿しいのは言うまでもない。


今日日、たいていの人は漫画を読むしアニメも見る。イラスト単体は忌避される原因にならない。あるいは漫画やアニメ自体を受け付けない人なら、多分、TRPGという趣味を理解してもらうのは難しいだろう。


また洋ゲーの絵が一般受けする、というのは幻想である。
目の大きいロリっ娘がキモいというなら、半裸のマッチョ姐さんだってキモい。だからって、むさ苦しい男と、クリーチャーの群れなら、万民に受け入れやすいかっつーと、そりゃ違うだろうとしか*1。洋の東西を問わず、オタクってのは似たようなものだ。


マチュアリズムは魔法の杖ではない。ネット流通は利益を食いつぶす。良いものがタダで流通するということは、回る金が減るということでもある。アマチュアによる質の高いものが生まれる可能性がある一方、プロや、大規模製作体制そのものが消滅する危機でもある*2


長ったらしい理論武装も論外である。
受け入れられなかった時に、理論武装するのはオタクの悲しい性だが、「TRPGキモ〜い」という人に、TRPGの競技性を熱く語ってみなさい、ドン引きされるから。


TRPGは子供っぽいか?
TRPGは奥深い。大人が生涯を捧げる価値はある。ただ、それを強調しても子供っぽさはなくならない。
TRPGの中には、子供の我が儘も、厨房的な万能感と性的コンプレックスも、工房な鬱屈も全部入っている*3
TRPGの面白さは、ごっこ遊びの面白さでもある。ごっこ遊びって、大人になってからやっても意外と面白い、と、胸を張って言える。
それがキモいというなら、まぁキモいんだろう。でも、そのキモさを俺は譲りたくはない*4


さてさて、そうしたコンプレックスの果てに、権威と思想統一を求めるのは、まぁ、なんというか「世界を革命する力を!」というわけで、基本的に原理主義自爆テロの道である。


TRPGの社会的評価を上げよう、ということ自体は間違いでもないし意味のある目標だが、その原動力がコンプレックスだとすると、むしろバックファイアしやすい、ということだ。

コンプレックスの源・世間篇

そもそもの原因を考えよう。「世間一般からするとTRPGはキモい」という説はある。まぁそりゃそうだろう。


ただし、この場合の「世間一般」というのは、要するに理解できないものを何でもかんでもキモがるのだ。
「実利に結びつかない趣味」というものを、「世間一般」は理解しない。


この場合の実利は
1.社会的地位
2.金銭
3.流行/知名度
である。


つまるところ、田舎のおかんが、尊敬するようなものが「実利」である。
逆に言うと、それは、趣味が趣味である時点で、世間からはキモがられる運命なのだ。
TRPGが流行に乗れば、一時的にキモがられなくなるだろうし、流行から外れれば、またキモくなるだろう。
そういうものだ。


世間一般との接点を保つのは大切なことだが、ただし、それを最優先しようとすると、すなわち「趣味」自体が否定されしまうことに注意しよう。
カリスマ○○的にTRPGが持ち上げられても嬉しくはないだろう。
TRPGで金が儲かったら、その金でもっとTRPGを買うだろう。
趣味人というのは、基本的に、そういうもので、その生き方自体が、「世間」と相容れないものなのだ。

コンプレックスの源・対人篇

さてさて、世間というものを意地悪く設定したが、まぁ、そこそこ的は得ていると思う。
もちろん、世間というのは個人の集合で出来ている。
では、個人相手にTRPGがキモがられるかどうか?


……そんなもん相手と自分次第である。
特定の相手、AさんにTRPGのことを分かってもらうために、どうしたらいいか? という問題設定であれば、いくらでも語ることはできる。対処する方法はある。
せっかく彼女にゲームに興味もってもらってホビーショップいったら、「クイーンズブレード」見てドン引きされたとか、うっかりそこで「ロストワールド」の歴史的重要性とルールの先進性から熱く弁護しようとして完全に見捨てられた、とか、そういう話があるなら、「ノーモア・オタ絵!エロ追放!」と言われても納得できるというものだ。


ただ、コンプレックスから発した話は、滅多にそうした具体例までに行かない。
何のことはない、自分が世間あるいは個人とうまくいかない理由をTRPGに求めているからだ。

まとめ

「TRPGの社会性を上げようとする試み自体はあってもいい。ただ、現実から目をそらしてコンプレックスのままに爆走してるのが多すぎる。ラブレターのつもりが電波日記になっちゃって、そりゃおまえ、かえってドン引きされるぞ、みたいな」
「おまえの日記もな」
「そうですね」

*1:いや俺は全部好きですよ全部

*2:その流れは変えられないし、その中で、うまくやる方法を見つけるべきだが、それで全てがうまくゆく、と、考えてる脳天気な人は考え直したほうがいい

*3:もちろん、青年の理想も壮年の落ち着きもある。

*4:ま、道楽とか趣味ってのは、根本的に子供っぽいもので、はたからみれば、キモいものです。