「ゲーム性」と呼ばれるもの

専門用語と日常用語

当たり前の話だが、同じ言葉でも、文脈、使う人によって様々な意味を持ちうる。専門用語における定義された意味と、日常で使われる言葉の意味は大きく違う。


「ゲーム性」というのも、そういう言葉だ。


ゲーム性というのを単純にゲームの持つ性質、と、定義した場合、ゲームをどう定義するかによって、無数の切り口があり、様々な意味を持つ。


一方で、日常、我々が感覚的に使う「ゲーム性」というのは、おおざっぱに「攻略性」くらいの意味と考えて、だいたいはあってるだろう。様々な組み合わせの中から目的に応じた戦術を選択して、与えられた(あるいは自分で決めた)課題を突破できる「工夫の余地」がある、と言い替えても構わない。
悪魔合体で色々な悪魔を作ってクリアするとか、色々なポケモンに色々な技を覚えさせるとか、シューティングゲーム弾幕を縫う自分なりの方法を感得する等々が、「ゲーム性」だろう。
よくノベルゲームなどが、ゲーム性がない、と、言われるが、それは「攻略性がない」と言い替えても、文意は通じる。


TRPGの議論で引き合いに出されることの多い「ゲーム性」というのも、たいていは、この延長で、ストーリー部分に対するシステム部分、つまり「ダイス振って数値比較してなんとかする部分」「技能と職業の組み合わせでアレコレする部分」とかについて言ってる場合がほとんどである。

専門用語としてのゲーム性

それはそれとして、ゲームとは何か。その本質とは何か。その性質は、どんな風に考えられるか、というのは、これは無数の専門家が長年研究している問題で、色々面白い切り口が揃っている。

ゲーム性に関する議論はくだらないか?

http://d.hatena.ne.jp/gginc/20080204/1202104783#20080204f1

d:acceleratorさんがまとめられている「きまぐれTRPGニュース」の「ゲームって何?ゲームの定義論〜TRPGはゲームか?〜」を読んで、

 もういっそ〈ゲーム性〉って言葉はできれば使わない方がよいかもしれない

 と思いました。

こちらのまとめには、id:xenothの記事も含まれている。

 ……といった人々が、ゲームの定義に触れながら、長年の間、多くの人々の知的刺激を引き出しうるような論文を提出していることは、「ゲームの定義論なんて役に立たない」と主張する人々に対する反証としては、十分すぎるほどだと私は思います。

id:xenothも、過去に「ゲームの定義論なんて役に立たない」系の記事は書いてるんで、自戒として。


id:xenothが主に否定しているのは、上記、日常用語の範囲内の「ゲーム性」という単語を使って、特定の結論へ強く誘導するような議論である。実際のシステムやプレイングにある無数の楽しみを、特定の価値基準で切って捨てるような議論である。
http://d.hatena.ne.jp/xenoth/20080202/p1(TRPGと「ゲーム性」)において言及した「ゲーム性」とは、多種多様な専門定義ではなく、日常用語のほうである。


実際のシステムやプレイングにある「無数の楽しみ」は、無数の先達が重ねてきたゲーム性に関する豊穣な議論の中に記述されているものも多いし、それらをTRPGに応用することは大きく意味がある。


そうした議論が増えることを切に願う次第。