星座は理論か?

星座と理論

理論というのは星座に似ている。
人間が物を見る。観察する。事例を集める。それが「星」だ。星が集まると、それぞれの間に関連性が見えてくる。「星」と「星」の間に線を引いて、人間は「理論」を作り上げる。

外延と内包

・『TRPG論の方法論的分析(2) ――ゲーム論者たちの死角――』
http://www.scoopsrpg.com/contents/orshi/orshi_20071227.html
を受けた、id:ggincさんの以下の記事。
・定義に関する2つのアプローチ─「外延」と「内包」
http://d.hatena.ne.jp/gginc/20080206/1202275749


TRPGを説明する際、内包=演繹的な定義によるものと、外延=帰納的な説明によるものがある。
「TRPGとは、PLがキャラクターを演技し、GMが判定することで、物語を作るシステムである」というの内包=定義の一例で。
「TRPGってのは、例えばD&DとかSWとかN◎VAとかあって、それぞれこんなゲームなんだよ」というのが、外延=説明の一例である。


さてさて、内包=定義といっても、外延=説明に全く関係のない定義をする人はいない。
例えば、TRPGの定義というのは様々だろうが、「穀物を発酵させたアルコール飲料」という定義を持ってくる人は、まぁいないだろう。
なんでいないかといえば、「穀物を発酵させたアルコール飲料」の内包する例が、例えば、「ビール」とか「日本酒」とかであって、TRPGと、全くかすっていないことが明かだからだ。
TRPGの理論であるからには、内包されるものが「D&D」とか「SW」とかでなければいけない。


逆に言うと、「D&Dのこんなとこ」「クトゥルフのあんなとこ」「SWのこんなとこ」「各種共通点」と言った「星」をつないで、できあがる星座が、TRPG理論である、と、言える。

見たことのない星空

さてさて、このページを見てほしい。
http://www.cs.kyoto-wu.ac.jp/~konami/simulation/stella/
星空を自動生成するページである。
仕組みはランダムに星を表示させるだけだが、私がやった時は、いくつもの「星座」が見えた。
何回やっても、それなりに「星座」が見えるのが、これのミソ。


今更言うまでもないが「星座」というのは、人間の錯覚の一種であり、別に夜空の星が星座という単位でまとまっているわけではない。本来は、ランダムであって、互いに関連性のない星々だが、人がそれを見ることで、そこに線を結び「星座」が生まれる。

理論とは何か?

「観察された事実」=「星」をつないで作り上げた「美しい理論」=「星座」。
ただし、美しいからといって、それが意味があるとは限らない。星座と同じで、目の(認知の)錯覚である可能性がある*1。同じ実験データであっても、様々な解釈の余地がありうる。科学でもよくある話だ。


何が言いたいかというと、美しい理論=正しい(有効な)理論とは限らない、という話だ。


もっと意地悪な言い方をすると、「観察された事実」をある程度の数集めて、適当な学問の文脈を借りてきて線を引くなら、いくらでも、理論は粗製濫造できる、ということでもある。


読者を煙に巻く読み物ならそれでいいが、学問としては、それではダメなのだ。
学問として有効な理論であるためには(それが偶然の星座でないことを証明するためには)その理論の有用性を証明する必要がある。

予測と証明と実験

科学であれば、「これまでの事実を説明する」理論があったとして、さらに実験を重ねて「これからの事実を予測」できるかどうか試すことで有用性を計ることができる。
TRPG論で実験に対応するものがあるとしたら、「TRPGの新作」だろう。論ごとに、その論に基づいた新作TRPGを発表して、そのTRPGに意味があれば(面白ければ)有用性は明かだ。
が、まぁ毎度毎度TRPGを作るわけにはいかない(笑)*2


とはいえ、これは一つの目安にはなるだろう。
あるゲーム理論を読んで、「この理論に沿った新しいTRPGが作れる!面白そう!」とか、「これを理解するとTRPGが面白くなる」と言った部分があるかないか。それに限らず、何か得られる点があるか。
逆に「単なる既存のことの再説明」を、難しい枠組みでやってるだけで終わってないか?


論を書く側も、読む側も、そこに注意していきたいものだ。

*1:というか錯覚である可能性が極めて高い。科学の99%.99はあやまった仮説を排除する過程だ。

*2:実際のところプロのゲームデザイナー達は、それをやっているわけだから、あまり言い訳にしてはいけないが